9・これまで日記に書いたホテルのこと・2019年の日記より 3月〜4月
ナガオカ日記で書いたd hotelに関係することで、2019年3月のことを抜き出してみました。
2019/3/4[これじゃ、デザインホテルじゃないですか?]
今日はバストイレの器具を選んだりしました。僕はトイレの形や洗面台の様子など、デザインのやりすぎ、わざとらしさ、古臭さなどにとても興味があります。シャワーなど水栓ノズルとか・・・・。
しかし、建築家ではないので専門的なことはわかりませんが、いつも気にして見ていたことで、すぐに「こういう感じのもの」と言えるというのは、われながら面白いな、と、思うわけです。
どうしたらラグジュアリーに向かい、どうしたらプロダクトデザインっぽくなるのか。何をしたら公共的になるのか・・・・。
そう考えると、デザイナー名を出している商品のほとんどは、採用できないとなっていきます。名前を出しているデザイナーの商品は、消費デザインの香りが強すぎて、半年も経つと「流行遅れ」となる恐れが強い。
意識の高いデザイナーは誰しも「普遍的」なシルエットを目指そうとしますが、インハウスデザイナーには、本当に叶わないと思います。
面白いです。やはり「インハウスデザイナー」や、インハウスデザイナーが作るデザインってすごいと思うのです。
そこには多くのリアリティを飲み込んだ納得があり、決してスポットライトが当たることのない分、自立する生命力、継続するデザインがある。よく、著名デザイナーの方を「デザイン」と呼びがちですが、ここにきて、そうではないな、と、感じています。
ずっとずっと、そのジャンルのことだけを、その会社の歴史がある土地に暮らし、その会社のデザイン室に毎日出勤する。そういう日常からのデザインには、本当に名前を出しているデザイナーは叶わない。
僕は美味しいお酒よりも、「毎日飲めるお酒」の方が好きです。
こういうことを書くと「常習性がある何かが入っている」とか、本当に意地悪なことを言う人はいますが、やはり、毎日普通に楽しめる。安くて、そこそこ美味しいって、ものすごいことだなと思います。
今回紹介した本「どっちつかずのものづくり」の中に「前半生と後半生」という章があります。
柳宗悦の言葉「ものには、2つの生涯がある」という話です。
生まれてくる前のことに重きをおく世界と、生まれた後の世界。
ものなら、作っている時と、完成して売られ、使われ、それを楽しむ時、捨てる時、直す時のこと。
民藝運動は前で、生活工芸は後ろ、と、ざっくり言うとそうなります。お酒の生まれる背景やブランド性、デザインを誰が作ったかの著名性よりも、お酒を楽しみ続け時間を楽しむことや、デザインされたものとどう長く暮らすか、ということ。そう思うと、著名デザイナーの美しいデザインの嫌味なところ、長く付き合ってくれそうにないところ、が、見え隠れする感じが、好きになれない・・・・。
dチェジュの設計者は長坂常さん率いるスキーマですが、彼らと戦って作っているのは、僕らdがずっとこだわってみてきた「ふつう」というか、機能美。
「これ、デザインホテルじゃないですか?」「これ、スキーマデザインになってますよねー」みたいな妙なやり取りを、今日もしてきました。
なんてこともない、毎日自宅で使うようなお風呂の、ちょっとだけいいやつ。それを見つけるのが楽しくてたまりません。
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