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うちの嫁には生えてます!?(9/27)
第09話「新婚の朝のはじまり」
長いようで短い有給休暇は、波乱の夜で幕を閉じた。
リトライの初夜で、再び荒谷美星は驚きに触れる。
やはり、うちの嫁には生えてます……股間に太くて立派なモノが。
そのことを思い出して、驚いた自分の方が美星には驚きだった。
「まあ、その、なんだ……辰乃といると飽きないな」
ぼそりと呟き、出社直後の社内を自分のデスクへと向かう。
忙しい朝だが、直属の上司に無理を言って社長と会ってきた。二人の前で結婚の報告をし、総務の方にも妻を娶ったことを申請したのだ。社会に出るとこうした手続きは必ず必要で、おめでとうと言われる度に不思議な実感が胸に満ちてゆく。
勿論、神様にもメールして辰乃の戸籍等の用意をお願いした。
公文書偽造という罪があるが、神様に言わせれば『元からあったこととして過去から現在までを修正するだけ』らしい。つまり捏造ではなく再構築だとか、難しい長文メールが数分で返ってきた。
やはり神様だけに神対応だ。
そうして自分の部署に戻ると、いつものように元気な笑顔が迎えてくれた。
「あっ、アース先輩! おはよーございまする!」
「おう、莱夏。おはようございます」
「昨日は特に緊急の案件はなかったッス。納品後だし、うちのチームは半分くらい有給取ってましたね。ユーザー側からも特に連絡やクレームはナシでっす」
「サンキュな、莱夏。今度、安くて美味いもんをおごってやろう」
「デシシ! やったぜ!」
会社の後輩、響莱夏は大型犬みたいな笑顔を向けてくる。
気のいい奴で、トラブルメーカーにしてムードメーカー、何より頑張り屋で頼れる部下である。つい先日まで過酷な労働環境の中にいた美星達だが、彼女の空元気はいつも皆を励ました。時々イラッとするが、概ねありがたかった。
少年みたいなベリーショートの頭をバリボリかきつつ、彼女は笑う。
「で、先輩っ! 社長達と何を話してたんスか? ま、まさか……他社に移籍とか?」
「ばーか、俺が抜けたらここがブラックなだけの会社になっちまう」
「激しく同意ッスー、先輩はブラックコーヒーに一滴落としたミルクのような存在ッス。残業代も手当も出るとはいえ、徹夜と終電のコンボはきついッスー」
毎回という訳ではないが、修羅場は確かに存在する。
だが、そうまでして納期とクオリティを守るからこそ、社会で信頼され上司からも信用してもらえるのだ。それに、一応主任という立場から、美星も最大限の便宜で仕事と部下とを守る。
そういう時に感情の揺れ幅がない自分は便利だった。
「なんてことはない話だ。結婚の報告とかだ」
「なるほどー! ……は? 結婚!? 結婚って」
「異性と婚姻関係を結んだという意味だ」
「そりゃそうスよ、知ってるッス! 同性と結婚したらセンセーショナルじゃないですかー! 先輩が結婚……自分という女がありながらー!」
「わざとらしい小芝居はやめなさいって」
わざとしなを作ってなよなよと莱夏が崩れ落ちる。
だが、すぐに立ち上がった彼女の笑顔は輝きを増していた。
「なにはともあれ、おめでとうございまっする! いやあ、めでたい!」
「ま、喧伝する必要はないがお前には伝えておく。ありがとな」
「はぁ、先輩が大人の階段を登ってしまった……自分の分まで幸せになって欲しいッス」
「や、断る。お前はお前で幸せになれ」
「うぃス! りょーかい!」
敬礼の仕草で身を正しつつ、莱夏はやっぱり笑ってくれる。
この笑顔が美星は嫌いじゃない。
だから、唐突に予想外な言葉が襲ってくると、ギャップが会話の切れ味を鋭くした。
「あの人と一緒になったんスよね? 以前ちょっと見た、あの美人さんの」
「……いや、違う。あいつじゃない……百華じゃないんだ」
「そうそう、百華さん! って、ありゃ? 恋人さんとゴールインじゃ」
「ん、まあ色々とあってな」
――その女の名は、百華。
生涯忘れないであろう、最初の恋人で最後の失恋そのものである。
最後だと言い切れるのは、辰乃が一緒にいてくれるだからだ。
だが、最後の瞬間は終わり切らずに続いている。
美星の心を圧縮しながら、永遠に続くかもしれないのだ。
そのことを思い出したくなくて、美星はすぐに話題を変える。
「ところで、莱夏。お前……生えてるか?」
「は? ええと、生えてるかというと」
「股間に」
「ああ、そゆ意味ッスか! 朝からド直球な内角低めのセクハラ発言! ……ちょっと濃い目スかね。あと、最近手入れをサボってるッス」
律儀に答えんでもいいと思ったし、アンダーヘアの話ではない。
だが、臆面なくこういう会話が成立し、互いに不快と思わぬ深い仲だった。
「どうしたスか、先輩……あ、奥さんに生えてないとか!? むしろ、そういう趣味の為に百華さんじゃなくて違う人を」
「いいから奴の名は出すんじゃない、それと……生えてた。凄いのが」
「……え、あ、おう。今度は惚気ッスね!」
そこで始業のチャイムが鳴ったので、とりあえず莱夏は座って仕事を始める。
美星もその隣の机で、メールのチェックに取り掛かった。デスク上には部下達の連絡事項がメモ用紙を連ねている。それにも目を通しつつ、パソコンの画面を向きながらも莱夏との会話が続いた。
どうにか膿んだ記憶からは遠ざかれそうだ。
「デリケートな話スから、自分以外にそーゆーこと言わない方がいいッス。残念な子って思われますよ? 自分以外に先輩をそう思う人がいたら、嫌ッス」
「お前に残念がられても、それはそれで困るけどな」
「はあ、しかし結婚……いいスねえ。どんな人ですー?」
「えっと、まず人じゃない」
「おっと、いきなりの上級者発言!」
「小さくて、凄い年上で、見た目は十代。スタイルはいいけど、思考がレトロな感じだな。優しい子だ」
「何それしゅごい……それなんてエロゲ? エロゲ案件ッスよ!」
「俺もそう思う」
「そして、凄いのが生えてる……ちょっと性癖こじらせ過ぎじゃないですかー、先輩」
「言っとくが俺が選んだわけじゃない。……ま、満足度はそれなりだが」
美星は自然と昨夜のことを思い出す。
唇を重ねた時から、辰乃は立派な角を頭上に広げていた。
嬉しいと出てしまうらしいから、喜んでいたのだ。
その期待に答えられなかったのは、思い出しても申し訳ない。
そして、辰乃の股間の感触だけは忘れられない。
昨夜はあのあと、少し彼女と話した。基本的に神様の類には性別がないことや、それでも嫁入りしたくて女性の肉体を選んだこと、人間の姿でいることはそれなりに緊張すること……そしてやっぱり、嬉しくなるとアレコレ生えてしまうこと。
「ま、気にしても始まらん。そういうもんだと思っておくか」
「そそ、ポジティブシンキングが大事! 先輩、得意じゃないスか……開き直るの」
「まあな。莱夏ですら生えてそうで生えてないから、ちょっと驚いただけだ」
「自分だって大人ッスよ、エロティカルな亜熱帯のジャングルなんスよ!」
「声がでかい。まあ……お前に生えてたら千切れんばかりに振ってそうだけどな。お前、いつも楽しそうだし」
「ん? 何スかそれ」
そこで電話が鳴って、莱夏はすぐに受話器を手に取る。
仕事モードになると、彼女は声だけキャリアウーマンへと変貌するのだ。
そんな後輩の横顔を眺めながら、美星もまた本格的に仕事へ手をつけ始める。
「ま、生えてても構わないけどな……尻尾」
辰乃とは昨夜、約束をした。
家で二人きりの時は、角も尻尾も出してていい、リラックスしてて欲しいと。
艶めく鱗で飾られた辰乃の尻尾は、それはもう長くてしなやか、立派なものだった。
そんなことを思い出していると、完璧な電話対応でついつい頭を下げつつ……莱夏がメモを回してくる。走り書きの字を見て、美星は片眉を跳ね上げた。
「……は? 今夜、俺ん家に行くって……安くて美味いもの、焼き鳥? ああ、やまがみに前に連れてったか。今日か……ふむ」
断る理由がさしてなかったので、あとで辰乃に電話しようと心に止めておく。
少し悪いが、莱夏の前では人間の幼妻でいてもらうことになるだろう。
そんなことを思い出していると、また心の奥にこびりついた女の幻影が笑う気がした。
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