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咳をしてもひとり
こんばんは
気管支炎になってしまい咳が止まらない長尾さんです。
タイトルは尾崎放哉の自由律俳句でいちばん有名なものですね。近代詩歌句というとやっぱり『月に吠えらんねえ』が強すぎて、わたしには「たった九文字、これだけがおれのすべて」みたいなことを言っていたのが印象的で、その気持ちがわからないわけでない自分はとても悲しくて、やるせねえな……と天井を仰いだ記憶。
『月吠え』にはいろいろやるせねえポイントはあるんですけど、「才高き女はかなしい、才無き女もかなしい」として、アッコさん(与謝野晶子作品)とチエコさん(高村光太郎作品[特に智恵子抄])が対比で表現されていて、哀しすぎるよ……とマジで胸が苦しくなりましたね。
やっぱり戦争詩歌の扱い云々が近代後半ではかなり強まってきますから、すごく第二次大戦の描写が多くて、犀(室生犀星作品)が戦地を放浪させられているときに、サイパンに飛ばされて、そこで助けられたかもしれない少女の命を目の前で奪われて、「もうたくさんだ……」と憔悴していくのも残酷で、上手いなあ……と。
自分の心が動かされるほど、鬱になるくらいしんどいほど、その作品は上手くて。ただ残酷描写を重ねれば鬱作品かといえばそうではない、そこに人間的な描写がなければ感情の移入のしようがない、ということを思い知らされますよね。小説でも漫画でも、映画でももちろん。難しいんですよね、そういうのって実は。
ということを咳しながら、ヒューヒューいう喉に笑いを噛み殺しながら、小説書いて考えてました。もちろんひとりぼっちでね笑
いやペットいますでしょ、と思うのは当然そうなんですけど、書いてるときってどうしてもひとりだし、ひとりでなければ書けないと思うんですよ、わたしはね。だから作業しながらなにか雑音がほしい、雑談したいと思える人ってイラストとか漫画を描いてらっしゃる人なんだろうなと漠然と思ってます。偏見? ああそうですよ。
はいでは宣伝。今日は雨傘ないんですけど、代わりにちょっと長編が動きました。
藻塩草 おはようと言える誰かが側にいるということ
Buried Doll こういうこと考えてると高校生っぽいなと思いながら書いた、毛程も同感できない短文なんです……
これは新作。探偵ものです。
6話でひとつの話になってます。続きがあるといいよね。たぶん関東大震災の日の話までは書く。
めっちゃ月吠えの話したい人みたいじゃ〜ん。……そうなんです。って感じの文章になりましたね今日は。
もう毎日出発点も着地もなにも考えてないのが丸わかりで恥ずかしいんですけどやめられねえ………。めちゃめちゃマゾヒスティックなんですけど堪忍してください笑
ではでは🐤