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「無くしたくない」という気力
ナガオカケンメイのメールのnote版.627です
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翼の王国がANA機内から消えた?
昔あったものが今は無い、なんてものってたくさんある。
ANAの機内誌も希望したらもらえるスタイルになった。それはいろんな要因からなっているように考えられそうだけど、それは違う。昔あったものがなくなる要因を「そういう時代だから」と普通の人は言う。
けれど、その原因は「気力が無くなった」からだ。発案したことが「これは自分たちの(会社)ためにいい」と言う気力が失われたからだ。時代のせいにするのは簡単だし、経済効率で片付けるのは簡単だけれど、なくなった原因は「それを考えた人の気力」「それを続けたいと思った人の「気力」が無くなったからだと思う。
無くなりそうで続いていることはたくさんある。
それはその逆の「気力」で、「無くしたくない」と言う気力が優っているから続いている。それだけだと思う。
死に際は自分で決めていると僕は思う。
それは「風邪かなぁ」と思った瞬間に風邪をひくのと一緒で「もう、死ぬかな」と本人が思えばそれは「眠たくて、もう寝ようかな」と言う感覚と似ていると僕は想像する。無くなっては悲しいものも、なくなる。いつかなくなる。でもそれは「無くしたくない」という気力によって続いていくし、「無くなるかも」という気力のなさで無くなっていく。
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