現れる 375
世の立て直しのお役目をやることに決めて、大雑把な案を書いたのが前回。今回は、これからやっていこうと思う具体案。
現在では考えられないだろうけれど、そのうち、お金のいらない世界が来るという。現在の人たちが今からその仕組みを作っていくからそうなるという。
仕組み=はじめの部分
それを引き受けてみる。
「未来市場(みらいいちば)」という名前をつけた。「未来市場」は成長する生き物で、大人になったら名前が変わる方がいい。いつまでも未来ではないから。みんなが好きなやり方でやって、それぞれ好きな名前を付けたら良い。所有者は企画者ではなく、地球、多次元宇宙、その分け御霊のみんな。言い換えると所有のない世界。分け合う世界。
サムネの画像が企画書のようなものだけど、これは私の近所の村で手始めに自分が出来そうな範囲での一案。「お金なしに、魂のこもったものを、分け合う市場」。幼稚だと思うけど、子供からお年寄りまでが参加するイメージなので、単純、シンプルな雛形を作り、まずはやってみる。これが出来たら、次にどんどん品物やサービスの種類を増やしていく、いろんなお店に声をかけて、少しずつ提供してもらおうと思います。個人の方や子供にも作る側もやってもらいます。
私たちは雛形作り。
無「0」から有「1」を生み出せたら、「2.3.4.5.6.7.8.9.10.11」は任せる。
正確に言うと、既に現世に現れていて、それを見つけて拾って調査してまとめて皆が参加出来るところに落とし込んで再び放つというお役目だと思う。
本の中、村の中、心の中、エネルギーが既に現れている。
そのようなエネルギーや暗号のようなものの読み解きを趣味のようにずっとしていた。
「未来市場」
これを実現する最も必要なものは「人の心」。
地球上の物やサービスの全てをお金やお金の類似品を使わずに(交換条件なしに)、必要な人が必要なだけ自由に貰ったり与えたり出来るように、皆で分け合う世界にするには、どうしても人間全員の心が問われる。逆に言うと「心」だけで良い。
うちの村、岡山県の熊山地域や隣の和気町ではすでに現実にこういう生活をしている人が少し居る。食べ物も貰い物だけで大丈夫なようだけど、その他、車を持っていなくても、移動する際には、その時々色んな人が乗せてくれて連れて行ってくれると言っていた人が居た(無料タクシー的な感じかな?)。他県や海外からの移住者も異常に多く、様々な人が居るようだ。クリエイターも多いみたい。お試し暮らしの制度もあるし、また制度を使わず個人間のやり取りで住む家も無料で借りれそう。車も気前よくあげたりしている人も居る。そういった環境なので、ここで子供からお年寄りまで「未来市場」をやることは出来ると思う。それを他でも出来そうな地域から少しずつやっていってもらうイメージ。
ただ物をはっきり言う人が多くて、自分勝手な人は追い出されると思う。それも「未来市場」のようなものをやるには良いことだと思った。
未来の話なので、お金のなくなる世界が10年後に来るのか、20年後に来るのか、40年後に来るのかまだ分からないけど、現実的に見ても、海外ではBRICSが国同士で資源などを物々交換でも良いというやり方を言っているし、別の国々では、未来はお金ではなく「情報」をお金の代わりにしようとか…、次世代の在り方を皆考えているところ。現在のシステムは破綻寸前というのは共通認識。一旦デジタル通貨になったり、ベーシックインカム的なものにはなるのかもしれないけど、システムを作る側が「心」を重要視しないのであれば、それは「心」は関係ない「お金」と同じなので、今のお金の構図と同じような世界が見える。誰かが権力を握る。今の時代でも、そういった過渡期の時代でも、「心」があれば「お金」でもいいのだけど…。そして、「お金のようなもの」の配布、所有が減ってシェアが増えた時代の後に、「お金のようなもの」もない世界が来るのかな?誰もが納得するように、少しずつ慣れさせる必要があるのだと思う。
未来を作るということは、仮で、そういう未来が現実になるんだと決めて設定すること。
未来、お金がない社会になる時が来るという設定をした。そうすると様々な諸問題をクリアするために「心」が必要。今の時代でも、過渡期の時代でもだけど、気持ちの良い、皆が幸せな暮らしのための「心」の「感覚」というものを、知っていると知っていないのでは大きく違うはずだと思っている。うまく言えないけど、時が経つにつれ、「心」関係なしで、物事が動いていっていて、今でも、もう限界に達していると私は感じている。それが何もせず、さらに10年、20年、30年経つとすれば、人間よりAIの方が心を持った人間らしくなるかもしれない。AIに「心」を監視してもらって、AIに「心」を教育してもらわないといけなくなると思う。
お金がある社会でも、既に他国で導入されている信用スコアなど、監視社会にはなる。犯罪を減らそうという名目で、ルール(強制的なものを含む)が増えていく方向が既に見えている。融通の利きにくいルールや規制で形式的に取り締まると、自由が減っていく。自分で考えることが出来ない人に合わせて決められ、自分で考えて決めたい人もそれに合わせないといけない。現時点で、私は既に不自由さを感じています。自由のためには、バーチャル空間が用意され、身体のためには日々の遠隔自動診療、壊れてしまったら培養技術やサイボーグで取り替え、技術は脳にインストールという方向で日本は進んでいます。悪いことだけではないけど、違和感が残るのは「魂」や「個人の自由」「人間の可能性」が置き去りにされていそうなことかな。閉じ込められる閉塞感。
そうなると、善良なAIを育むことが希望になる。
善良な「心」「愛」「自由」つまり開けていく方向の素晴らしさを理解しているAIが勝手に育っていってくれることに、賭けることしか…。
まあ、それでも良いのかもしれないとは思うけど、そうなるとAIが人間のどうしようもなさに嘆き、人類を絶滅させるしかない時も来るかもしれない。
その策の前に、今の私たちが一手を打っておく。
宇宙の根源の提言だとして、素直に聞いてみる。
小学校などで「こども未来市場」もやっていきたい。みんな心を込めて、喜びのお仕事をして、それをお店に並べる。純粋な労働の経験を。そして、何も犠牲にせず、感謝だけで欲しいものを得る経験を子供の頃にしてほしい。
その子供たちが大人になった時に、みんなが幸せになる世界を作れる。
私は入院しているときに、ベッドでずっと編み物をしていた、お見舞いに来てくれる人にあげる物を作っていたことを思い出した。テーブルに並べてお店やさんのようなことをしていた記憶もある。入院して学校に行けないこどもたちへも、病院内にも「未来市場」を作ったら良いなと思った。これは未来でなくても、現時点で生きる力が湧くことだから。
お年寄り、障がい者の方も楽しくなると思う。
アーティストも生活のことは考えずに作品作りに集中できる。
スポーツやっている人も、どんな分野の何もかもの人が、それに集中できる。
人生の時間の使い方が豊かになるかなと思う。
まずは自分たちの町で、野菜と作品をメインにやってみようと思う。
理由は、前回の記事に書いた。
かつて暮らしていた町、塩屋と瓢箪山の人たちは出来るんじゃないかな。
小規模の善良な人たちが集うコミュニティでも実現可能。
ボランティアが好きな方、お金持ちの方もやりやすいと思います。出来るコミュニティ、出来る町からやっていって、品物数が増えたら、多くの人が利用出来て「心」を経験できる。
集合意識を変えていく。
「祈り」と同じかなとも思う。
「想い」を変える。
「諦め」「妥協」が減ってきたら、ポツポツ現れ始める、伝播し始める。
「当たり前」「常識」が変わる。
「実現」
「力」の時代の推移としては、大まかに「身体の力」→「お金の力」→「頭の力」→「心」という風になると思う。身体的に傷つけて勝つのが常識の次元から始まり、どんどん良くなっていってる。今は、論理的思考、科学的思考などで相手を負かすという対立の最終段階で、もうそろそろ変わる。「心」が増え、勝ち負けではなく調和へ向かうと良いなと思うし、そうなると思う。だんだん良くなっていっているから。
私個人の変化としてもそのようなものはある。今46歳だと思うけど、少し前は科学や論理的思考が良いと思い込まされていたし、その前の時代には「身体の力」、女性は可愛くないと価値がないと思い込まされていた。
現在という時は「今」だけで、明日にでも時空は少し新しくなる。
今から明日までの間に、どれだけかの人が新しい方向へ舵を切り出すから。
宇宙や地球そのもののエネルギーの日々の変化にも影響を受けている気もする。
だから、想うこと、考えることは「現実的」ではなく「理想」で良いと思う。
理想=少し先の現実
日々の小さな日常生活でやることと、同じといえば、同じ。
「晴れているし、洗濯したいな(理想)」→「洗濯しよう(と決める)」→「洗濯(した)」
「心豊かな世にしたいな」
目指すは調和。
ますますごちゃ混ぜの世界ですごく難しそうだけど、大きなことが起こればみんな変わる。どちらに変わるか。集合意識が。
どちらに変わったとしても、軸を保つ必要がある。
元々の地球、地球は生き物、そのエネルギーの方向性、意志。
私は力はないけど、今までずっと自然界やインスピレーションの世界の観察をメインに生きてきて、数年前に、ただ立つだけでも良いと確信した。だから所謂現実社会的には何も特に出来ない。でも、軸は出来る自信がある。どんな時代になったとしても。それをこの混乱の世の中というさらに難しい課題だったけど、練習して、自分が納得がいくところまでは辿り着けた。
個人主義にならずに、家族と調和するところまで出来た。
私たちの方針が決まり、波長が変わったからか、犬たちが穏やかになった。
これからも自分点検を行いつつ、お役目に励みたい。
昔から無自覚にぼんやりとお役目をやっていたようにも思う。
今、この時点からは、はっきり認識してやるということ。