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うちの嫁には生えてます!?(23/27)
第23話「愛しているから、こそ」
雨が降り出す前に、美星は家へと帰ってきた。
もはや誕生日のお祝いどころではない。
だが、まだ魔法少女ラジカル☆はるかのコスプレをしたまま、辰乃は旦那様を出迎えた。バイクのエンジン音が聴こえたので、玄関から飛び出したのだ。
「美星さんっ! おかえりなさいませ、あのっ!」
「ん、どした? ……その格好、どうしちゃったんだ」
「あ、いえ、これは! 莱夏さんが教えてくれて、美星さんが喜ぶって」
「まあ、嬉しいかもな」
「あ、ありがとうございます。でも、そうじゃなくて!」
言葉を選ぶことすらもどかしい。
だが、ヘルメットを脱ぐ美星は、いつものぼんやりとした真顔でそんな辰乃の頭をポンポンと撫でた。グローブ越しに大きな手の体温が、じんわりと浸透してくる。
辰乃は少し自分を落ち着かせると、ゆっくりと喋り始めた。
「美星さん、先程百華さんがいらっしゃいました」
「……そっか。んで?」
「今から飛行機に乗って、ウィーンに行くそうです。それで、美星さんに会いに来たって」
「うん。まあ……夢が叶ったんだな。いや、ここからが本当の挑戦の始まりか」
美星は驚く程に落ち着いていた。
冷静を演じているとさえ思えた。
それがわかるくらいには、辰乃は美星との絆を深めていた。今も、無感情で無表情な顔は仮面で、その奥に動揺した素顔が隠されている気がした。
「それで、飛行機の時間があるからって……ついさっき、行っちゃいました」
「そうか。うん、まあしょうがないな。辰乃、これお醤油な」
「いいんですか? 美星さん……百華さんと会わなくて」
「まあ、もう終わったことだからな」
「終わってなんかいませんっ! 二人の中で、両方共……終わってなんか、いないんです」
びっくりするくらい大きな声が出た。
受け取った醤油のボトルを、両手でギュムと握り締めてしまう。
流石の美星も、少し驚いた顔をした。
「わたし、嫌な女です……でも、それでも! 美星さんに、百華さんとのこと……決着をつけて欲しいんです。それでもし、元の鞘に収まっても、それでも」
「辰乃、それはないな。俺さ……辰乃が嫁に来てくれて、嬉しい」
「でも、だからこそ……最後のチャンスになるかもしれないから」
「俺の気持ちはとっくに整理がついてるからさ」
嘘だ。
全てが嘘ではなくても、偽る気持ちが入り混じっている。
確かに心の整理は終わっているのかもしれない。
だが、そうして片付け封印することは苦しい筈だ。
自分の趣味を客間に押し込み、アニメやゲームを封印した以前の美星と同じである。本当の気持ち、本気と本音とを押し殺すのは、それはとても辛いことだ。
神の下僕としての使命から解放された今、辰乃にはわかる。
自分で欲して望んだことの価値、尊さを。
それを自ら封じるのは、血を吐くような苦しみの連続だと思う。
もし、今の辰乃が美星を奪われたら……
でも、その未来が可能性として広がる瞬間へ、美星を押し出したい。
「嘘、です……美星さん、今も苦しんでます!」
「……あんましさ、辰乃。知ったようなこと言うなよな。ちょっと変だぞ、お前」
「知らないです、美星さんと百華さんのこと! でも、わかるんです……感じるんです」
グローブを脱いだ美星の手が、そっと優しく頬に触れてきた。
その指が拭ってくれて、初めて辰乃は泣いていることに気付く。
自然と溢れた涙が、とめどなく流れる。
「辰乃、その……怖いけど、聞くぞ? 煮え切らないまま、時間に解決を任せて……その、ちょっと逃げてる俺は……嫌いか?」
「そんなことないです! どんな美星さんでも、わたし……好きなんです。愛して、しまったんです」
醤油のボトルを胸に抱き締め、止まらぬ涙をゴシゴシと手の甲で拭う。
だが、心が決壊して溢れ出た想いが、言葉に勝手に変換されてゆく。
「でも、美星さんに、もっと……楽になって、ほしくて。重荷を、下ろしてほしくて」
「辰乃……お前」
「わたし、美星さんと一緒になれて嬉しいです。でも、百華さんとのことを知って、嫉妬しちゃって……それで初めて、人の心を得た気がしました」
美星を見上げて、一生懸命に辰乃は言の葉を紡いだ。
星をも消し飛ばす龍神の辰乃が、一人の男に全ての力を振り絞る。
「だから、美星さん……百華さんに会って、ちゃんと気持ちを伝えてください。その結果がどうなっても、わたしは美星さんを祝福します。そして……晴れやかな気持ちで、またわたしを選んでもらえたなら」
美星はバリボリと頭をかいて、バツが悪そうに目を逸した。
だが、彼の気持ちはちゃんと辰乃に向けられている。
真っ直ぐにぶつける辰乃の想いが、真っ直ぐに跳ね返ってくる。
「……俺はさ、辰乃。聖人君子じゃないし、まあ、普通の男だよ。取り立てて夢も志もないし、さ。オタクだし。でも、今は」
一拍の間を置いて、美星は辰乃を真っ直ぐ見下ろしてきた。
美星の双眸に今、涙に濡れた自分の泣き顔が映っている。
「今は、自分なりにやりたいこと……守りたいものが見つかった気がした。それは、突然の押しかけ女房で、世間知らずで浮世離れしてて……でも、大切にしたいと思ったよ」
「美星さん……」
「ありがとな、辰乃。気持ちの整理が本当についてるなら、それを見せる必要があるみたいだ。百華に……なにより、辰乃に」
「は、はいっ! わたし、美星さんをいつも応援してます! どうか、どうか心のままに」
「だな」
そして、突然のことに辰乃は驚く。
美星はいきなり、辰乃を抱き締めてきた。
力強い抱擁に、鼓動も呼吸も止まりそうになる。
思わず醤油を落としてしまったが、辰乃も一生懸命に美星を抱き返した。美星の体温と匂いを、全身で受け止め自分の中に圧縮してゆく。
最愛の旦那様を、身体の全てで感じて受け止める。
例えこれが最後の抱擁になっても構わない。
美星が自分で未来を選ぶために、過去に決着を付けて欲しい。
どんな結末でも、それを選んでほしいのだ。
「よし、じゃあ」
「は、はいっ! いってらっしゃいませ、美星さん」
「ん。ちょっとひとっ走り、だな……必ず帰ってくる。お前のところに戻ってくるよ、辰乃」
それだけ言うと、美星は弾かれたように辰乃から離れた。
再びバイクに跨り、グローブを着けてヘルメットを手に取る。
辰乃は、精一杯の笑顔を作ろうとした。
だが、泣き笑いでぐしゃぐしゃな顔を向けるしかできない。それでも、エンジン音を再び響かせる美星をしっかり見守った。
「んじゃ、行ってくる。それとな、辰乃」
「は、はいっ!」
「コスプレ、かわいいぞ。ひょっとして……俺、今日は誕生日か?」
「そ、そうですっ! ケーキも買ってあるんです。わたし、つい先日気付いて」
「そっか。夕飯までには戻る、と、思う」
そうして美星は、再び愛車ドゥカティに乗って走り去った。
通りまで出て、その背を見送る辰乃。
今、美星は自分で選んだ。
有耶無耶な中で途切れた関係を、自分と百華で一緒に変えるために。続くにしろ終わるにしろ、その結果を二人で共有するために。
美星の旅立ちを前に、試練のように空は曇ってゆく。
雲が低く垂れ込める中、遠雷がゴロゴロと近付いていた。
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