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復興祈願花火フェニックスの歴史|長岡花火

長岡花火の名物花火といえば「復興祈願花火フェニックス」

フェニックスは、とにかくスゴイ!感動する!と見た人を魅了する花火。

長岡花火のフェニックスを知ってくれているだけで嬉しいけど、もうちょっと詳しくご案内します。


復興祈願花火フェニックスのこと

長岡花火を代表するフェニックスで知っておいてほしいことは3つ。

  • フェニックスのはじまりはいつ?

  • なぜフェニックスと言われるのか?

  • Jupiter がテーマ曲になっている理由は?


フェニックスのはじまり

はじめてフェニックス花火が打ち上がったのは2005年です。

新潟県中越地震(2004年)からの復興を祈願して地震の翌年から打ち上げが始まりました。

大震災に負けずに頑張っている新潟県中越地方をはじめとする被災した大勢の人たちを元気付けるため、そして一日も早い復興を祈願して世界一の誇れる壮大な花火を打ち上げたい。

出典:NPO ネットワーク・フェニックス

そんな思いから復興祈願花火フェニックスは始まりました。


なぜフェニックスなのか? 

フェニックスという名前は、新潟中越大地震から不死鳥のように復活することを祈願して「復興祈願花火フェニックス」と名付けられました。

フェニックスは、もともと長岡市の市章の図柄です。

過去に戊辰戦争・長岡空襲といった災禍から復興、発展していく長岡市を「長」という漢字を不撓不屈(ふとうふくつ)のフェニックス(不死鳥)の姿に託して昭和52年に定められました。

大災害から不死鳥のように復興することを祈願してフェニックスの名付けられました。

Jupiterがテーマ曲の理由

フェニックス花火が打ち上がるときのテーマ曲が平原綾香さんの「Jupiter」

テーマ曲の理由は、中越大地震で被災者が励まされて勇気づけられた曲だから。

中越大地震で被災して仮設住宅や車で生活することになった多くの被災者が不安な生活の中、ラジオでヘビーローテーションされた曲が「Jupiter」

FM新潟、BSNラジオといった地元ラジオ局に多くのリクエストが寄せられて多くの被災者を励ました曲がジュピターなのです。

特に被災者の心に響いた Jupiter の歌詞が

「ひとりじゃない」

のフレーズ。

曲の中でなんども出てくる「ひとりじゃない」のフレーズが、疲弊している多くの被災者を「ひとりじゃない」と励まして勇気づけてくれました。

いまでも長岡人にとって特別な思いが宿る大切な曲です。


フェニックス花火の見どころ

羽ばたくフェニックス

平原綾香さんの Jupiter(ジュピター) にあわせて次々に花火が打ち上がり夜空を埋め尽くします。

見どころばかりのフェニックス花火の見逃せない見せ場がフィナーレ直前の瞬間に訪れます。

花火の中心にフェニックスが羽ばたきますのでお見逃しなく!


幸せの青いフェニックス

金色で羽ばたくフェニックスの中に特別なフェニックスが紛れています。

特別なフェニックスとは幸せの青いフェニックス。

次々に打ち上がる花火のどこかで幸せの青いフェニックスがどこかで羽ばたきます。

青いフェニックスは花火師さんの粋な演出。
ぜひ探してみてください。



長岡花火ドットコムのご案内

復興祈願花火フェニックスのもっと詳しいことを知りたいあなたは、長岡花火ドットコムの記事をご覧ください。

復興祈願花火フェニックスの誰得情報では、打ち上げ花火師さんの紹介やフェニックス花火の歴史年表などもっと詳しくご案内しています。


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