【裸の王様に必要なこと】

「きぼうの種」から思わされたことです。

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アンデルセンの童話に「裸の王様」という有名なお話があります。裸であることはだれの目にも明らかなのに、臣下たちはありもしない衣装を褒めそやします。
衣装が見えない愚か者だと思われたくなかったからです。


もしもほんとうに王様のことを愛していたなら、首を刎ねられる覚悟で「お恐れながら王様、私には裸に見えてしまうのです」と告白したことでしょう。
そうすれば、王様は衆人環視の真ん中で、「裸じゃないか!」と子どもに指さされ、民にあざ笑われることもなかったのです。

自分自身のことを考える不幸に陥らせてもらえないということは、裸である自分に気づく自由を奪われているとも言えます。
取り巻き連中がよってたかって幸せだと思い込ませているけれど、裸でみじめな姿をだれも教えてくれないのだとしたら、王様、あなたはほんとうに幸せですか?

しかしもし、「裸だ」と教えてもらったとしても、どんなに密かに教えられたとしても、裸のままなら耐えられないほどみじめであることに変わりありません。

裸の王様を覆うマントが必要です。
震える王を包み込む愛があってはじめて、王は本当の幸福に出会うのです。

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「しかしもし、「裸だ」と教えてもらったとしても、どんなに密かに教えられたとしても、裸のままなら耐えられないほどみじめであることに変わりありません。」

指摘されるのは怖いことです。
自分がその部分について裸であることを知らされるからです。
だから自分を客観的に見てくれる人が必要です。


しかしその指摘が公の場ではなく、クローズドな環境で指摘されても、自分の裸の部分を直視することは難しいものです。
そこにはどんなに恥ずかしい部分であっても、支えてくれ、その覆ってくれる愛が必要なのです。

指摘だけなら簡単です。
しかも他人への指摘ならよく見えます。
でも指摘には、それ以上に覆う愛が必要であり、それが隣人を愛することに通じるものであることを思わされます。


今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大


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