神がいれば人の助けはいらない?
クリスチャンの成長を阻む12の誤解から
「神がいれば人はいらない」
という思い込みについての学びです。
神は万能な方である。
ならば私は神以外必要ないじゃないか。
私をすべて満たしてくれるのだから
と。
でも本書は言います。
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神はなんでもできますが、なんでもなさる方ではない。
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結構響いた言葉でした。
神は、
僕の代わりに運転して仕事場についていかない。
僕の代わりに課題をやるわけではない。
僕の代わりに子供に愛していると言ってくれない。
と。
神は私たちの歩みを助けるために、あらゆる手段を使われる。
その中で、神は直接介入されることもあるかもしれませんが、多くの場合、友人の助け、家族の助け、教会の助け、行政の助けなども使われるということです。
そこで自分ができる範囲の役割をちゃんと与えてくれている。
それは自分の領域での中で、他者に助けを求めるという領域も。
そこには、自分の限界を認め、他人に相談し、助けを求めることです。
自分が一人ではいきていけないことを自覚し、互いに支え合い、助け合うこと、それこそが互いに愛し合うことであり、神ののぞんでいる一つだからです。
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昔はよく、なんで神を信じているなら宿題とかやってくれないんだろうと思っていましたが(笑)それは僕の領域、つまり
・自分の与えらた時間を有効に使う
・宿題というものに取り組んでみてできないことがあれば、先生や友人に相談してみる
という領域は自分に任されているということです。
その歩みの中で、人間関係を通して人の優しさや、自分の弱さに触れ、互いに助け合える存在になっていくのだ、と思いました。
神はなんでもできますが、なんでもなさる方ではない。
あえて僕たちにスペースを与えてくれている、
そこを愛をもって支えあいたいな、と思いました。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大