高木監督の言葉も聞けた新入選手お披露目会
記事の初公開日:2016年 01月 17日
Vファーレン長崎に加入した新しい選手たちのお披露目記者会見が行われた。
今回は長崎駅のかもめ広場。駅を利用する人たち、ショッピングモールの買い物客たちもいるオープンなスペースでの会見とフォトセッションだったけれど、これ成功だと思う。300人ほどの参加とメディアに報道されていたが、そのほかにもいろんな人が興味深げに足をとめたり、振り向いて眺めて行っていた。
選手たちは「白いかもめ」に乗って改札口から登場するという演出になっていた。
ヴィヴィくんに先導されて登場する選手たち。これ改札口側から登場のためのシナリオだけだと思っていたら、他の方がネットにあげた映像を見てびっくり!
選手たち、本当にかもめに乗って来ていた!改札口で一人一人切符を駅員さんに渡してるのだ。
こんな嘘のないところ、いいね。映像ではロドリゴくんが切符渡すのにモタモタしててほのぼのとなった。
ひとまわり自己紹介や質問タイムのあと、高木琢也監督がロータリー側から登場。
今シーズンの決意を「初心」という言葉に択して話された。
「初心忘るべからず」とよく言われるがこの初心は物事を始める最初の志しのことと一般に思われている。
しかし、初心にはもう1つの意味があって、これは室町時代の書に書かれているが恥のことでもある。Vファーレン長崎は2度のプレーオフで負けた。J1に上がると言って上がれなかった。それを恥として、その恥を忘れずに、今年こそ大願を果たしたいというような話だった。
聞きながら思ったのだが、高木監督が言われる室町時代の書というのは、おそらく世阿弥の「花伝書」ではないだろうか。
「花鏡」の中で「初心忘るべからず」と言っていたと思う。この中には是非の初心や時々の初心や老後の初心といういろんな初心があってそれぞれ忘るべからずと説いている。
高木監督は、初心にサッカーを始めた時の初心や、最初のプレーオフを戦ったときの初心やJ1に上がると誓った時の初心みたいなことを重ね合わせて言われているのだろう。それを叶えられずいる状態を「恥」と捉えているところが、高木監督らしい部分なのかな。
若い時に初心を成して周りからほめられたら有頂天になり自分のことを過大評価してしまう。でもそれはその道を極めたわけでなく、その姿ほど浅ましいものはない。自分の未熟さに気がつかなければ芸の道はそこで止まってしまう。未熟な時の浅ましい姿を恥と思って、精進を重ねれこそ本当の道をきわめられるみたいなことが「風姿花伝」に書かれている。
おそらくこのことを言われているのだろうと、勝手にかんがえている。(間違っているかもしれないから、あくまでも私見)
監督の言葉はぐっと重かったけれど監督も選手も爽やかな笑顔だった。
諫早のサポ集団「KATARODE」さんが監督の横断幕を掲げてくれていた。監督うれしかっただろうな。
それにしても新しい選手は14人(2人がライセンス取得のための講習で欠席だったが)、覚えきれません。昨シーズンの選手名鑑に付箋をつけて、選手たちの顔や名前、プレースタイルをチェックしたが、やっぱり実際にプレーを見なければわからないなあ。
ただ1つ言えることは、今シーズンもVファーレン長崎の選手たちのプロポーションは日本人離れしている。ほとんどの選手が180センチ以上だ。長崎の走るサッカーではぽっちゃりの選手はついていけない。みんなそぎ落とされた鋼のような肢体だ。
練習場で黒づくめのゴールキーパーたちなど190センチ前後だもの、海外アクション映画や劇画で見るようなプロポーションだ。これは近寄り難いかも。
それに比べればフィールドプレーヤーは身体もプレーもそれぞれのスタイルがあって華やかだ。
イケメンが見たいぞという気持ちからでもいいから、一度プレーを見に来てほしいなあ。
練習見学でもすごく楽しめる。
今シーズンはスタジアムに来てくれる人を増やしたいなあ。
新しいファンが増えるように、微力でも協力したいと思っている。
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