応援のちから
パリオリンピックが幕を閉じましたね。
僕は自分がやっていたスポーツ(バスケ)の他には、にわかファンとしてルールも詳しく知らないままにいくつかの競技を観ました。
面白かったし、感動したし、嬉しかったし、悔しかった。オリンピックを観て感じたことは山ほどありますが、すべて書くと長くなってしまうので今回は「応援」というテーマに絞って感じたことを書いていきます。
「応援のおかげで勝てました」は本当か
オリンピックをはじめスポーツ選手のインタビューでよく聞く言葉として「みなさんの応援のおかげで勝つことができました!」というのがありますよね。
みんながこぞって使うこのフレーズは、果たして本当に心から思っての言葉なのでしょうか。それともある種テンプレート的な言葉として使っているのでしょうか。
結論から言うと、本当に心から思っての言葉だと思います。というのも、僕も2年前までバスケ選手をしていたのでよくわかるのですが、応援のちからというのは本当に大きいものなのです。
現役時代、ホーム無敗の30連勝(シーズン60試合中)という大記録を達成したことがありました。この時、応援というのはすごい力を持っているんだと強く感じたのを覚えています。応援を身近に感じられるホームだからこそ成し遂げられた結果だと。
1点を争う試合。終盤のディフェンスコール。気持ちの高揚。あと一歩が踏み出せる。そんな風に応援のちからで勝てた試合がいくつもありました。
わかりやすくホームの話を例にしましたが、アウェイでも足を運んで応援してくれる人はいるし、勝っても負けても、画面越しでもSNS上でも同じことです。
この「応援してくれている人がいる」ということが常に僕の背中を押してくれていたように思います。
無観客試合で感じた応援のちから
そのことを一番強く感じたのが、コロナ禍で経験した無観客試合です。どこか練習試合のような雰囲気で、気持ちを上げるのが難しかったのを覚えています。
いつもいるはずの「応援してくれる人」がいない。それだけで、ものすごく物足りなさを感じました。「相手がいて試合をする」ということは何も変わらないはずなのに、観客がいないというだけで、こうも気持ちが違うのかと。
改めて応援のちからの大きさを実感する出来事でした。
本当はこんなことを経験しなくても気づくべきなのですが、大事なことはいつも失って初めて気づかされます…。
応援されるということ
スポーツ選手やミュージシャンは、この「自分を応援してくれる人の声が直接聞こえる」という意味ですごく幸せな職業だと今になって思います。
一般的には仕事をしていて、「応援しています」と直接言われることは滅多にないでしょう。自分が関わっている商品やサービスを使ってくれたり、買ってくれたりという意味ではそれも応援の一種かもしれませんが、直接「応援しています」とはなかなか言われません。
ものすごく恵まれた環境にいたんだなと。これも現役を引退してみて初めて気づくことのひとつでした。
応援の声を届ける
かつては当たり前にあった「応援」というものを、スポーツ界から離れた今となっては体感することもめっきり少なくなりました。そんな「応援のちから」について改めて考えさせられたオリンピックでした。
オリンピック選手のように日常的に応援されることは難しいかもしれませんが、応援の声を届ける方は意識さえすればできるのかなと思っています。
応援は、ちからになる。
これからは小さなことであっても、頑張ってほしいと思うモノや人に出会ったら積極的に応援していこうと思います。
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