ラブホテルとニッポンの街の発展の関係について考えてみませんか?【東京の観光地】
海外では町外れで多く見かけるバックパッカーの宿。宿があるのは、町外れの坂のだいぶ上のほう。街灯もない町外れ。暗い。延々と続く坂道。きつい。
市街は物価が高く、安宿は必然的に町外れになっていくことが理由です。
あまりバックパッカー向けの宿に馴染みの薄い日本では、町外れの宿で連想されるのはラブホテルではないでしょうか。
ところで、海外には“性行為を目的とした専用のホテル“というものがほとんどないのをご存知でしょうか?
自動車旅行者のための簡素なホテル「モーテル」も、ラブホテルを想像しがちですが、ちょっと違います。
モーテルとは、英語でMotelと書き、Motor Hotelの略。旅人達が簡単に車と一緒に泊まることができるようになっているというわけ。アメリカ式のモーテルと普通のホテルの違いは、町の中心部に建つ傾向があるのはほとんどがホテル。 郊外などの幹線道路沿いにあるのはほとんどがモーテルです。
それではなぜ、日本の「ラブホテル」という独自の施設が、都市部で育っていったのでしょうか。
不思議の国、ニッポンの都市部のラブホテル
ラブホテルはカップルが人目を忍んで訪れる場所なのに、その一角は随分と派手な外観です。
立地は街はずれで、それぞれが隣の駅まで食い込んでいます。渋谷にとっては神泉。新宿にとっては大久保。池袋にとっては大塚。上野にとっては鶯谷。横浜にとっては黄金町。
街が大きければ大きいほど中心地から遠くなっていることが分かります。
つまり「街の規模を図る基準」になり得るのです。
言い換えれば、”そういう街として発展してきた”、という見方がいいのかも知れません。
東京の中で、上記のような発展をしてきた街の、多くが山手線の駅であること、そしてどの街も歴史があるところが、興味深くあります。
ライブハウス街としても有名な円山町。屋上からはこんな光景が広がる。
発祥は、将来が不安定な女性たちが、自分の稼ぎで暮らしを安定させる。
当時、花街の周辺には、家を与えられた“お妾さん”が多く住んでいました。たとえば渋谷・円山町にラブホテルが多くなったルーツのひとつです。
渋谷ホテル旅館組合の名簿で、創業者の半分くらいが女性だということがわかりました。
昭和初期頃の話ですから、女性が事業を起こすのはどれだけ大変なことだったでしょうか。円山町の花街周辺に暮らす女性は、正妻ではない方が多かったと聞いています。
お妾さんのような立場で家を与えられてはいても、その先の保証はない。そこで自宅の一部などを旅館にしたことが始まりだと考えられています。最初は料理も出していたようですが、利用者の要望などに応えるうちに、部屋を時間貸しするというスタイルに変化していったようです。
〜中略〜
花街周辺で暮らす女性たちはプライドよりも生きるための術を優先しました。覚悟を決めていた女性が多かったんだと思います。どんどん看板を立て、繁盛すれば増改築を繰り返し、木造から鉄筋に建て替え、やがてラブホテルに、といった形に発展していきました。〜略〜 花街で暮らす立場の弱い、将来が不安定な女性たちが、自分の稼ぎで暮らしを安定させる。子どもがいる方は育て上げ財産を残した。凄いことです。(Leon より)
玄人の女性が客をとる貸間なら江戸時代から存在していましたが、一般のカップルも利用したのは昭和初期の「円宿 えんしゅく」(一泊一円の安旅館。転じて、つれこみ宿。)が始まり。
戦後の復興時、都市部では、働く人々が大量に流入し、宿泊施設のニーズが高まり、商人宿が続々と建てられました。そのころの日本は、自宅にプライベート空間がない家が多く、夫婦や恋人がゆっくりふたりで過ごせる場がありませんでした。
だからこそ、カップルもこうした宿を利用し、旅館や時間貸しの部屋は繁盛。カップルの利用を見込んだ旅館は、繁華街やその周辺に集中し、いつしか「連れ込み宿」と呼ばれるようになったようです。
こうして、”都市部の歴史のある町並みに隣接するラブホテル街”が形成されました。
横浜・黄金町。戦後の混乱期を契機に、外観は呑み屋や小料理屋、旅館を装った風俗店で盛り上がったが、隣住民の浄化活動と神奈川県警の一斉摘発、行政との三位一体で「街の浄化」に取り組み一掃された。だが、その代償として街から人がいなくなってしまい、無人となった店舗がそのままになってしまった。
東京の観光地「Love Hotel Hill」とは
渋谷・円山町が、都下有数のラブホテル街であるというのは、首都圏在住者で無くとも既に知っている情報だと思いますが、実は「Love Hotel Hill」という日本人にはなじみのない英語名でも呼ばれているのはご存知でしょうか?
試しに検索してみてください。
ミュージシャンや、普通のライブ好きには見慣れたO-WESTや、GATEWAYスタジオの画像が、ズバーンと出てくるはずです。どこがホテルじゃい!と言いたくなる感覚って、この街を見慣れすぎてて狂っているっているのでしょうか?
日中は「休憩」と呼ばれる1〜3時間利用、または通常は午後10時以降に開始されるコースは「滞在」と呼ばれ、一晩中、部屋を借りることができます。
その名前が示すように、ラブホテルの主な目的は、カップルが邪魔されない時間を一緒に過ごすための部屋を提供することです。
など英語の旅行サイトで紹介されているのが、面白いですね。
ラブホテルと街の関係性について考えてみませんか?
ラブホテルの発展は戦後の発展期及び60~70年代の高度成長期。
当時、すでに街として発展していた場所は、町外れから隣街まで食い込まざるを得ませんでしたが、まだ開発の余地があった新興的な街は、「街の中心部」にラブホテルが建てられたと考えられます。
例えば、五反田、錦糸町、北千住、立川 辺りが、それにあたるのではないでしょうか。
これらの街は、平成以降マルイ、ルミネ、パルコ等商業施設が相次いで出店し、急速に街として発展していきました。
そう考えると、日本の街の発展する要素として、「性」は切り離せないものだと認識します。これだけ「性」に連動した発展形式って日本特有の文化かも知れません。
ただ現在、風営法の規制によって、新規の街としての「性」の発展はしにくくあります。
言い換えると、これまでのような「性」と連動した街の発展はしにくいのでは無いかと考えられるでしょう。
それでも「性」は、人間生活に深く結びついているのも事実。
今後の陽たる街の発展と、隠たる性の発展。
どう帰結していくのか気になるところです。
□ ライター オキツカズヒロ / コラム 前田紗希
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