浅倉樹々が卒業して1年経った
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プロフィール
本編に入る前に、浅倉樹々さんのプロフィールを掲載しておきます。
はじめに
皆様ごきげんよう。
今日は4月2日。テレビ朝日ではあの国民的アニメ「ドラえもん」の放送がスタートした。
また「マッチ売りの少女」や「人魚姫」で知られる童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンや、女優の桜井日奈子さん、堀田真由さんがこの世に生を受けた。
そして1年前の同じ日、一人のアイドルがハロプロから旅立った。
浅倉樹々。つばきファクトリーの初期メンバーであり、エースとして長きにわたり活躍してきた。全員で行う「つばきファクトリーです」ポーズの考案者でもある。
現在はM-line clubの一員としてソロ活動を行うかたわら、動物専門学校に通い勉学に励んでいる。
彼女は僕がハロプロで初めて、いや人生で初めて好きになったアイドル。他のメンバーとは全く違った思い入れがある。新たなステージへ歩み出してから365日。時が経つのはあっという間だ。
スポーツ好き
元々僕はスポーツが大好きな、ごく普通の関西人。陸上競技、サッカー、プロ野球を主に趣味で追いかけていた。
中高6年間は陸上部に所属。短距離走者だったから、トラックで走る時間は長くても1分ほど。その一瞬のために練習を重ね、ベストが出たときは何にも代えがたい喜びがあった。今でも、世界陸上やオリンピックの中継は可能な限りチェックしている。
大阪に住んでいたころから、福岡ソフトバンクホークスのファンでもある。もう10年くらいだろうか。これまでのリーグ優勝、日本一の瞬間はどれも印象的だ。福岡県民となった今は、時々PayPayドームに足を運び、選手の活躍をカメラに収めている。
名古屋グランパスも好きなチームだ。豊田スタジアムにはもう3年近く行けていない。だが鳥栖や福岡といった九州のアウェーゲームにはほぼ必ず参戦。ゴール裏で飛び跳ねて声を枯らす。今年はまた豊スタにも訪れたいものだ。
とまあこのように、生活のそばにあったのはスポーツ。アイドルになんか全くもって興味がなかった。ハロプロは“ハ”の字すら知らないし、モーニング娘すら知識はほとんどなし。無頓着極まりなかった。
広島での出会い
浅倉樹々と初めて出会ったのは、一昨年7月16日の広島公演。福岡や大阪じゃないのがこれまた面白い。
その日は色々あり、つばきファクトリーのライブに行くことに。生で観るのはもちろん初めてだったけど、色とりどりで個性豊かなツバキが華麗に咲き誇っていた。レベルの高さ、華やかさ、本気度に魅了されてしまった。
その中に、ひときわ輝く一輪の花が。
「やさしくされちゃったら 揺らいじゃう」
当時発売直後だったアドレナリン・ダメのAメロ。
その一発目を歌う女性に、一瞬で心を奪われた。
浅倉樹々に堕ちた瞬間だった。
気がつくと、彼女ばかり目で追いかけていた。
整った顔立ち、芯の強く美しい歌声。「端正で凛とした美しさをたたえつつ、エバーグリーンな瑞々しさと強さを備えた」という、つばきファクトリーの由来をそのまま表していた。
そこから目の前の世界が、宝石の屑をちりばめたように輝いて見えた。地方の会場の一つだったのに、まるで日本武道館や横浜アリーナにいるような感覚だった。
帰りの新幹線でハイボールを飲み、駅弁を食べながら感じた、言葉で表せない高揚感と幸福感。あれは一生忘れられない。
他にも素晴らしいメンバーがそろう中で、なぜ浅倉樹々だったのか。いまだに分からないけど、“応援する”と心に誓ったことに何の後悔もしていない。
突然の卒業
その分、2ヶ月後には正気を失った。
9月7日、2023年の春をもってつばきファクトリーおよびハロープロジェクトを卒業することが発表。本格的に動物のことを学ぶため、動物専門学校に通って知識を深めるとのことだった。
青天の霹靂という言葉が、皮肉にもよく当てはまる。タケ(竹内朱莉)やふくちゃん(譜久村聖)の場合は、薄々覚悟していた部分もあった。でも樹々の場合は全然違う。全く予想していなかったところに飛び込んできたニュースだった。
卒業を知った瞬間、どんな気持ちだったかは正直よく覚えていない。全身から魂が抜け落ち、身体が病人のごとく震え、膝から崩れ落ちたことだけは何となく記憶している。
本人は自らの夢のために意思を固め、強い覚悟を持って退路を断つ決断をした。並大抵の思いでないことは、素人目線で見ても明らかだ。
でも当時の自分に、そんなことを理解できるわけがない。“浅倉樹々が卒業する”という事実が先行するばかり。頭で考えるより先に、身体全体が卒業に対する拒否反応を示していた。
目の前は一瞬で真っ暗に。
床にうずくまり、激しく嗚咽した。
間違いなく、あの晩は人生で一番泣いた。
これまでアイドルの卒業を目にしても、他人事のようにしか思えなかった。樹々の4日前にはかえでぃー(加賀楓)のリリースがあったけど、それすらピンとこないほどなんだよな。
だけど自分事になると、こんなにも辛くて苦しいものなのか。しばらく全てのことに身が入らなくなっていた。
他界隈のアイドルヲタの友人が、推しの卒業を悲しむ気持ちがわかる気がした。嫌でもその日はやってくるし、僕たちにはどうすることもできない。受け入れるしかない。
分かってるつもりだけど…
なぜこのタイミングなのか?
今じゃなきゃダメなのか?
嘘であってほしい。
まだまだキャメリアンでいてほしい。
そう思わなかった日は一度もない。この日以来、自分の中で時が止まっていた。前へ進み続ける樹々とは違い、9月7日に取り残されているような感覚。卒業を恨むことさえあった。
いい年して情けないよな、ほんと(笑)
でもここまで思えるのは、樹々がつばきファクトリーに心血を注いでいたからこそ。仲間たちが「意思を継ぎたい」と思えるほど“浅倉イズム”を体現してきたからこそ。絶対的価値観で魂を焦がす姿は、他の誰よりも美しい。
4.2
卒業公演は4月2日の幕張メッセ。
毎年恒例のひなフェスが晴れ舞台になった。
その3日前、自身の愛犬「L(エル)」と理子(山岸理子)、その愛犬「サンディ」と番組に出演。卒業するからと変に気張らず、愛犬に精一杯の愛情を注ぎ、笑顔で楽しんでいる姿がそこにあった。
「下を向いてばかりじゃダメだよ」
そんな風に活を入れてくれたのかな。
気持ちが前向きになり、卒業を受け入れられるようになった。止まっていた時計の針が、直前になってようやく動き始めた。
公演当日は仕事のため観られず。
実家の両親に生中継を録画してもらった。
ラストに選んだのはBuono!のYou're My Friend。自分の中で“最高”と称するほど、憧れのグループの曲を披露した。
メンバーカラーのライトピンクを混ぜつつ、身にまとったドレスは紺基調。自らの好きを詰め込んだ晴れ姿は、この世のどんな宝石よりも輝いて見えた。
最後の最後まで、自らの責務に対して妥協なく向き合う。有無を言わせず、見事なまでにアイドルを全うした。これ以上ない、最高のソロパフォーマンスだったということは言うまでもない。
新たな旅立ちという事実を、全身で精一杯受け止めた。あのとき抱いていたネガティブな気持ちはどこへやら。浅倉樹々のファンであったことに、心から幸せを感じていた。
卒業おめでとうという気持ちでいっぱい。これから待っている未来に、ワクワクが止まらなかった。
まあ、めちゃくちゃ泣いたけどね。
出会ってから約9ヶ月、アイドルとしての浅倉樹々を愛した日々は決して長くなかったかもしれない。けれども僕にとってはかけがえのない財産だし、心から誇りに思う。
そして卒業して立場が変わっても、清く正しく美しい浅倉樹々を追いかけられる。本当に本当に幸せだ。多忙を極める状況で、歌い続けてくれることには感謝しかない。
Fomalhautが去ってから
さて、僕にとっての一番星がつばきファクトリーを卒業。今まで見ていたものから、ガラッとその色を変えた。
約2週間後には理子、きしもん(岸本ゆめの)が卒業を同時に発表。これからのグループを愛することができるのか、不安になっていた時期もあった。
そんな心配は、全く必要なかった。
残されたメンバーは、各々の実力を遺憾なく発揮し、曲を彩っている。芸能活動以外でも、得意分野を活かして新たなステージを切り拓いていた。
2月7日には3人の新メンバーも加入。
勢いはとどまるところを知らない。
過去最高、過去最強を常に更新していくのを肌で感じられる。やっぱりつばきファクトリーは、いつの日も愛すべき存在だ。
これから待っている未来も、きっと明るく希望に満ちあふれたものになると確信している。
さて、樹々の方だが、アイドルからソロアーティストとなった当初はなかなか近況が分からず、もどかしさも感じていた。だからこそ、5月8日にブログを開設したときは、本当にうれしかった。
現在はアメブロやInstagramで近況を発信しながら、気軽に見られるようにと公式TikTokも開設。新たな分野にも積極的に挑戦し、ファンを楽しませている。ちばーずの投稿めっちゃ良かったな。
卒業から約5か月後、誕生日当日にはバーイベに参戦。飛行船シアターには、アイドル時代と何も変わらない浅倉樹々がいた。強くて、美しくて、ツバキのようにたくましい。僕が好きになった当時のままだった。
本当に卒業したのか?
専門学校になんか通っていないんじゃないか?
まだまだアイドルしてるんじゃないか?
全く違和感がないことに、違和感を覚えた。
何言ってんだよって感じだな(笑)
それはともかく、本気で取り組む姿に、元気と勇気をもらえた。古のハロ曲をあまり知らないとか、そんなことは関係ない。辛いこともしんどいこともすべて忘れ、そこに広がる空間を目一杯楽しんだ。
浅倉樹々という存在そのものが、人生における何よりの希望。最高に幸せだった。
福岡から飛んできたことに後悔はないし、後悔のしようがない。
そして去年の大晦日、僕の地元である大阪で、歌い踊る姿を観ることができた。うっかり歌詞を間違えたのもまた愛嬌。
一年の最後、最高の〆だった。他のメンバーとは全然違う特長があり、浅倉樹々からしか得られないエネルギーがあるな。またステージ上で観られることを、楽しみにしています。
何が好きなのか?
これまで思い出をあれこれと喋ってきたけど、結局のところ彼女の何が好きなのか?
・タフなところ
・唯一無二の歌声
・仲間思いなところ
この3つなんじゃないかなと。
タフなところ
樹々は2017年と2019年の2度、腰椎椎間板ヘルニアで活動休止になっている。
椎間板は、背骨の衝撃を和らげるためのクッションのような役割。主に柔らかい組織である髄核と、その周囲にある繊維輪から成る。これが突出して神経を圧迫し、痛みが生じてしまう。
ちなみにヘルニア自体は“完治”するものではないそう。現行の治療や筋肉で支えることのできる体作りを継続し、できることを積み重ね活動している。
「アドレナリン・ダメ」の間奏だったり、「間違いじゃない、泣いたりしない」では、力のこもったダンスを披露。ロック魂に火をつけ、存在感を存分に発揮してきた。
そうやって激しく動くなかでは、腰にも相当な負担がかかるはず。活動の合間を縫って、ケアしに行くこともあったかもしれない。
けれども、僕たちの前では、そんな不安を凌駕する強い姿を見せていた。ネガティブな要素をはねのけて華麗に舞う姿は、“エース”と呼ぶにふさわしい。
加えて今は、動物専門学校でトリマー科を専攻すると同時に、M-line clubの一員としてソロ活動も精力的にこなしている。
MSMWのリハーサル期間が、学校のテスト期間と丸被りだったこともあった。トリマーに関することだけでなく、犬に関する幅広い知識も含め、とてつもなく覚えることは多いんだとか。
それに加えて歌ったり踊ったり…
体力的にも相当しんどいよな…
その根底にあるのは、「動物が大好き」「歌ったり踊ったりすることが大好き」という強い気持ち。強靭な精神力で勇ましく前進している。感服するしかない。
唯一無二の歌声
樹々の歌声は芯が強く、なめらかで透明感もある。どんなテイストの歌でも、バチバチで完璧にこなせてしまう。これまでの努力の賜物というしかない。
相反する様々な特長を持ち合わせながら、曲自体の良さも決して損なわせない。いつまでも聴いていたいと思えるし、聴くと癒しと活力をもらえる。
好きなものをあげるとキリがないけど、今オススメしたいのはこちら。
・夢見る少女じゃいられない
・揺れる想い
・ガラクタDIAMOND
夢見る少女じゃいられない
相川七瀬さんの名曲。バーイベでセトリ入りするほど、樹々自身も大好きな曲だ。Aメロでの低音パートから、サビに向かうにつれて音程の差が大きくなっている。曲調に合わせ、しっかり歌い分ける半端ない技術の高さを堪能できる。
揺れる想い
ZARDの代表曲。オリジナル版の坂井泉水さんとはまた違った深みがある。シルクのような滑らかさ、わきだす天然水のような透明感。うーん、うまく言葉にできないな。これは実際に聴いた方が早いです(笑)
ガラクタDIAMOND
ラスサビ終わりの「ダイキライよ」の低音は木の幹のように強く、輪郭がハッキリしている。込められたメッセージがダイレクトに伝わり、何度聴いても飽きがこない。彼氏に裏切られた怒りを表す表情と合わせ、必見です。
ときに繊細で、ときに優雅で、ときに情熱的。
浅倉樹々にしか出せない歌声が、いつまでも大好きです。
仲間思いなところ
卒業曲にYou're My Friendを選んだことにも重なってくる。樹々は本当に人思いで、周りのことを心から愛していた。曲名のFriendには“友達”だけでなく“仲間”といった意味も含まれている。
「自分のことでグループとしての活動に迷惑をかけたくない」
「グループ活動をしながら学ぶとなると、どちらかがおろそかになってしまう」
卒業コメントの中でこう語っていた。
改めて読むと、カッコ良すぎだよな。
まりん(福田真琳)いわく、「卒業が近づくにつれ、意思を継ぎたいメンバーが増えている」状況だったんだとか。常にグループのことを考えて動いていたんだろうな。だから仲間からも強い信頼を寄せられていた。
自分の幸せより、仲間の幸せを一番に願える人。常に相手の立場に立って物事を考えているところは、人としても尊敬できる部分です。
卒業してからも、忙しい合間を縫って現場に足を運び、かつての戦友に会いに行く。仲間のことを愛していなければ、到底とれる行動じゃない。
あとがき
あの夏、浅倉樹々を応援するという選択は何も間違っていなかった。それまで目の前にあった景色が、いっそう色鮮やかに感じられた。最初に好きになったアイドルが、浅倉樹々で本当によかった。
正直、今も寂しさがないわけではない。こんなに愛が深まったアイドルは、人生で初めてだったから。卒コンやライブの映像を見ると、いろんな思いが駆け巡るし、いろんなことを感じる。
だけど、もうさすがに前を向かなきゃダメだな。
涙よりも、笑顔でいこう。
今、描いてる夢や望んでることがきっとあると思います。それが全てかなうことを、1人のファンとして切に願ってます。
アンチも出るかもしれないけど、そんなこといちいち気にしていちゃ負け。やりたいようにやればいい。終点は何だっていいんだよ。
2度もヘルニアから立ち直った人だ。
僕たちがあれこれ心配するのはナンセンス。
きっと大丈夫、絶対大丈夫。
浅倉樹々は、強いよ。
いつか必ず、でっかい花を咲かせてくれる。
そのときをただひたすら待っている。
楽しみで仕方ない。
あのとき広島で出会ってくれたこと。
僕をハロプロに導いてくれたこと。
大事な思い出の中にいてくれること。
今も変わらず“浅倉樹々でいてくれる”こと。
そのすべてにありがとう。
今もこれから先もずっと、大好きです。