うちの嫁には生えてます!?(10/27)
第10話「はじめてのお客様」
昼に美星から電話を貰った時、辰乃は少し残念だった。
今日の夕飯は、鶏の手羽先とこんにゃくや里芋等を入れた煮物だ。他には、買ってもらったスマートホンでおっかなびっくり検索して、茶碗蒸しにも挑戦してみるつもりだった。
だが、美星は今日は外で夕食を兼ねてお酒を飲んでくるらしい。
そして、会社の後輩を家に連れてくるそうだ。
今、俄然辰乃は張り切っていた。
「美星さんの後輩さん、はじめてのお客様です。わたしが頑張っておもてなしです!」
美星からは家計のやりくりをあっさり一任されている。
決して無駄遣いはしないと決めているが、お客様のおもてなしともなれば無駄にはならない筈だ。煮物は仕込んであったのでこのままお夜食に出すとして、家でもお酒を召し上がるのではと買い物に出かけた。
そうこうしているうちに、とっぷり日が暮れ夜が来た。
一人の夕食はちょっと寂しかったが、すぐに辰乃の嫁いだ家が賑やかになる。
八時を少し過ぎたあたりで、美星が帰ってきたのだ。
「ただいま、辰乃」
「おかえりなさいませ、美星さんっ!」
相変わらずの無表情だが、頬が少し赤い。
美星は「ん」と、紐で結ばれぶら下がった包を突き出してきた。
「辰乃にお土産。焼き鳥だ」
「まあ……わたしにですか!? 美星さんがお土産を……ありがとうございますっ」
「や、そんな大げさなことじゃない。それと」
僅かに声を潜めたのは、美星の後ろに一人の女声がいるから。
紹介されるのを待っている彼女を、辰乃はちらりと見る。目と目が合って、むこうはニヘヘとゆるい笑みで頭を下げた。自分も礼を返していると、美星は小声で囁く。
「真司に聞いたが、神様は時々あの店に……やまがみに顔を出すらしい」
「あ、はい。神様、お酒が好きな方ですから」
真司というのは、確か美星がよく行く焼き鳥屋の二代目だ。辰乃が初めて美星に会った夜も、忙しく働いていたのを思い出す。
そうこうしていると、美星はポンと辰乃の頭を撫でた。
手の中の焼き鳥が暖かくて、無言の仏頂面も辰乃には優しく見える。
どうにもぼんやりとしているが、美星は最愛の旦那様で、接して触れる度に好きになる。人間の結婚というものに憧れていた辰乃にとって、今は幸せの絶頂だった。
「あ、そうだ。こいつ、後輩の響莱夏。こっち、嫁の辰乃だ」
「こんばんわー! 莱夏って呼んで欲しいッス! ……おお、おお! せっ、先輩! アース先輩……ロリコンだったんスか? これまた、百華さんとは真逆にいったスねー」
「やかましい。ほら、さっさと上がれ」
そう言えばと、辰乃は思い出す。
世の中には、ロリコンという病気があるらしい。
今の姿を手に入れた時、神様も少し言っていた。
なんでも不治の病らしく、患えば人として扱われないとも。
美星がその病気、ロリコンなのだろうか?
心配に胸の奥がギュッとなった。
「美星さん! やっぱり美星さん、ろりこんなのですか!?」
「いや、違うけど」
「一度お医者様に見ていただいては……辰乃もご一緒します。わたし、心配で」
「えっと、ロリコンは病気じゃなくてだな。まあ、ある意味病気だが」
そう言って美星は、少しだけ口元を緩める。
苦笑を浮かべていても、彼の目元が優しい気がした。
あまり表情が変わらない人だが、辰乃にはわかるのだ。
だから、聞きそびれてしまった。
莱夏が口にした、百華という名の意味を。
そうこうしてると、玄関にあがった莱夏が近くでじっと見詰めてくる。なんだかわんこみたいだと思ったが、言えば失礼にあたるので辰乃は戸惑った。
「あ、あの、莱夏さん? えっと」
「くーっ! 幼妻! 何これかわいい! 萌えっ! 先輩、犯罪ッスよ犯罪!」
「い、いえ! 美星さんはなんの罪も犯してませんっ!」
「うう、かあいらしい反応……むふ、冗談スよ辰乃ちゃん。えっと……たつのん!」
「た、たつのん!?」
「そそ、辰乃だからたつのん! これからもよろしくッス」
馴れ馴れしいが、不思議と莱夏には奇妙な親しみやすさがある。
スッと自分の中に入ってきて、勝手に居座るのに不快感がない。
きっと美星も同じことを感じているから、家まで連れてきて辰乃に会わせてくれたのだ。この人界で美星以外に親しい者がいないので、純粋に辰乃は嬉しかった。
「こ、こちらこそ……いつも美星さんがお世話になっております。莱夏さん、わたし共々今後もよろしくお願いいたします!」
「わはは、任されちゃって! おけおけ、ほんじゃあ……まお邪魔しますー!」
居間へと一緒に上がって、寝室へ向かう美星を見送る。
着替えを手伝うと申し出たが、美星は「莱夏を少し頼むな」とやんわり断った。そして、無言で辰乃に頷いてくる。
――角と尻尾、気を付けような。
辰乃も大きく頷きを返す。
龍神の化身である辰乃には、やはり人の姿を借りても消せぬ龍の特徴が残っている。これを全て隠しておくことは、適度な緊張を強いられた。
だが、逆にその全てを美星にだけは見せていいことになっている。
美星の前では、リラックスして半端な人間の娘でも許されるのだ。
まるで自分がまるごと認められたような気持ちで、辰乃は改めて自分の夫に惚れ直してしまった。そう、恋も未経験で愛は未遂だが、はっきり辰乃は美星にベタ惚れだった。
「あ、先輩っ! 対戦しましょ、対戦! 久々に対戦希望ッス!」
「ん? ああ……ゲーム機なら全部しまったぞ。俺も随分やってない」
「なんと!? あのアース先輩が……どっ、どど、どうしたんスか」
「ちょっと、な。まあ、取ってくるから少し待て。辰乃、何か出してやってくれ。そいつ、犬みたいに何でもバカスカ食うからな」
そう言うと美星は、着替えの前にあの部屋へ消えていった。
入ってはいけないと言われた、客間だ。
今は物置になっていて、その『げえむ』とかいうのもしまってあるのだろう。
また聞き慣れない単語を知って、辰乃は首を傾げた。
だが、どっかとテレビの前に座る莱夏へ酒と肴を用意する。
きっと、何かしらの遊戯か賭博、もしくは酒宴の席での余興だろう。
「あ、たつのん! これ、たつのんが作ったんスか! くーっ、愛妻的な!」
「お口にあえばいいんですけど。煮物とお新香と、あと焼き鳥も温め直してきますね」
「あいますあいます、あわせますとも! へぇ、家庭的……たつのん、いい娘だ!」
「い、いえっ! わたし、まだまだ未熟なんです。最近のお台所には難しい機械も多くて。でもっ、炊飯じゃあと電子れんじは使い方を習得しました」
「お、おう……どっか、違う国から来たのかな? ま、いッス! いただきまーす!」
すぐに莱夏ははぐはぐと煮物を食べ出した。
辰乃が徳利を持って勧めると、ぐいのみに日本酒を貰ってすぐに飲み干す。
豪快な人だなあと思っていると、莱夏は幸せそうに眦を下げた。
「いいスなあ、先輩にはたつのんみたいなお嫁さんがいて」
「そんな……わたしなんてまだまだです。もっと人界を勉強しないと」
「ジンカイ? え、なになに?」
「い、いえ! えと、あ、ほら、あれです。すまあとほんというのもまだまだ使いこなせなくて。でも、ぐうぐるというのによくお世話になります。何でも教えてくださって、これはさぞ高名な賢者か識者の類だなと」
「まー、困ったらググればいいスからね。あ、じゃあメアド交換しないスか? LINEは? えっと、ちょっと待ってねー」
莱夏も携帯電話を取り出した。
辰乃や美星と同じ、いわゆるスマートホンだ。
本当にこの時代の人間は、一人が一台電話を持ち歩いている。改めて辰乃が驚いて、メアドだなんだとわたわたしてると……莱夏が優しく教えてくれる。
少し時間がかかったが、どうやらアドレス帳というのに登録されたらしい。
何もかもが新鮮な驚きに満ちているが、目を白黒させる辰乃を見て莱夏は笑った。少年みたいな笑顔で、自然と辰乃も頬が綻ぶ。
そうこうしていると、美星が大きめの箱を持って戻ってきた。
「辰乃、あんまし甘やかさなくていいぞ。図々しいこと言ったら断れよ」
「たはーっ! 先輩厳しいッス!」
「あ、いえ……凄く親切にしてもらってます。あと、めあどというものを頂戴しました!」
最近の電話は本当に凄いなあと、改めて辰乃は目を丸くする。
まず、線がない。
どことも繋がってないが、充電されてればすぐ電話できる。
相手の番号を電話機自体が覚えててくれるのだ。
メアド、つまりメールアドレスがあれば、お手紙を出すこともできるらしい。電話機に文章をしたためる、これも少し難しいがゆっくりならできそうだ。
そう思っていると、見慣れぬ機械を美星は箱から出す。
「少しだけだからな、莱夏。お前、電車なくなったら帰れなくなるからさ」
「了解ッス! えっと、半年ぶり位? かな? 前回のリベンジ、ガチでいくッスよ!」
何か線をテレビに繋いで、二人は奇妙な物体を握る。
ボタンが沢山並んで、ちょっと電卓という計算機に似ていた。
美星にもぐいのみを用意しつつ、キョトンと辰乃は首を傾げてしまう。
しかし、次の瞬間にはテレビの画面が切り替わった。
派手な音楽が鳴り響いて、不思議な絵が動き出す。
そう、絵だ。
まるで漫画のように色鮮やかな絵が、生きてるかのように躍動していた。
「あっ、ああ、美星さんっ! これは」
「ん? ああ、すまん……その、実は……まあ、こういうのが好きだった時期があって」
「凄いですね、これがげえむですか?」
「うん、まあ……ちょっとだけな、莱夏。辰乃が驚くし……嫌だろうしさ」
それは不思議な遊びだった。
絵に描いた武者や騎士が、テレビ画面の中で戦っている。
そしてどうやら、対峙する両者を操っているのは美星と莱夏らしい。
莱夏は一生懸命、手に持った機械を振り回して一緒に全身を動かす。
美星は普段と変わらぬ無表情で、淡々とボタンを忙しく押し続けた。
「あっ、汚っ! ハメ技ッスよ、ハメられたッス!」
「いいから少し落ち着け、莱夏」
「先輩、加減ってもんを知らないスよ、酷い!」
「まあ、俺に勝とうなんて十年早いからな」
「うぐぐ……流石にやりこんでた人は強い。ブランクを感じさせぬ動き」
どうやら美星は、このゲームとかいうものが達者らしい。
何がどうなってるかわからないが、辰乃はただただ驚くだけだった。思わず口が半開きになるのも忘れて、異次元の戦いを繰り広げる絵を見詰める。絵が動いていることも、それを美星が動かしてることも新鮮、そして感動だった。
だが、ふと気になる。
何故、美星は『嫌だろうしさ』などと言ったのだろう。
確かに、辰乃は戦いや争いが嫌いだ。
昔はその原因になったこともあるし、加担したこともある。
しかし、相手が人であれ神であれ、もう誰かを傷付けることはしたくない。
絵と絵を競わせる遊戯だからこそ、こうして見ていられるのだ。
「かーっ、また負けた……」
「ん、前よりは上手いな……どうだ? まだやるか、莱夏」
「と、当然っ! あ、でも……たつのん、やってみるスか?」
不意に振り向いた莱夏が、両手で持つあの機械を差し伸べてくる。
その時、見てしまった。
美星の顔はいつもと変わらないのに、どこか瞳が不安に揺れている。どういう訳か、旦那様はこの遊びが好きではないらしい。しかし、素人の辰乃が見ても驚くべき技術、習熟した手練を思わせた。
妙な空気を察した辰乃は、結局莱夏の申し出を遠慮する。
徐々にだが、辰乃の知らない美星が浮かび上がろうとしていた。
そのことに対する恐れよりも、辰乃は美星が隠す後ろめたさの方が心配なのだった。