一生懸命やっても認められるとは限らない職業
「私は一生懸命やっています。」
その通り、一生懸命やらない人はその地位につくことすらできないだろう。
一生懸命やるのは当然のことであって、加えて高度な情報収集能力や分析力、判断力、決断力を発揮することが求められるし、強い責任感が必要とされる。
いかにして自分が責任をとらずに済むようにするか、考えを巡らせながら立ち回っている権力者ほど、見苦しいものはない。
己の矜持はないのかと首をかしげたくなる。
たとえば「トラックを走らせて荷物の集配をしている」人の一生懸命さと、権力者の一生懸命さを同じ土俵で語ることは妥当ではないと思う。
「自分はみなさんと同じ方向を見ています。自分も同じように一生懸命です。」などと言うのは、笑止千万である。
同じはずなどないのだ。普通より高みにいないと見えないことが、きちんと見えていなければならないはずである。
おごり高ぶるとか、権力を傘にきるとか、そういったことからはできるだけ遠いところにいてこそ、人を束ねることが可能になる。
とてもじゃないけれど、並みの胆力では無理そうである。このくらいにしておこう。
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