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プロバスケ選手を引退した僕が、コピーライターを目指した理由
1/15 に開催された Zoom イベントに参加し、横浜 GRITS のデュアルキャリアについて話を聞きました。現役選手が働きながら競技を続ける姿を見て、改めて「セカンドキャリアとは?」を考えるきっかけになりました。
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そこで今回は、僕自身がセカンドキャリアを歩む上で感じたリアルな想いについて書いてみようと思います。いわゆる一般論ではなく、当事者として感じたことを、あくまでも僕の主観として現時点の考えを書いていきます。誰かひとりにでも参考になれば嬉しいです。
これまでの経歴
まずはじめに、僕自身の経歴をざっと振り返ってみます。
小学3年生からバスケを始めるも、学生時代は全国大会未経験の無名選手
大学3年時、就活を途中で辞めてプロを目指す
大学卒業後、アルバイトをしながらクラブチームに所属して全国のプロチームのトライアウトを受ける
3年目に練習生としてプロチームに入団が決まり、その年の途中にプロ契約を獲得
プロチームで8年間、実業団チームで1年間プレイ後、2022年に引退
ビジネスパソコン教室、コピーライター養成講座に半年間通いコピーライターを目指す
2023年2月、35歳未経験でコピーライターに転職して今に至る
今振り返ってみても、おかしな経歴ですね。(笑)
(経歴について詳しく知りたい方は、こちらのnoteをご覧ください。)
でもまあ自分としては、一貫していると感じることもあります。
レールを外れる決断
まず一度目の大きな決断は就職活動を辞めたこと。知り合いがみんな有名企業に内定している中、僕は進路が決まっていませんでした。当時は肩身が狭かったですね。笑われたりもしました。
そしてこの決断が人生で初めて、(大学を卒業して就職するという)多くの人が進むレールから外れた瞬間でした。レールから外れても意外となんとかなる、と身をもって知れたのは後の人生において大きかったです。
就職活動を辞めたのは、単純に行きたいと思う企業がなかったからです。働いている自分が想像できなかったというのも大きいかもしれません。
あとは卒業後のバスケとの関わり方を考えました。普通に就職して、平日の夜と土日にバスケをする、くらいでいいのかと。自分がどこまでできるか試したくなったのです。限界まで挑戦して、ダメだったら諦めよう。いま挑戦しなかったら、数年後に絶対に後悔するから、今やろう、と。
結果は運だけど、挑戦は選択
そして不思議なことに、プロ選手としての自分は想像できたんですね。根拠のない自信というやつです。当時は全国大会にも出たことないような無名中の無名でしたが、なぜか自分はできると疑いませんでした。そして結果的に、運も重なり、3年を経てプロチームに入ることができました。
他の人からすれば極めて無謀な挑戦に見えたと思いますが、当の僕自身はそうは思いませんでした。
目標が叶ったから言うわけではありません。例えプロになれなくて諦めたとしても、悔いはなかったと思います。少なくとも、この挑戦をしたことで、「自分はバスケでどこまでできるのか」というモヤモヤした思いを抱えて生きていくことはなかったでしょう。このモヤモヤを解消する方法は、ただひとつ、やってみること=挑戦することです。
例えプロになれなくても「全力でプロを目指した」という経験は無駄ではなかったと思います。
「結果は運だけど、挑戦は選択。」僕の好きな言葉です。
引退後にバスケ関係の仕事はしないと決めていた
そして2度目の大きな決断が、引退後のセカンドキャリアでバスケ関係の仕事を選ばなかったこと。この決断ができたのも、大学生の時に無謀な挑戦をして、1度レールから外れた経験があったからなのかなと思っています。
引退後のキャリアを選ぶ時に心に決めていたことは、「引退直後はバスケ関係の仕事はしない」というものでした。おそらく引退した選手の8〜9割くらいはコーチやフロントスタッフなどバスケ関係の仕事に就いているのではないでしょうか。
名詞ではなく、動詞で仕事を選ぶ
なぜバスケ関係の仕事を考えなかったかというと、理由は大きく2つあります。
1つは、僕はバスケを「する」のは好きでしたが、それ以外の関わり方があまり想像できなかったこと。つまり、「名詞ではなく、動詞で仕事を選んだ」ということになります。
選手からコーチになるのは、名詞「バスケ」で見れば同じですが、動詞で見ると「自分がプレイする」、「他人に教える」全く別の職業です。野球界などではよく「名選手は名監督にあらず」と言われたりしますが、そもそも求められる能力が全く違うので当たり前の話だと思います。いろんな選手を見てきましたが、教えるのが向いている人はごくごく僅かしかいない、というのが肌感覚としてあります。それくらい難しい仕事だと思います。
にも関わらず「バスケ」という名詞でセカンドキャリアを選ぶ人が圧倒的に多いのが現状です。(そもそもプロになれる人は一握りなので、その経験を若い世代や子供達に伝える、とういことは素晴らしいことだと思いますし、コーチという職業を否定するつもりは全くありません。ただ、すべての選手がコーチに向いているわけではないし、他にも選択肢があることを知ってほしいという想いがあります)
僕は現役時代、オフェンスよりディフェンスが好きだったんですが、それは対戦相手の映像を見てどう守るか考える、こういう時はこう守ったほうがいいな、いやこの前この守り方でやられたから少し変えてみよう、というように戦略を「考える」のが好きだったんだと思います。オフェンスやシュートはその日の調子に左右されますが、ディフェンスは戦略と準備さえしっかりすれば安定感をもってチームに貢献できます。
あとは、昔から本を読んであれこれ考えることが好きだったこともあり、「言葉」に関する「考える」仕事がしたいと思い、悩みに悩んだ結果、コピーライターという職業を目指すことにしました。
井の中の蛙、大海を知らず
2つ目の理由は、「外の世界を見たかったから」です。今までバスケしかしてこなかったので、社会がどうなっているのか、バスケ以外の世界はどうなっているのか単純に知りたかった。
もし今後バスケに関わることがしたくなったら、外の世界を知った後に、また戻ればいい。そんな簡単なことではないことは重々承知していますが、バスケ以外の世界を知っているからこそ、外の視点で物事を考えられる。これはプラスになるんじゃないかと。
でも、引退した直後にバスケ関係の仕事に就いて、仮に40歳から全く新しい仕事をしたい、となっても受け入れてくれる会社を探すのはめちゃくちゃ難しいだろうな。当時はそんなことを考えて引退直後にバスケ関係の仕事をする道を自ら断ちました。
今までの自分を手放す勇気
別の視点から言うと、アスリートの多くは、選手としての役割が終わることによって、自己の存在理由が揺らいでしまう、「アイデンティティの喪失」という問題があります。
自分が何者でもなくなってしまう恐怖。でも僕は、それでいいじゃないか、とも思うのです。外の世界に出てみると、みんなバスケのことをほとんど知りません。ワールドカップやオリンピックで盛り上がったじゃないか。と、関係者がいくら思っても、選手の名前すら知らない人がほとんどなことに驚きました。それくらい狭い世界なのです。
さらにサンクコストと呼ばれる心理的な要素も関連してきます。サンクコストとは、日本語に訳すと「埋没費用」。すでに支払ってしまった、もう取り返せないコストのことです。要は「もったいない」精神のことで、すでに投資する合理的な価値がなくなっているのにも関わらず、投資したお金、時間、労力などをもったいなく感じ、投資を続けてしまう心理のことをいいます。
これがそのまま引退後のキャリアを選ぶ時にも当てはまります。「せっかく今までこんなに頑張ってバスケをしてきたんだから、バスケ関係の仕事をしなきゃもったいない」といった具合に。しかし、バスケの仕事を長く続ければ続けるほど、次の仕事を始めるのが遅くなります。年齢を重ねることを考えると、新しい仕事に就くチャンスもだんだん減っていきます。
もちろん、バスケ界でずっと働くと決めた場合は全く問題ないと思いますが、周りを見ていると、引退直後はよくても数年後にこんなはずじゃなかった、と悩むケースも多いように思います。
さらに、先ほども書きましたが、選手と、コーチをはじめそれ以外のバスケ関係の仕事は全く別の職業です。今までコーチングやマネジメントを学んでこなかった人にとっては未経験で始めるも同然だと僕は思います。「同じ未経験ならバスケ以外の世界も見てみよう」と考えて僕はコピーライターを目指しました。無名選手からプロを目指したくらいですから、ゼロからのスタートには慣れています。
また、今までの経験は全く無駄かと言われると、そうではないと僕は思います。「チームで仕事をするために、自分以外の人と協力する力」、「結果に一喜一憂する前に、準備を徹底する」、「目標から逆算して今やるべきことを考える力」、「矢印を自分に向ける自責思考」など、分野は違えど、どの仕事でも大事になるような、アスリートならではの能力はたくさんあると実感しています。
なので、セカンドキャリアを考える上では、必要以上に怖がらずに、「今までの自分を一度手放してみる」ということが大切だと思うのです。以前のnoteにも書きましたが、やったことがないことは、自分が好きかどうか、向いているかどうかなんてわかるはずがありません。まずは自分が興味ありそうな競技以外の仕事をやってみる、そしたら自分が持っている意外な価値や感情に気づくかもしれません。
世間の声を聞くか、自分の声を聞くか
「名詞ではなく動詞で選ぶ」、「外の世界を見たい」という2つの理由で今の職業を選んだわけですが、大学3年時の1度目の決断も、引退後の2度目の決断も、「自分は何がしたいのか」をとことん考えた結果たどり着いた答えです。
当時は、大学でバリバリ活躍してスカウトされる以外でプロになった人はほとんどいなかったし、バスケ選手からコピーライターになった前例は聞いたことがありません。
他の人にとっての普通の道が、自分にとっては普通ではない。「みんな」と「じぶん」は明確に違う。世間の正解が、自分の正解とは限らない。
自分の声に素直に生きよう。
そんな想いでこれまでの選択をしてきたように思います。
まとめ
セカンドキャリアに悩んでいるアスリートに伝えたいことがあるとしたら、
競技以外の世界に触れてみてほしい
レールから外れても意外となんとかなるから大丈夫
時間がかかってもいいから、自分の声に耳を傾けてほしい
といったところでしょうか。
長くなってしまったので今回はこの辺で終わりにします。次回は「現役中に引退後の準備をした方がいいか」や「引退した時に感じた世間の厳しさ」といったような引退後に感じたリアルを書こうと思います。
コピーライターとしてはまだまだ学ぶことしかないし、成功したわけでもなんでもないので偉そうなことは何も言えませんが、プロバスケ選手から転職して2年目(もうすぐ3年目)の絶賛セカンドキャリア挑戦中の超個人的な話だと思って聞いてもらえれば嬉しいです。