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現れる 381
いつの間にか冬です。
「未来市場たねをまく 」のサイトとコミュニティができた。
https://tanewomaku.godaddysites.com/
やりながら作っていく。
実働は2月頃からですが、コミュニティの方は今から参加していただいて大丈夫です!
明日は「冬至点」、1年で最も大切な日のようです。
長らく、電話もSNSもメールアドレスすら無い状態でしたが、未来市場のサイトの問い合わせのメールアドレスは私個人に届くものなので、何か連絡がありましたらそちらからお願いします。返信するかどうかはタイミングとインスピレーション次第なのでなんとも言えませんが。
ただ、精神、感情、魂の変化が毎日起こっていて、何もかもが自分として感じるという子供の頃の感覚に戻りつつあります。「自分」と「他人」など、分けないといけなかったものを、分けなくてもいいということにしただけだけど。
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もうバケツの水が凍っている朝もある。
マリーゴールドの1/3くらいは先日たねとりをした。
そろそろ、オクラとモロヘイヤもたねとりができるかな。
明日、見てみよう。
冬至点から始まる。
来年2025年は今まで生きてきた中で一番楽しみかも。
2025年というか、12月21日18:21からが新しい年という自然のリズム。
自分が変わって、動物たちとの関係もますます近くなった。
犬も成長しているし、一緒に成長している。
犬と鳥は確実に「気」を感じている。
かなり会話できている。
植物の声を、昔のように、そして昔以上にもっと分かるようになりたい。
あとは、家の犬はずっとすっかり私のところに集まるようになっているので、次は他の家の犬や、野生動物とも会話していこうと思う。
家族と外の中間である家の天井裏にいるネズミの気持ちは最近わかるようになってきたし、話しかけていると、言葉というか気というか、通じるようになってきた気がしている。
走り回ったり、居てもいいけど、家の壁?柱?をガリガリはやめてね。という感じで伝えていると、ガリガリはやめてくれている。食べ物は漁られていなくて、鳥たちが寝ている廊下の天井の上に居るのが好きみたい。
この曲の最初のテーマの部分、結構、頻繁に頭の中で鳴り、口ずさんでいる。
前世か何かかな?
前世といえば、先日初めて1つ分かった。
「フェニキア」
頭の中に突然声が聞こえて教えてもらった。
いろんな映像とかは毎日見えるけど、声というか言葉ではっきりそういうのは初めて。
面白いことに、フェニキアってなんやろうって調べたら、Wikiか何かに載っていた地図が大阪市の地図の感じそっくりだった。海の左側に淡路島みたいなのもあったし。今戦争が起こっている地域…。
フェニキアの、カナン人かな。私の名前はカナだし、大阪の牛肉屋に産まれた。他にも自分の小さい時から好んできたものがフェニキアの商業でやっていたものばかりで何個も符合することがあった。
他にも無数に前世というか、DNAには全てが含まれているんだと思うので、特に特別な感じはしないけど、はっきり詳細が分かったというのは少なからず今必要な情報なんだろうなとは思っている。
しかし、フェニキア自体が文明を抹殺されているというか、謎の民族のようで、あまり情報がない。
それとは別か繋がっているのかは分からないけど、ダッタン人の曲はずっと鳴っている。ダッタン人は、モンゴルかな。作曲は比較的新しいものだけど、このメロディは何かが降りてきて作曲したものかもしれない。
最近は「気のせい」というものは何もない。
思ったことは大体全部その通り。
随分、雑音が少なくなっているから。
とはいえ、確信があるわけでもないので、多分、合っているだろう(決めつけはいけないので一応保留)という具合にして次へと進んでいる。
とりあえず、今世は地上の楽園づくりに命を預けてみようと思った。
それくらいしか、「本当にしたいこと」がない。
枠の外に出たから。
いろんなものと会話できるようになって、場を作っていく。
身近なところから全部まで。
時間は決めなくていいらしい。
本当は、過去も未来もあるようでないようなものだから。
立体的な。
全部、今に重なっているということがちょっと前に体感として分かった。
体感が結構来るねんな。
「分かった!」というやつが、急に。
それだけでいいのかもしれない。
外側に証明できるものを探さなくても。
すでに、非言語コミュニケーションをしているのかもしれない。
内部に全てあるのだから。
外と内の区別をなくせばいいだけで。
結構、だいぶ、分かってきました。
思い出してきたというか。
虫や動物のことで分かってきたことがたくさんあって、また書きたい。
今までは他人にとっては半分空想のように映ったと思うけど、自分としてはしっかりした準備運動だったと分かった。
現実にみんなの前にも現れるところまでいく。
そんな人生後半の始まり。