現れる 377
朝と夜は冷え込むようになってきたけど、昼間はまだ暑い。昨年、今年と気候がおかしいところもあり、育つはずのものが育たなかったり、育たないはずのものが育ったりな中、サツマイモは例年通り無事に収穫出来てほっとした。
そして、春と夏の気候が特に変わっていたのに比べ、最近やっと全ての野菜が普通に育ち始めたという感触。
最近は、文字の音の力を使うように心掛けている。言霊は昔から分かっていたけど、「あいうえお」の例えば「あ」だけの音の中に独自のエネルギーがあったりということを知った。言葉よりも先に音があって、音から世界が始まったという話もある。音というか振動かな。音=振動。
これは道にある石で普通に運んだんだと思うけど、山の中にもずっと上の方まで棚田があって、石で組まれている。いつからあったのかは分からないけど、江戸時代?室町時代?もっと前?その辺りだったら牛で運んでいたのだと予想出来るけど、古代ピラミッドの石などは振動で浮かせて運べたという説を聞いた。
ここは犬の散歩コースでもあり、もう一つの農地への道でもあり、毎日通っているのに最近まで知らなかったこの場所。
竹や木々に隠されて全く見えなかった。
この神様の集まりが年に1回あるらしく、そのお誘いで知ったんだけど、参加者はもう3人だけだそう。ここはいつからあるのか、また村の人に聞いてみようと思った。
朝日に照らされると全てが美しい。
畑は自然農でやっているけど、今年からは畝になんでも混植して育てる方法でやってみている。最終的には畑か庭か分からないような私の想う楽園を作りたいと思っている。
人生の時間は限りがあるけど、やりたいことの一つがそれ。昔から庭をやっていたけど、庭という時空には全てがあるような感じで、それが太古から地続きの自然や現代社会の人間生活とも深く関わり、形状も区別出来ないような一つになるということで「私」が完成するように思う。
「私」は透明人間で、ものすごく「私」で、みんな一人一人がそうなんだと思う。どこを認識して選択して生きるかで違うだけで、「人間」というものは「人間」なんだろうと思う。
私は一応、音楽家ということになっているけど、最近、音楽は何もしていない。「あいうえお」その他、新しい元のことをやっているところ。
この生活はとても気に入っている。
下の家の野焼きの煙が、霧のようで好き。
本当の霧の日もあって、それも感動する。
山から雲が出てきていたり。
鳥たちの声、今は季節ではないけど、蛙の大合唱も好き。
もっと「私」であればいいのだと、思った。
だとしたら、もう頭の中の声は殆どないので、会話はしにくい。
それでも分かる人には分かるかなと、思う。
まず、もっと元を学んでいきたい。
元、根源。
近頃、そういう情報によく出会うようになって、今までの人生の導きの意味ももうすぐ分かりそう。ひとまず「日本」や「人間」については大体分かった。
そこから思うことは、現代ではことごとく力を封じ込められていること。
色々から脱却したつもりの生活だけど、それでも今まで生きてきた常識や、子供の頃に習った当たり前が、体の使い方が、まだまだ色々変えていかないと自分の本当の人生を生ききれなさそう。不本意にも30代前半の時に大人になってしまったので。それまでは苦しみながらもずっと抗っていたんだけど、ついに打つ手がなくなり負けたような感じ。
それもこれも全てよかったと思う。
おかげで色々経験出来た。
今からまた社会ではなく、自分の運命に身をゆだねる生き方に戻したいと思う。
本筋は決まっているんだろう、私は知らないけど。
これを投稿して、次へ進む。