ヘルプマークとサポートマークについて
ヘルプマーク、皆さんは御存知でしょうか。
通勤やお出かけなどで電車など利用される際、目にすることがあると思います。
特徴は、カードサイズに白十字・白ハートですね。
これは”無償”で、今現在殆どの都道府県で配布されています。
対して、サポートマークなるもの。
一応、ホームページっぽいもの置いときます。
https://japansupportmark.square.site/ ※飛べない場はurlをコピーしてアドレス欄に直接貼ってみてください。
私が、このサポートマークというものに対して思うこと。
人の善意はお金ではない
声を大にしてでも言わせていただきます。
先述のページ飛んでいただければわかるのですが、このマークは”有料”です。
一応、キャッチコピー(?)として、「(このマーク付けてるから)いつでも手助けするよ!」ということみたいなのですが、私自身障害持ってる当事者としては、そんなマーク要らないよ、ということです。
手助けしてくれる方って、最初から善意で、ヘルプマークとか関係なしに動いてくれる方々なんですよね。
これって、日本人ならではっていうのをよく聞きます。
外人さんでも、日本の文化と思って、ご老人などに席を譲る姿を見たりします。
それぐらい、染み渡っていることなのですね。
そもそもヘルプマークの意味とは
私は、ヘルプマークを身に着けて、おそらく4,5年は経過していると思います。
当時は、まだまだ存在が広まっておらず、配布しているのも4,5都府県ぐらいでした。
ツイッターでヘルプマークを見つけて、それを取ってこれる環境の方に頼んで、郵送費用だけ支払い、送っていただきました。
その後、facebookでヘルプマークのコミュニティを見つけ、いろいろ情報収集。
そこでヘルプマークについて前提として書かれていたのは
「あくまで見えない障害を周りに知らせるものであり、これにより座席に座りやすくなるといった効果はありません。」ということ。
それはそうですよね。
これ付けてれば電車・バスで確実に座れます!なんてものがあったら、悪用されまくりです。
あくまで、自分の体の内部事情を知らせるためであり、随時助けてということではないのです。
それを勘違いしてはいけません。
なにが問題なのか?
バッサリいうと、人の善意につけ込んでお金を搾取すること、です。
善意はお金ではありません。その人それぞれの心と行動なのです。
サポートマークなるものが出てきて、もしかしたら「よし!これつけてもっと手助けするぞ!」となっている方もおられるでしょう。
その気持は全く否定しません。ですが、障害を持つ当事者として言わせていただきたいのは…
その気持ちがあれば良いのです。そこに多少なりともお金が発生しているのなら、むしろ受け取りづらいです。
仮にですが、そのマークを付けてたら、付けておられるご本人も仕事や家のことで疲れていたとして、声かけられたらゆっくりできない、ということなんですよね。
何らかの障害がある人・不自由にしている人を助けたい!という気持ちも、痛いほどわかりますし、ありがたいことではあるのですが、まずはご自身のことを心配してください。
仕事でもなんでもそうなのですが、身体が資本です。休みたいのはお互い様です。
ヘルプマーク持ち同士でも助け合いがある
これは正に、ヘルプマークが全国的に広がった成果なのですが、ヘルプマーク持ち同士で席の譲り合いがあったりします。
私も、余裕があるときは譲ります。
私が過敏なのかわかりませんが、ヘルプマーク付けてる方一瞬でわかるんですよね。
もちろん、マークの色が目立つからというのもあります。
でも、謎の仲間意識というか、「あ、このひともなんだなー」って、勝手に共感しちゃうんですよね。
ある意味、良い連鎖を作れているのかなとも思います。
結局、サポートマークはつけるべき?
私個人の結論としては、別に付けなくてもいいですよ、ということです。
だって、私達が持っているヘルプマークは無償なのに、手助けするほうが有料って変じゃないですか?
異変に気づいたときに、駆けつけてくれるだけで、それだけで十分伝わりますし、わざわざ表立って見せる必要はないと思うのです。
例えば、地震やなんかでどこかの地方に義援金を送る人いたりしますよね?
仮にそれが個人的に送ることでしたら、わざわざ皆にわかるように「私は義援金~円支払いましたよ!」って言いますか?言うのって、有名人ぐらいで、我々のような一般人はあまり言わないですよね。
そんな感覚でいいと思うのですよ。
手助けしたいという気持ち・善意を、お金で形にしなくてもいいんです。
あなたの気持ちや行動一つで、救われます。