妄想閑話、宗教のこと、

妄想閑話、宗教のこと、

あれこれ宗教にまつわる書籍を読みました。そして至ったこと。
1、宗教とは明日のお約束。生きるための保証。明日はいいことがあるからねと。
2、宗旨、教義、聖典、教えはどうでもいいらしい。安らぎの一言が主旨。誰も信じることに根拠を求めていない。
3、科学は古典宗教よりも受け入れやすいから、宗教に代わっている。事は同じ。
4、宗教団体は戸籍情報を持っている、それは集団の管理にとても好都合。
5、神は創造主なのだから生殺与奪を握っている。あなたを殺すのも相手も殺すのも神の意志ならば良し。国の支配者はそれを使う
6、戦争は結局、ほしいものを手に入れたい、取られたくないものを守りたいに尽きる。支配者は神にそれを願う。

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1、私たちは今を生きるために、明日ぬ向かうために存在している。そして生きるための動機(モチベーション)が必要。あなたが想う娯楽が消えた世界を想像してほしい。少し前、死は身近な問題でした。子供はどこでもいつでも大人より多い。自然の中では子供が成人まで生きるのは希なこと。小さな切り傷だって、発熱だって薬がなければあっけなく亡くなる。その中で、大丈夫祈れば明日には元気にしてくれる、という言葉こそが信心の要。
2、信じることに根拠はいらない。反宗教の本では、聖典や教義、言い伝えなどの、時代や物理的距離、人間関係、散らばる言葉の整合性を解いて矛盾を突いているいるけどそれは虚しい。科学とてその理論の根拠、整合性をどこまで理解、齟齬の排除ができているかは突き詰めようもない。それが無くても心の中には根拠や納得が生まれてくるものだ。そこに安堵と安らぎが伴えばそれ以上はいらない。
 聖書や教義、法典に矛盾や齟齬があるのはある意味納得できる。様々な時代やいろんな地域において都合のいい寓話や逸話を取り込んで人々の気持ちを慰んできたと思われる。ある時期にあちこちの寓話を集めて聖典にまとめて記述しただろうし、できてからも加筆修正、あるいは自分たちの都合に合わせて書き換えているだろう。整合性はいらないのである。
3、科学も宗教も同じ土俵にある。コロナワクチンを打つか打たないか。その根拠はどこに?ワクチンの原理やウイルスの生体内での所作や化学反応を理解した上で判断する人はかなり希。つまりは誰かが言うこと書くことを受けて、安心または不安の感覚が生まれる。ワクチンは大事よねとか、陰謀だとか。個人の判断でご利用ください。キャスパー9は大丈夫とか、教祖様が打たないからとか、あなたが打つならわたしもとか。信じるものは救われる、そこに開かれているのが聖典なのか、サイエンス、ネイチャーがあるかの違い。
4、集団が大きくなることで内部にも外部へも強くなる。集団は自然と大きくなるもの。お友達は大切。仲間は自分を守ってくれる。集団への帰属、依存は安心で心地よい。親から子へ、友へ帰属は進んでいく。
 さらに現実的に、宗教は生誕、成人、恋愛、結婚、死亡、に関わっているので戸籍を担っている。不倫や非摘出子をも知っているかもしれない懺悔とかで。政治が変わっても国境が変わっても時代を経ても、遡って戸籍、血筋を管理できる。近代科学でも血統を追うとき、その地域の教会を訪ねている。ちなみにメンデルは教会の世話をしていて豆を育てていました。地域おの管理政策の上でその利用価値は大きい。おおきな集団は支配者に利用、擁護されてさらに大きく広がっていく。
5、6、戦争、革命、テロ、などの大事には、神の意志、神の言葉、天国への補償がもれなく付いてくる。誰が神の言葉を聞いたのかが問題なのだけれど、それは不問という暗黙の了解がある。支配者は創造主~神の声が聞こえる人を身内に持っている。弾を抱いたしもべは神への熱い思いのまま召される。神の代弁者はそのご加護を得て末代まで栄えていく。
 以上、妄想閑話

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