死についての話・DNARの話
医療者にとって死について話し合うことは、難しさを感じるコミュニケーションの1つです。そのため、医療者(特に主治医)は、患者さんに‘死’のことをギリギリのところまで話しません。周囲の医療者から見ると「そろそろ伝えておいた方がいいのでは?」と思っているような場面でも話していないことがあります。(もちろん、適切に話される方もいますので、すべての医療者に該当するわけではありません。)
患者さんの病気が進行したときや周囲の医療者からDNARを’取る’ように促されたときなどでなければ、なかなか話をしません。死の話をしない方が医療者自身の気持ちが楽なのです。
今回は、死について、DNARについての話です。多くの場合、死について話をするとき、DNARの話も一緒に出てきます。さて、どんな注意点があり、どのように話を進めていけばよいのでしょうか?
死について話し合うタイミングはDNARを話すときだけではない
先ほどの述べたように、なかなか死について話せない医療者はいます。非常に差し迫った状態(例;今にも亡くなりそうな状態)のときまで先延ばしにすると、患者さんや家族は1回の話し合いですべてを決めなければなりません。これは、急な方針転換を迫られるため精神的苦痛を伴います。患者さんによっては、「これまで先生は、私の病気を一生懸命に治療してくれてた。先生と一緒に頑張ってきたのに、急に見捨てるなんて…どうして…」と感じるでしょう。悪いことに、意識が悪くなった患者さんの代わりに意思決定をしなければならなくなった家族にとって、「親の生き死にの選択を自分がしなければならないのか?」という重責を負うことになります。
医療者には目の前の患者さんの病気がどのように変化し悪化しているか、亡くなりうる状態であるか、すでに理解しています。しかし、患者さんや家族はそうではありません。迫りくる死を理解し、受け止め、恐怖に打ち勝ち、前に進むまでの時間が必要です。
繰り返します。患者さんは自分の命が死に向かっていることを受け入れられるまでは、心肺蘇生に関する判断をすることはできません。もちろん家族もそうです。
ACP (Advance Care Planning) で知られているように、事前に患者さんと家族と人生観、価値観を共有することが理想です。しかしながら、救急外来では「初めまして。こんばんは。医師の〇〇です」と言いながら初対面な患者さんもいます。もし、そのような患者さんがかかりつけ医でACPを行っていれば、価値観や人生観を確認していくことはたやすいのかもしれません(実際は、かかりつけ医でACPをしてきた患者さんは少ないです)。
「ACPはプロセスが大事」と言われています。個人的には、「患者さんの価値観・人生観についてみんなで共有する」ことが大事と感じています。
DNARは「取る」ものではない
医療現場では、「DNARを取ってきました」と言う人がいます。残念なことです。本人は意図していないかもしれませんが、患者さんや家族の意志に関係なくDNARを「とる」ことを目的にしているのでしょう。患者さんの選択の自由が「あなたはDNARしかありません」という医療側の決定にすり替わっているのかもしれません。違和感を持たずに「DANRを取る」という言葉を使い、最終的に医療現場の文化として定着した結果、DNARは「取るものだ」という認識になってしまうほうが怖いです。細かいことですが、「DNARを確認した」と表現する方がよいでしょう。
死について話は患者・家族から嫌われる!?
医療者が死について話すと、患者さんや家族から嫌がられたり、怒られたり、離れていったりすることがあります。
キュブラー・ロス氏の著書「死ぬ瞬間」にある死の受容過程-否認、怒り、取引、抑うつ、受容-に照らし合わせると、患者さんや家族の行動は当然のことです。急に死についての話があれば、誰でも、否定したり怒ったりするものです。死の受容過程からも、人は順を追って死を受け入れることになります。死を受け入れることができて、「(心肺蘇生は)しないでほしい」と希望するのかもしれません。逆に、死を受け入れられない(理由がある)からこそ、「いろいろな処置をしてほしい」と言うのです。
医療者は死について話すことを躊躇する
医療者が死について話すことに躊躇するのは、話した後の患者さんや家族との関係が悪化することを恐れたり、感情への対応が分からなかったりするからです。そのため、死について話すことを避ける医療者の様子が、意図せず患者さんや家族に伝わり、死について話さないことが普通であると認識されうる危険性があります。
医療者は、患者さんや家族の感情に向き合うように訓練することが望まれます。患者さんや家族が放つ感情は強烈です。向き合うこと自体が苦しいときもあります。
死について話し合ってみよう
DNARの話をする理由を認識する
今、DNARを話す理由は何か?
緩和ケア医には慣れ親しんだ言葉ではありますが
“Hope for the best, and prepare for the worst”
という言葉があります。
この言葉の意味である「最善を願いつつ最悪に備える」精神で患者さんと家族に向き合い、DNARの話をしてみましょう。
患者さんの価値観を確認する
緩和ケア医だけでなく医療者は患者さんの価値観を知りたいと思っています。
↓ 患者さんの人生観・価値観を知るための話 参照 ↓
DNARをするような場面であれば、「もしも残された時間が限られていると分かったら、どんなことを一番大切にしたいと思いますか?」と問いかけてもいいでしょう。
病気の全体像を確認する
患者さんと家族に病気の話をするときは全体像をイメージできるように話をしていきます。つまり、
末期がんの状態
→体力が減り食事も少ない
→肺炎を起こした
→酸素化低下
→生死にかかわる状態
という流れで病気の状態を共有します。
病の軌跡(下の写真)を用いて、今の身体の状態が、病気の経過のどのあたりに位置しているかを示す方法もあります。
治療方針を話すなかでDNARに関する提案を行う
患者さんの価値観に沿った医療内容を提案していきます。
「あなたのおっしゃっていたことをもとに提案をしてもよろしいですか?」
と患者さんに許可をもらいながら、話を進めます。この「許可をもらう」という過程は、この話は患者さんに主導権があります、と暗に伝えています。もちろん
“Hope for the best, and prepare for the worst”
の精神で、「悪くなった時のことも心配しています。」と伝えながら、DNARに関連する話を切り出します。
「〇〇さんが大事にしていることを考えると、悪くなった時の最期の瞬間は、呼吸器をつけたり、心臓を押したりするような苦しいことは控えた方が良いと感じました。〇〇を大切にされているようだから、できるだけ〇〇が叶うように配慮したいと思います。この提案についてどのように思われますか?」 とDNARに関する内容を合わせて提案していきます。
最後に
どんな時でも、患者さんの価値観を確認しながら治療方針を決めていくことが望まれます。今回の例は救急搬送された患者の入院時説明の場面を想定して記載しました。もちろん、患者さんの価値観の共有は、病気が安定しているような外来通院の場面でも可能です。
死について話し合う、DNARの話をするとき、患者さんや家族の感情は大きく揺れます。感情が揺れて嵐になってしまう可能性がある話をしているという認識を持ち、心の事前準備をしておくことは医療者には必要です。医療現場で働いている限り、そのような話をする場面は必ずあるので。
今回取り扱った内容は人によって考え方が異なる場合があります。多数の意見があります。1つの考え方として捉えていただければありがたいです。