小学校の修学旅行の思い出
こんばんは
末妹の小学校の修学旅行がそろそろらしいので、自分の修学旅行がどんなんだったかを妹に教えたいんですが、あいにくそれはできません。
なぜかというと、なんか小学生の作文みたいなつなぎだな……、なぜかというと、わたしは修学旅行に行かなかったからです。行かなかった、行けなかった……行けなかっただな。とにかく行ってないのです。
当時は、何度かnoteで話しているとおり、虐待の日々の真っ只中だったので、修学旅行とか中学進学とか、目前に迫っているのにそこまで生きていられる自信がなくて、早く死んでしまおうと考えていました。母はそれをわかっていて、いつ警察に駆け込むか、いかにバレないように子どもたちを連れて逃げ出すかをずっと考えていたようです。
……そのときは突然来ました。養父がいつものくだらない理由で仕事を辞めてきてしまって「これからどうするの」と言った母を殴る蹴るして、わたしはそれを息を詰めて寝室から伺っていました。ひとしきり騒いだあと、会社から借りていた車を返してくる、と出かけたので、「今しかない」とわたしは部屋を飛び出し、母も子ども部屋に飛んできて、ふたりの目があって考えていることが一緒とわかりました。荷物はこの際どうでもいいから妹たちを起こしたり抱き上げたりして母の車に運び、跳ねる心臓を抑えて警察署まで一気に夜中の道を走りました。何度も何度も、養父の車が後ろにいないか振り返って、わたしにはその時間がとてつもなく長いものに感じられました。
警察に保護され、その日のうちに一時保護施設に入り、1ヶ月ほど過ごしました。……その1ヶ月の間に修学旅行があったのです。
そして県内の某所にあった母子寮に入って、転校という扱いで小学校生活に戻ったのですが、そちらでも当然修学旅行は終わっており、わたしは行ったこともない場所のプレゼン要員をさせられてめちゃくちゃ不満だったのを覚えています。
いまだに鎌倉へは行ったことがありません。通りかかったことはあるのですが、鎌倉の大仏も、銭洗弁天も、江ノ島もまったく知らない見たことない状態です。行ってみたいなという気持ちも別になく、これからも自発的に行くことはないんでしょうね……。
この時期になるとなんとなくあの頃のことがフラッシュバックしやすくて、修学旅行という言葉だけであのときのことを思い出すのです。お前にとっての修学旅行は警察への逃亡なのか、って思いますよね笑
そのあと中学の修学旅行は行きました。奈良ではよくわからん龍の金色のメッキ細工なんか買っちゃってね。明らかに舞い上がってましたよね。木刀買わなかっただけマシかなみたいな。お前は小学生男児か、と周囲からツッコまれたのもいい思い出なのかな。
さてさて、宣伝も入れていきます。
藻塩草 お前は心中ものが好きだね、近松門左衛門と名乗りな、と湯婆婆に言われそう
Buried Doll 近所のサイクリングロードをハサミだかカマだかをぶら下げて花を摘んでいくおばあちゃんがいて、めちゃくちゃ怖かったなと
血染めの雨傘 50首会で苦し紛れにひねり出した短歌だったことは覚えてる……そのときはたしかに食欲不振だった
はい、てなわけで、修学旅行に行ってない人も普通に大人になれるので、行きたくないな〜って思ってる人は無理に行ってトラウマ増やすことないと思うんで、行かなくても大丈夫やで!! という後ろ盾になれたらなみたいな気持ちもなくはないです。野心的。
明日は特になにもないけどハムスターの小屋をそろそろ掃除しようかな、ヒーターのコード配置改善の余地しかないのでちょっといじろうかな、と思ってます。
ではでは🐤