【良いことをする本当の心の動機とは?】
「御霊に属する人、肉に属する人」から思わされたことです。
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自分で作った律法を守ろうとすると、どういうことが起きてくるでしょうか。
決めた時間にしっかりとディボーションができれば、あ、今日は祝福があると感じます。
けれども、決めたとおりにできないときが必ず来ます。
そうすると、もう平安がなくなります。
何かを守れば祝福されるとか、自分がこうすれば神はこうしてくださるという考え方こそ、律法的な信仰そのものではないでしょうか。
御霊に属する人は、自分の罪の姿を見出すとき、そのように本来は罪と死の原理によって永遠の死を受けるべき存在だった自分が、イエス・キリストによってすべて赦され律法の要求もすべて満たされているという信仰に立つのです。
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これはよくありがちな考え方です。
礼拝にいくなら祝福される
聖書を読むなら祝福される
など〜したら祝福される、という考え方です。
その動機は結局恐れにつながります。
礼拝にいけないなら何か悪いことが起こるに違いない
などです。
でも本来は、私の罪が赦されたその喜びから
礼拝にでたい
聖書を読みたい
となるのです。
残念ながら人間社会でのルールの土台は恐れからくるものです。
遅刻をしてはいけない、すると〜になる
と。
それは罪によってお互いに信頼関係がなくなっているので、恐れによってコントロールするのです。
この考えがあまりにも当たり前にあるので、神の先に与える愛、赦しというのが中々理解できないのです。
自分もいつの間にか、自分で作った律法を守ることで安心しようとするところが多々あるな、と思わされます。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大