“推しではなかった”浅倉樹々
皆様ごきげんよう。
4月2日のひなフェスをもって、つばきファクトリーおよびハロープロジェクトを卒業した浅倉樹々(以下樹々)。そんな彼女は5月8日、個人ブログである“キキポスト”を開設しました。
もう、とにかく嬉しかったです。卒業してからずっと、インスタの更新を含め、情報のアップデートがないか毎日のようにチェックしていました。今まで卒業していったハロメンの中で、ここまで動向を気にしていたのは樹々が初めてです。
キキポストもそう。理子(山岸理子)であったり、豫風ちゃん(豫風瑠乃)と遊びに行った時もそう。“元気そうで良かった”と、まるで親のような感情を抱いていました。
学校が忙しいこともあったんでしょう。なかなか更新がされないときは、少しもどかしい気持ちもありました。
卒業がリリースされてからひなフェスまでは約7か月間。そしてそこから約2カ月が経った今でも、寂しく思うことは多々あります。
直前まではどうやっても前を向けないくらい、辛くて悲しい気持ちが先行してばかりでした。
まるで9月7日から時が止まっているような感覚。そう思えるくらい、特別な存在でした。
自分は、彼女に対して、“推し”とはまた違う気持ちを感じていたのではないか?最近ふとそう考えるようになりました。
そもそも、“推し”とはどういう意味合いなのだろうか?改めて調べてみました。文法的には、動詞である“推す”の連用形。または、それをそのまま名詞として用いています。
“推す”というのは、人や事物を他に薦めたり推薦すること。女性アイドル、俳優や女優、アニメのキャラなどを指すことが多いです。
“推しメン”という言葉を略した形でもあり、“メン”は“メンバー”のこと。アイドルなどで、自分が応援している人を表していましたが、次第に広い意味で用いられるようになりました。
ハロヲタというもの、“推し”の動画や画像を見ると、口角が上がったりすることが多いイメージがあります。実際自分も、れら(伊勢鈴蘭)やかなみん(石栗奏美)、なつめ(中山夏月姫)のときはそうです。
でも樹々のときは違う。頬が緩むと言うよりかは、心が落ち着き、純粋に喜びを感じられるといったものだろうか。
嫌なことがあっても、樹々の本気で取り組む姿を見ると元気をもらえました。“また頑張ろう”と心の底から思えました。人生における、何よりの活力でした。
ああそうか。
浅倉樹々は、自分にとって“生きる希望”なんだな。
樹々は、椎間板ヘルニアで2度活動休止になっています。デビューしてから今まで、辛いことも数えきれないくらいあったはず。
それでも、中心メンバーとして長年活躍してきました。ファンや仲間のことを第一に考え、辛い表情は見せずに突っ走ってきました。
樹々は本当に、強くて美しいという言葉がよく似合う人だ。それはまるで、地面に根を張るツバキのよう。
ツバキのようにたくましく華麗に咲き誇り、“至上の愛らしさ”と“控えめなやさしさ”を兼ね備えていた。後輩が尊敬のまなざしを送るくらい、目の前のことに本気で取り組んでいた。
初めて好きになったメンバーというのもあるかもしれません。卒業が発表されたとき、正気を失ったように涙が止まらなかった。しばらくの間、全てのことに対して身が入らなかった。
ここまでの気持ちになったのは、まさしく“生きる希望”だったからこそ。どんな花より気高く、美しく咲き誇るその姿が、何より糧になっていました。
どうしようもなく辛い時には、いつも樹々が歌ったり踊ったりする動画を見ていました。一切の妥協はないし、常に全力。そんな姿に何度も励まされてきました。
数えきれないくらい愛をもらってきたし、どん底から救ってくれました。どれだけ言葉を並べても、感謝の思いは尽きません。
これからも、自分が描く夢に“誇り”を持ってほしい。やりたいことに向かって、全力で突っ走っていってほしい。
誰が何と言おうと、世間の価値観がどれだけ変わろうと、自分にとって何より輝く“fomalhaut”なことに何ら変わりありません。
ずっと応援しているし、叶えたいことがすべて叶うことを、心の底から願っています。樹々の思う“最上級Story”を作り上げていってください。
そして、やっぱり…
大好きです。