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インディーズ的なもの

わたしが高校生の頃、決してバンドブームとは言えない状況だったけれど、それでも音楽が好きな人はバンドの音楽を聴いていた。たとえば、くるり。たとえば、チャットモンチー。それから、BUMP OF CHICKEN。

中学生から高校生、そして大学生くらいまでの間、いろいろなバンドの曲を聴いていたけれど、とりわけグッとくるのはインディーズバンドだった。
インディーズ。どうして、インディーズって特別だったんだろう。

aikoとか、ミスチルとか、既にメジャーなアーティストの曲ももちろんいい。でも、街にはそういったアーティストの曲が溢れていて、ほんとうに好きなのか、どこかで何度も聴いたことがあるから耳馴染みがよくって好きな気がするのか、わからなかった。

その点、インディーズバンドの曲は当然聴こうと思ったときにはじめて聴くことになる。そこで、雷に打たれる。すごくいい。そして、その「いい」はなんの混ぜ物もない、洗脳でもない、わたし自身の直感なのである。

そうやってインディーズびいきを続けていると、「インディーズ的なもの」に惹かれるようになってしまう。たとえば、まだ売れていない芸人。売れるためにもがく姿、テレビ出演や賞レースの結果に一喜一憂する姿には人間の魅力が詰まっていて面白い。さらにそこからだんだんと「メジャー」に向かっていく、その様子がカタルシスを生む。

わたしが本当にどうしようもないのは「メジャー」に向かっていく、そのカタルシスは大好物なのに、「メジャー」になってしまうと急に興味を失ってしまうこと。応援していたあの頃がいちばん楽しいんだよなあ。薄情なファンだと、自分でも思う。

すっかりヒップホップが音楽の流行りのまんなかになった最近だけれど、今の若者は「インディーズ的なもの」は追いかけないんだろうか。追いかけているとしたら、それはインディーズバンドではなく、何なんだろう。

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