うちの嫁には生えてます!?(27/27)
最終話「まだまだ嫁には生えてます!?」
ふと、スマートフォンのメロディで目が覚めた。
暗い中、見もせず頭上へと手を伸ばす。畳の上に歌うスマートフォンを見つけて、それを美星は目の前へと連れてきた。
メールの着信は、莱夏からだ。
「何だ、いったい……まだ2時だぞ?」
身を起こそうとしたが、そのまま柔らかな重みを感じて身を固くする。
胸の上では今、辰乃がやすらかな寝息を立てていた。
彼女の翡翠色の髪が、広がる海のように波打っている。
寝ている彼女を起こさぬよう、美星は静かにそのままの姿勢でメールを開封した。
「空港上空に未確認飛行物体……怪獣騒ぎ? ああ、それで飛行機が遅れてたのか」
昨日のことを思い出すと、自然と頬が緩む。
もう、胸の奥の傷は痛まなかった。長らく膿んで疼痛をもたらしていた、その確かな感触だけが繋がりを教えてくれた。だが、それをようやく終わらせられたのだ。
百華は今頃、まだ雲の上だろうか?
あの奔放でラジカルな恋人のことを思い出す。
元恋人として、振り返ることができる。
彼女は振り返らずに前へと、夢へと向かって進んだ。
自分もまた、新たな日々に歩み出す時だった。
「で……あー、この写真は……辰乃、だなあ」
莱夏の興奮気味のメールには、写真が添付されている。
どう見てもうちの嫁です、本当にありがとうございました。などと返信できる筈もなく、解像度の低い写真に溜息が零れた。
昨日、自分を助けてくれた辰乃の、真の姿だ。
航空便が全て遅延したのは、どうやらこれのせいらしい。
輪郭の滲んだ巨大な龍の画像は、その翼の強さと速さを無言で語っていた。
寝ている辰乃がもぞもぞと動いたのは、そんな時だった。
「ん……ふぁ? 美星、さん?」
「ああ、すまん。起こしたか?」
「いえ、ただ」
「ただ?」
「呼ばれた、気がして」
胸の上で見上げてくる辰乃の、その碧色の瞳が潤んでいる。
そっと頬に触れれば、彼女もその手に手を重ねてきた。
だが、次の瞬間には……美星は異変に「うん?」とマヌケな声を発してしまった。
「辰乃、あの……だな」
「はい。あ……そ、そうですね! こんな時間に目覚めてしまいましたし」
「ああ、うん」
「……また、さっきは駄目でしたし。だから……もう一回、もう一度だけ……今夜は」
「それは、まあ、無理すんな」
今夜は莱夏と千鞠が来てくれて、四人で盛大な誕生パーティが催された。人に誕生日を祝ってもらえるなど、美星には何年ぶりのことだろうか?
宴も酣でお開きとなったあと……自然と二人きりになったら、言葉は必要なかった。
後片付けもそこそこに、二人はこうして布団に入ったのだ。
だが、結局今宵も夫婦の契を結ぶことは叶わなかった。
躰の相性がよくないのか、やっぱり辰乃の痛がりようは尋常ではなかったのだ。
「それより、な……辰乃」
「は、はい」
「……お前、生えてるぞ?」
「あっ! 角ですか、尻尾ですか!?」
「や、それはいいんだが……むしろ、出しといて構わないんだが」
辰乃に触れる美星の肌に、違和感。
普通に考えると、男性にしか生えていないモノがある。
「辰乃……お前、生えてるぞ? ……ヒゲが」
「ヒゲ!? あっ、ああ、これはですね、美星さんっ!」
「猫、みたいだな……あ、触るとまずいか?」
「ひぁっ! ん……ビリビリ、します」
美星が手で触れる辰乃の頬に、針金のようなヒゲが何本も生えていた。それが見えたのは、頭の角がぼんやりと光って明るいからだ。
勿論、布団の中では尻尾が甘えるように絡みついてくる。
そう、うちの嫁には生えてます。
辰乃は龍神の化身、1,500年も生きているドラゴンなのだから。
「ご、ごめんなさいっ! 気が緩んでました!」
「あ、いいけど……他にこう、出しちゃった方が楽なもん、ある? 爪とか牙とか」
「い、いえっ! ちゃんと人間の姿でいます! なるべく! ……その方が、美星さんにも……かわいい、って思ってもらえるかもしれないから」
「うん」
「でも、角と尻尾は出しちゃうと楽ですね。っていうか、そのぉ……嬉しいと、出ちゃいます」
張り巡らせたアンテナの用に揺れるヒゲが、すっと消えてゆく。
薄明かりの中で微笑む辰乃が、美星にはこの上なく愛しく思えた。彼女がいたから、過去にケジメをつけることができた。そして、彼女と一緒だからこの先も今を生きて行きたい。そして、二人でどんな未来にも……二人だからこそ、踏み出せる筈だ。
上手く言葉が見つからないまま、そのことを伝えるように美星は目を細める。
とりあえず莱夏への返信は明日にして、もう少し辰乃と朝まで寝ていたかった。
だが、辰乃はよじ登るようにして美星へ額を寄せてくる。
「あ、あのっ! 美星さん!」
「ん? どした」
「あの、昨日……莱夏さんから聞きました! えと、そのぉ……夜の営み、わたしがもっと床上手ならと!」
「あー……すまん、それは別に。っていうか莱夏、明日はきつく説教だな」
「それで、この家に秘蔵してある……薄い本というのがあるといいらしいです!」
「……は?」
真剣な目で辰乃は、大きく頷いた。
甘やかな雰囲気の夜が、一気に台無しになった。
だが、彼女は大真面目である。
「その薄い本というのは、同人誌だそうです! きっと、恋人や夫婦の短歌や和歌が」
「あ、今はな、同人誌ってそういうのじゃないから」
「しかし、わたしにはわかりません……莱夏さんは『薄い本がアツくなる』と言ってました。美星さんっ! これはもしや……何かの暗号ですか? 何か、こう、美星さんがアツくなれるような……わっ、わわ、わたしを……愛してくださる、ような」
思わずおかしくて、美星は吹き出してしまった。
声を出して、笑った。
何年ぶりかはわからない、それすら覚えてない程昔のころ以来だ。
呆気に取られた辰乃は、プゥ! と頬を膨らませた。
それがまたかわいくて、美星は笑いが止まらない。
「と、とりあえず、待て、待てな、辰乃……ま、まあ……ええと、とりあえずだ。莱夏、明日説教に加えて作業追加だな。あいつめ、はは」
「もーっ、美星さん! 何がおかしいんですか。わたし、気にしてます! その、美星さんと……なかなか、結ばれなくて。わたし、いつも痛くて」
「ああ、気にするなっての。それとな……確かにこの家にその、薄い本? はある」
「ならば是非! 是非わたしに読ませて下さいっ! 妻として、美星さんをアツく滾らせることができるかもしれません。そうすれば、きっと」
「や、女の子が見るもんじゃないから。それと……俺も少し、それは流石に恥ずかしい」
きょとんとしてしまった辰乃の頭を、撫でる。
温かな黄金色の光で、角が二人の顔を照らしていた。
見下ろす美星の視線が促してしまったのか、そっと辰乃は瞳を閉じる。
唇を重ねて、そのまま美星は辰乃を抱き締めた。
「辰乃、焦ることないからな? 最近は人間、80や90まで生きるのも当たり前だから。俺なんか、昨日ようやく30になった青二才さ」
「は、はいっ! 美星さん、長生きしてくださいね?」
「ん、そうする。辰乃はまあ、長生きだろうけど……一緒の時間を長く過ごせるよう、頑張るかな。だから、焦るな。それと、薄い本のことはワスレテクダサイ」
「……何で敬語なんですか?」
「い、いや……ダイジョウブ、健全ナ本ダヨー」
「今、嘘つきました! 美星さんが! わたしに!」
でも、辰乃は笑った。
抱き寄せる腕の中で、満面の笑みを咲かせてくれる。
美星の元に突然押しかけてきた花嫁は、今日も愛らしい笑顔で美星を見守ってくれていた。そのぬくもりを全身で閉じ込めるようにして、再び二人で眠りにつく。
こうしてようやく、美星は辰乃の夫になれた気がした。
良き伴侶を得たと思うし、これからどんどん恋に落ちる……そんな予感だけは確かで、古傷となって掠れてゆく記憶の上から、辰乃の存在感を上書きしてゆくのだった。