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動物に返ろう
これからますます「説明のうまくできないことが増えていく」と予想します。
理由はそれこそうまく説明できません。笑
でも、なんとなくわかりませんか? そして意外と世の中はそうした説明のうまくつかないもの、ことがありますし、そういうことを良しともしています。
僕はずっと自分のことを「運命信者」と人にも言ってきました。偶然などはほぼ、ない。とにかく自分に起こることの全てを引き寄せていたり、知らず知らずのうちに作り込んでいたりするんじゃないかと、生きてきました。人間界では、僕のような人間を「気分屋」とか「飽きっぽい」とか「優柔不断」とか言います。
ま、そうなんです。そうやっていろんなことをそれまでの流れと関係なく瞬時に感じて判断(わがまま??)してきました。そうしてきたからこその今があると思っています。何かある度に動物的に避けてきたんでしょう。その代わりに、プライスレスな何かを得てきたのでしょう。
考え悩んで決めてきたということではなく、感じたまま考えずに生きてきました。そんな感覚的に生活してきたことを最近、忘れているというか怠けているような気がしています。
能楽師の安田さんの唄の習いの会に通っていた時に聞いた話ですが、昔は石が喋ったり、瞬きや笑い声で人を威嚇(いかく)したり、敵を倒したりできたそうです。(正義の味方が必ず笑って登場するのもそんななごり)
夜中に目をこらすとか、匂いを一生懸命に嗅ぐようにする、とか。気配をちゃんと生活に取り入れるとか、時計を見ないで時間を読むとか、森と対話するとか・・・・・。
活躍している人たちは、この「動物的」な感覚が極端に研ぎ澄まされていると思うのです。それは「身体能力」とかの次元ではない、何かを「察する力」。それは僕にもかろうじてまだ残っている。
会社を創業した時、僕はほとんど数字を見ませんでした。
そんなことよりも、働いているスタッフの様子や、お客さんの様子で、会社が今、どんな状態なのかわかったからです。これは誰にでもあると思います。例えば「なんか、雰囲気が良くないな」と思ったりすること、ありますよね。その時に「ま、売り上げが上がっているからいいか」と思うか、「調子いいけれど、何かを改善しろってことだな」と、思うか。
だから、なんだか人間界に面白みがなくなってくるたびに、自分に言い聞かせています。「動物に返ろう」と。
ちなみに、僕は文字修正(校閲など)が嫌いです。誤字かもしれないけれど、その時間に僕という体内から出てきた勢いだから、伝えるべきは「勢い」であり、正しい原稿、文字ではないのです。この話をすると長くなるので、またいつか。皆さんもたまには「動物に返りましょう」
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ナガオカケンメイの考え
あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。
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