うちの嫁には生えてます!?(18/27)
第18話「触れてはいけないのは、過去か」
駅前の商店街を、神様は我が物顔で歩く。
早瀬百華も負けじと、意気揚々と続いた。
二人は完全に意気投合したようで、まだ準備中でのれんも出てない焼き鳥屋『やまがみ』へと入ってゆく。御迷惑ではと急いで追いかけた辰乃は、見てしまった。
美星の友人、山上真司が「あっ!」という顔をした。
百華と辰乃を見て、一瞬表情を強張らせたのだ。
それでも彼は、従業員達に指示を出しつつこちらへやってくる。
「おいおい爺さん、ってか神さん? いつも言ってるよな、開店は五時からだって」
「すまんすまん、すまんついでに……ワシもいつもいっておる。ありがとう、本当に助かるわい」
「全く……そっちの隅に座ってくれ。大したもんはまだ出せないけどな」
どうやら神様は、開店前に上がり込む常習犯らしい。
たちまち百華は革ジャンを脱いで、シャツ一枚になるとメニューを手に取る。あっという間に生ビールを二人分注文し、辰乃にも「アンタは?」と笑いかけてきた。
とりあえず、反射的に同じ物をと言ってしまった。
どうしても百華のことが気になって、上の空だったのだ。
「で? アンタ、名前は? 歌、やってるの? いい喉してる、プロ? それともアイドルの卵系? この爺さんがプロダクションの社長とか?」
「え、ええと、その」
「わはは、すまーん! アタシ、質問し過ぎ。あ、おにーさん! 生ビールこっちこっち」
問答無用のマイペースで、百華はどんどん話を進めてく。
神様と辰乃にグラスを振り分け、できる焼き物を何か適当にと言って店員を追い返す。
ようやく落ち着けそうで、辰乃は改めて身を質すと名乗り出た。
「わっ、わたしは辰乃です! ……荒谷、辰乃です」
「ぷはーっ! うんめえ、この一杯のために生きてる! え? ああ、辰乃ね、辰乃……たつのん!」
「は、はあ。それで、あの……百華さんは」
「あ、そだね……ごめーん! 乾杯忘れてたた。んじゃ、えっと、爺さん? 神さんも。ほらほら、たつのんも!」
終始流れを握られっぱなしのまま、辰乃はおずおずとグラスのビールで乾杯する。
同時に、自然と喉がゴクリと鳴った。
家では美星もあまり飲まないから、基本的に辰乃は飲酒はしない。だが、それは別として……龍神は皆、酒が好きだ。豊穣なる大地の恵みと、人類の文明が巧みに支え合った極上の嗜好品である。
確か古い友人には、素行が悪くて人に仇なすあまり、酒の弱みを衝かれて人間に討伐された者もいるほどだ。
「ぷぁ、はあ……お、美味しいです! これは、八岐大蛇さんじゃなくても泥酔してしまいそうです!」
「んー、たつのんイイ飲みっぷり! どんどんいこー!」
神様はただ、ニコニコと笑っているだけだ。
辰乃も大事なことを色々聞きたいのに、気付けばグラスが空になってしまう。酒精を身に招くのは数百年ぶりだが、現代の冷えたビールは格別に美味しかった。
すぐに百華がおかわりを頼んでくれる。
これから美星の夕食を準備しなければいけないのに、何だか申し訳ない。
だが、本質的に辰乃は龍神で、本能的に酒が大好きだった。
そうこうしていると、運ばれてきた焼き鳥の串を手に神様が話し出す。
「で、辰乃や。新婚生活はどうじゃ? 楽しくやっておるか?」
「は、はいっ! す、凄く……とても大事にされてます。けど」
ちらりと百華を見やる。
喉を鳴らして豪快にビールを飲んでは、ぷはーっ! と大げさに感嘆のため息。そうして百華は、視線を感じたのか身を乗り出してきた。
「へー、たつのんって人妻? 幼妻ってやつ? 団地妻?」
「だ、だんちづま、とは」
「まー、ある意味男のロマン? 男の子ってバカだからさー」
何だか、美星を馬鹿にされた気がした。
つい、むっとした気持ちが表情に出てしまったかもしれない。
辰乃は改めて二杯目のビールを一口飲んでから、話題を切り出す。
少し挑むような口調になってしまったが、百華はゆるい笑みを浮かべているだけだった。
「殿方を悪し様にいってはいけません! 殿方に限らず、誰でも自分なりの了見を持ってるんですから」
「おお……たつのん、何か難しいこと言った。あと、ヒゲ」
「えっ!? ひっ、髭!? そんな、嘘、やだ……美星さんにも見せたことないのに!?」
咄嗟に辰乃は慌てて両頬を手で覆った。
だが、どうやらビールの泡が鼻の下についていたらしい。
ホッと一安心すると、肉と葱とを脱いだ串が向けられる。
百華はテーブルに頬杖突きつつ、小さく首を傾げて笑った。
「荒谷辰乃……ああ、アースの妹! は、いない筈だよね。じゃなきゃ、千鞠にあんなに構わないし。……もしかして。人妻って」
「は、はいっ! わたしは荒谷美星の妻、荒谷辰乃ですっ!」
言った。
言ってやった。
堂々と鼻息荒く宣言してしまった。
だが、百華の反応は薄かった。
「ふーん、そ。で? ねえ、歌は誰かに習ったの? 最後のあれ、日本語や英語じゃないよね……凄く、よかった。詳しく聞かせて!」
「えっ、いえ、あの……わたし、美星さんの」
「アースはどうでもいいからさ。何か、ケルトっぽかったような、ロシア民謡のような……でも、不思議。言葉は理解できないのに、自然と光景が目に浮かんだよ」
龍の言語は人間には理解できない。
そして、龍が力を込めて歌えは、それは魔法の呪文にも等しいのだ。真言や言霊の如く、人間を無意識に操ったりできるし、大自然の摂理や法則を意図的に操ることも可能である。
だが、辰乃は意外だった。
自分の歌を綺麗だ、美しいと言った人間は過去に何人かいた。
でも、理解を示して良さをもっと知ろうとした人間は、恐らく百華が初めてだ。
「あの歌は……空、です。空を飛ぶ時、龍が歌う歌」
「ふーん、それでかな? それってさ、一人で飛ぶんでしょ? たつのん、詩人だなあ。そっか、龍の歌かあ」
「百華さん……人間、ですよね?」
「そだよ? たつのんと同じ。歳は26で……あ、次は何飲む? ほらほら、神さんも飲みなって」
本当に楽しそうに百華は笑う。
そして、全く辰乃を相手にしないかと思えば、深い奥へと言葉を届けてくる。不快感や忌避の感情が働く前に、独特な性格にグイグイと辰乃は引き込まれていた。
再び真司が現れ、ビールを起きつつ辰乃に耳打ちする。
彼の視線は、神様と最後の一本になった焼き鳥を取り合う百華に注がれていた。
「辰乃ちゃんさ、百華……やっぱ気になるよな。アースから話、聞いてる?」
「少しだけ」
「まあ、元カノは元カノ、元だから。昔の女ってやつ。そゆの、アースはきっちりしてるから気にすんなよ」
それだけ言って背筋を伸ばすと、真司はポンと辰乃の頭を撫でた。
ひょろりと細長い美星と違って、逞しい体格の真司は笑顔も頼もしかった。
だが、気を遣われるとつい心配になってしまう。
「あの、えと……不躾ですが、少し美星さんのことをお聞きしてもいいでしょうか。もしや、百華さんも美星さんの財宝を見て……ええと、肝? そうです、肝がどうとか」
「んー、あいつ元からキモいとこあるからなあ。ご飯とビールを一緒に飲み食いするし。でも、違うんだよ。こいつに好かれたくて、あいつはオタクっての? そういう趣味、すっぱり全部捨てたの」
真司がこいつと言って親指を向けるのは、百華だ。
彼女はほろ酔いで真司に、空になったグラスを突き出す。
別の店員が追加の焼き鳥を持ってきたので、彼女と神様はそっちの方へと意識を向けてしまった。
辰乃は不思議と胸がドキドキ高鳴った。
ときめきとは違う、不安を煽るような調子で心臓が踊る。
酒気に頬が熱く、襟のボタンを外す。二つ三つと外して、火照った肌を空気で冷やす。
そして、静かに黙って真司の言葉を待った。
「アース、さ……前は何か楽しそうな友達が結構いて、よくうちで飲んでたよ。俺ぁ詳しくないけどさ、アニメとかゲームの話してた。でも」
「でも? な、何でしょう」
「ちょっとちょっと、辰乃ちゃん。無防備過ぎだって……暑い?」
「も、もっと教えてください! 美星さんのこと、知りたくて」
気付けば辰乃は、全身が燃えるように熱かった。
自然と店員の男達の手が止まる。
だが、大きく前をはだけて彼女は自分を冷やした。そういうことに頓着がないのは、もともと服を着て生きる生活習慣がないからだ。
人間の肉体を得て暮らす中、初めて旦那様の秘密に触れようとしたら……身体の発熱が収まらない。まるで、火あぶりか何かで罰を受けているようだ。
「でも、ある日を境にあいつ……友達と来なくなったんだよ。で、代わりにそいつと、百華と来るようになった。何かさ、服も小洒落た感じになったし、ちょっと格好つけてた。まー、そういうのあるんだよ。男には。も少し若い時にやっとくべくだったけどな、アースは」
不思議と幻滅は、ない。
だが、どんどん身体が熱くなってゆく。
胸の奥が黒く濁って熱を発しているのだ。
自然と手で抑えた瞬間だった。
「辰乃や、それは……嫉妬、じゃな?」
ドキリとした。
気付けば神様が、日本酒の熱燗を飲みながら辰乃を見詰めていた。
「龍は我ら神にも等しい、超越者。しかし人の身を得れば心もその中に圧縮されるが道理ぞ? 辰乃、胸が苦しかろう」
「は、はい」
「じゃが、まず一つ。人前でみだりに肌を晒してはいかん。それと」
真司がゴホン! と咳払いをして、店中の従業員が慌てて仕事を再開した。
そして、辰乃は肩があわわになるほど襟を開いている自分に気付く。
「嫉妬……ですか? この感情が。わたし、そう、かも……だって、百華さんは」
「んー? どしたの、たつのん。え、何? 脱ぐの? アタシと張り合うの!? なんてな、わはは」
「もっ、百華さん! あの、えと、その」
「ああ、ごめんごめん。煙に巻いてたつもりはないんだ。ただ、アースとはとっくに終わってるからさ。アタシが一方的に振ったの。アタシ……アイツよりこれを取ったから」
百華は傍らのバイオリンケースを、ポンと叩いた。
その横顔がとても凛々しくて、でも、はっきりと悲しそうに見えてしまった。
「わっ、わたし! ちょっとお花を摘みに行ってきますっ!」
「ごゆっくりー、って、たつのん? ね、ちょっと……首んとこ、うなじ! なんか光ってる」
「えっ?」
「ちょっと待って、取ったげる」
断る暇もなかった。
百華はすらりと長い手で、辰乃の髪に分け入ってくる。興奮していたからか、久々の酒も手伝って辰乃の感情は高まっていた。そして、それを制御する逆鱗が光っていたのだ。
そして、白い手が触れた瞬間……ガクリ! と辰乃の身体が震える。
神様が「む!」と、珍しく深刻な声を出した。
「う、あ、んっ……す、すみません! 神様、百華さんも! 今日は、こ、これで! 失礼しますっ! あと……美星さんはわたしの旦那様ですっ!」
「あ、うん。たつのん、ほんとにお嫁さんなんだあ」
「そ、そうですっ! 妻なんです! だから……音楽を取ったのに、そんな顔……ずるいです。駄目ですっ! ……嫌、です」
限界だった。
辰乃はそのまま、やまがみの玄関を蹴破る勢いで往来へと飛び出すのだった。