なぜ献身したのか?

先日、通っている神学校のオープンキャンパスみたいなものがありました(学院デーと言います)。

僕にとってこの学院デーは特別な日です。
何故なら1年前、献身の道が開かれた日だからです。

ある一コマで修養生として証詞しました。
以下原文です。


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みなさんおはようございます。
東京聖書学院本科一年の長瀬雄大と申します。
今年の4月から東京聖書学院という神学校に入学してきました。

よく、若そうねと言われますが
3人の男の子と1人の妻がいて、それなりに年はいってます(笑)

今回はなぜ献身することになったのか、その経緯をお証致します。

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生い立ち
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私の家族構成は、おじいちゃんおばあちゃん父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、おじいちゃんおばあちゃんは仏教、
そして父は自分が神様(笑)という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。

そのような中、小学1年生の頃母が私を教会に強制連行され(笑)
教会学校に行き始め、
そして色々な学びを経て20歳の時に受洗しました。

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献身の証
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で大学生で就活をしている時です。

就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンだったんです。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命があまりないという状態だったんです。

当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、
20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、
遠いものと思ってましたが、
自分の身近な人が、死に直面していることを目の当たりにし、改めて、

「人は死ぬ」

この現実を突きつけられました。

そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、

自分は何のために生きているのであろうか、
自分の人生の意味とは何か、

ということを考えるようになりました。


そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から

「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」

と言われたように思いました。
最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、
この「牧師」という言葉が、
これこそ自分の生きる道であると、
その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。

「自分は牧師になる」

ゴールは決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、
リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに
就職してから神学校に入ろうと思いました。

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ワタミとの出会い
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そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
そこで店長経験をすることでリーダーシップを学び、
4年間働いて神学校に入ろうと思いました。

そして実際半年で店長になり、4年間働きました。

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母との約束
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そのワタミを辞めた年、当初は神学校に行く予定でしたが
母親がそろそろ危ないという事で行くのをやめました。

母は結果的にガンと分かってから5年間生かされたんです。
お医者さんの見解では半年から1年と言われたにも関わらずです。


母親が亡くなる数日前、
もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、
ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、
母が好きな御言葉を読みました。

「主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、
のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。 (イザヤ書 40:31 )」

これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッとしたんです。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく、
しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、
人を慰めることができるものだ」
と気づき

そして私は、
この神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること

マルコ16:15
'そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 '

これこそが自分の使命だということを改めて確信したんです。

「母さん、
あなたの生き様をしかと見届けました、と。
これから自分のこの命を使って、
人が死にゆくような時でも心に平安を与える、
この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます」
と、約束しました。


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妻の反対
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よし、じゃあこれから神学校に行き頑張るぞーと思ってたときです。
色々準備をしている中、妻に気持ちを聞いたところこのような答えがきました。
「ごめん、正直牧師夫人になる気はほとんどない。
あなたは熱い思いがあるかもしれないけど、私はそうではない。
表面上牧師夫人になれるかもしれないけど、
あなたには嘘はつきたくないからごめん。」
という答えでした。

え、なんで、、、、と。
こんなに準備してきたのに、、、、と。

でも正直な気持ちを言ってくれたのはありがたいと思います。
今思い返しても、確かにあの時無理やり献身しても、
信仰の温度差で家庭内は問題になることが多々あったのでは、と思わされるからです。

そして長年夢見た献身の道が閉ざされました。
神さまが道を閉ざす時は、もうびっくりするくらい
バンバンとシャッターが閉じていく感じで道が閉ざされます。

そしてその時思いました。
「牧師不足と言われているこの日本の状況の中で献身しようとしているのに、
なぜ神様は献身の道を閉ざすのか」と。
献身ってあなたが望んでいることではないんですか?と。

そして悩み苦しみました。
今まで過酷な環境で頑張ってこれたのもすべては牧師になるためなのに、
その夢がなくなった今、自分はいったいどうすればよいのか、、、。


でも献身の道は開けませんでした。

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いのちのことば社との出会い
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そのような中、祈り求めている時に、
いのちのことば社というキリスト教出版社に出会いました。

今思うとやはり神さまの計画だなーと思います。

普通、一般信徒は他の教会にはいけません。
今まで私は母教会以外の礼拝に殆ど出席者したことなく、
ホーリネス教団以外のことも殆ど知らなかったので、
超教派であるいのちのことば社で、
しかも様々な教会に行くことができる営業部の採用だったので、
まさに私に視野を大きく広げるために神様が用意してくれた場であると、
後から考えれば考えるほど思うようになりました。

様々な礼拝スタイル
様々な説教
様々な牧師
様々な牧師夫人
様々な牧会スタイル
と出会うことによって、良い悪いではなく、これだけ色々なやり方、選択肢があるんだ、ということを学び経験しました。

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入社した時に決めたこと
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そして私はいのちのことば社に就職した時に決めたことがありました。
それは、
「自分はすぐに献身したい、でも一度そのタイミングは神様に委ねよう」と。

具体的には、
妻がもしOKしてくれたら、それが神様の「時」と信じ、
今自分の気持や、判断は一度神様にお預けし、
今目の前の与えられた職場で全力を尽くそう
そう決めたんです。

そのようななか、いのちのことば社で働き出して約6年後のことです。
妻の信仰に大きな変化が起こりました。
妻は、結婚前に洗礼を受けましたが、そのあとはどちらかというと
教会から離れていました。

でも彼女に色々な試練、苦しみ、失敗、
特に心の痛みを通して妻自身どうしようもなくなり、
そこでイエス様と個人的に出会い、大きな方向転換を彼女はしました。
そして彼女自身教会に行くようになり、だんだんと変わっていきました。


そのような中、ちょうど去年の東京聖書学院デーの帰りに、僕が妻に聞きました。
「神学校行っていい?」
そうきいたら、妻が
「わたしがダメって言って諦められるもんなの?」
と言われ、僕が
「じゃ行きます」
となり妻がGOサインを出してくれました。


このとき思ったのは、
それまでタイミングを神様に委ねていたと。
そして時が来た時、自動的に、まるでエレベーターでチンと聖書学院に行く感じになるかと思ってました。
でも最後に神さまはちゃんと僕に行くか行かないかの選択肢、自由意志を与えてくれました。
最終的に僕に決断をする自由を与えてくれたんです。


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まとめ
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結果、最初に僕がたてた予定より約10年以上牧師の道が開かれなかったです。
しかしこの10年以上の一見遠回りをしている経験が必ず今後の働きにつながると信じています。

今自分の人生を振り返って思う御言葉を一つお読みます。


主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を良いもので満ち足らせる。
詩篇 103篇4~5節


人は自分の予想と違うことが起きると、なんで?と思い、怒り、そして恐れます。
僕はこの10年以上、予想と違っていたので神様になんで?と不満に思ってました。

でも最近少しずつですが、自分と違うことが起きたら喜べるようになりました。
「自分の予想と違うことが起きている。
だったら自分の予想よりさらに素晴らしいことを神様が用意してくださっている、と。
その「時」はいつになるかわからない、けど自分にとって必ず良いことを用意してくれている。
なぜなら主は良いお方だから。」

このように現在変えられています。


以上で献身の証を終わります。
ありがとうございました。




今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

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