うちの嫁には生えてます!?(5/27)
第05話「突然の再会」
荒谷美星が真っ先に選んだのは、開店直後のファッションセンターだ。安価な値段で一通りの衣服が揃うので、普段から美星もよく使っている。
道中の電車でもそうだったが、辰乃の姿は酷く目立った。
目も覚めるような美少女が、時代錯誤な羽衣の如きいでたちで立っているのだ。
やや混雑気味だった社内で、彼女を中心に謎の空白地帯ができたくらいだ。
誰もが驚きに言葉を失い、愛でて一歩下がってしまう。
辰乃の華奢な矮躯は、無意識へと訴えてくる神々しさがあった。
「美星さん、こちらは?」
「ん、服屋。その格好、目立つでしょ」
「そう、ですか?」
「そうです。……まあ、他にも色々必要になるからなあ」
平日の朝なので客の姿はまばらだ。
広い店内のフロアには、色とりどりの服がそれぞれの売り場で固まってる。下着やタオル、シーツといた寝具類も必要だし、寝る時はパジャマを着て欲しい。
辰乃の柔肌は温か過ぎて、そのぬくもりに溺れそうになるから。
周囲を見渡し大きな目を丸くして、辰乃は驚きに言葉も出ないようだった。
「凄いですね……こんな大きなお店が。あ、でも、美星さん!」
「うん? ああ、お金のことなら心配しなくても……稼ぎはそれなりだし、残業代だけはきっちり出るのが今の会社のいいとこなんだ」
「いえ、その……わたし、見た目や格好ならある程度なんとかなります! 神通力で!」
「神通力」
「はいっ、神通力です!」
辰乃が言うには、龍神とはその名の通り龍の神……非常に強い力を持っている。1,500年という月日の中で、辰乃はこの日ノ本を守護してきた龍神の一柱なのだ。
今の服装も、人間の姿を借りる時に神通力で生み出したものだという。
「そうか。まあ……ちょっと早く言ってほしかったな。電車に乗る前に」
「すっ、すみません! ですので、服は――」
「まあ、そう言わずに。何か、こう……買ってやりたいんだ。嫌か?」
すぐ横の小さな辰乃を見下ろし、不思議と美星は自分の気持ちがおかしい。
ある時期を堺にドゥカティ以外の趣味がなく、ここ一ヶ月は会社に缶詰だった。それで財力に余裕があるのだが、なくてもないなりに同じことを思っただろう。
突然押しかけてきたお嫁さんに、服や携帯電話を買ってやりたいのだ。
そう思って見詰めていると、辰乃は頬を赤らめ戸惑いに両手を振る。
「でっ、でで、でもっ! あの、わたしわからないんです。どんな物を買っていいのか、それが高いのか安いのかも! 人界は随分久しぶりですし、その」
「好きなのを買えばいい。ここ、そんなに気取ったお店でもないし」
「で、でも」
「下着とかはまあ、ん……俺より店員さんに聞いてみてくれ。ああ、丁度いい」
辰乃の背後を、若い女性店員が通り過ぎた。
早速美星は彼女を呼び止めた。
スタッフを示すエプロンをつけた、ショートカットの女性だ。白いうなじの上で綺麗に切りそろえられた黒髪が、僅かに揺れて振り返る。
次の瞬間、美星は小さな驚きに言葉を失った。
「いらっしゃいませ、お客様。何か――あっ! あんた……アァァァスゥゥゥ!」
「ああ。久しぶりだな、千鞠。バイトか? 学校は休みか」
「……相変わらず反応薄いわね、驚きなさいよ!」
「いや、びっくりしてるんだが。それより、この娘に色々と選んでやってくれないか?」
「切り替え早っ! で……誰よ、この娘」
顔立ちの整った、少女とさえ言える容姿の女性だ。
千鞠と呼ばれた人物は、やや釣り目の瞳をさらに釣り上げ寄ってくる。
かわいそうに、美星と千鞠に挟まれて、辰乃はオロオロしていた。
そんな彼女の頭をポンと撫でると、美星は改めて千鞠を見やる。
そして、店内で彼女が顔見知りだと気付かなかった理由を口にした。
「髪、切ったのか」
「そうよ! しっ、失恋、したもん……」
「そうか。ま、俺と一緒だな」
「ッ! そ、そう! 一緒! ……一緒、だね」
千鞠は目を伏せ顔を逸した。
その時にはもう、状況が飲み込めず辰乃が双眸を潤ませ始める。
美星自身も実は、動揺していた。
同時に、思った。
この程度の動揺なのかと。
千鞠とは親しい時期が長かったし、彼女はよく自分に懐いていた。そして、決定的な別れから疎遠になって、この再会も数カ月ぶりだ。
だが、やっぱり心が動かない。
驚いてはいても、それが表現できなかった。
「と、とにかく! 仕事は仕事、いいわ。こっち来て! 何よ、こんなかわいい彼女を作って」
「や、辰乃は恋人じゃない」
「ホント!? あ、いや……そうよね。こんな子供が恋人だったら犯罪よ。ロリコンよ!」
「だから、恋人じゃないんだ。嫁だ。妻なんだ。一応」
「……は?」
ようやく辰乃は、二人のやり取りの間に入り込んできた。
身を正して千鞠に向き直ると、深々と頭を下げる。
「はじめまして、ええと、千鞠さん。わたしは辰乃と……荒谷辰乃と申します。昨日、美星さんのところに嫁いで参りました。いつも美星さんがお世話に、お世話に……なって、たんですか?」
「あ、や、これはご丁寧に……ん、まあね」
「そう、ですか。あ、でも! 大丈夫です、その方が……美星さんは甲斐性のある人だなって! だから一人や二人くらいは……平気です、嬉しいです!」
「……あんた、美星と違ってすっごく動揺してない?」
「は、はい……実は」
美星もしまったと思った。
それで、順を追って話さなきゃと情報を整理する。
美星にとって千鞠はどういう存在だったかというと……まず説明を思ったその時だった。
腰に手を当て、グイと千鞠は身を乗り出して辰乃を覗き込む。
背格好は同じくらいで、スレンダーな千鞠の方が目線二つほど背が高い。
「私は早瀬千鞠! 美星の……いもーとよ! いもーと! いもーと、でも、今は、いっか」
「まあ! そ、そうでしたか。妹さん……あら? 名字が」
「ちょ、ちょっと事情があんの! で、服でしょ。何を買うの?」
「は、はい! その、何を買っていいかがわからなくて」
「はぁ? ……何か足りないものは? 逆に、何なら持ってるの」
「今着てる服しか」
「……わかった、ちょっと来て」
千鞠は辰乃の手を引き歩き出した。
そのあとをぼんやり続くと、肩越しに振り返る千鞠が子犬のように吠える。
「美星はそこにいて! 下着とかも買うでしょ、他にも色々!」
「ああ、わかった」
「っとに……あんたに選ばせる物の時は呼ぶから! 少し店内でぶらぶらしてて」
慌ただしく千鞠と辰乃は行ってしまった。
ぽつねんと取り残された美星は、自然と昔のことを思い出してしまう。
それはまだ、千鞠の髪が長かった頃の思い出だ。半年くらい前までは、辰乃くらいの髪の長さで千鞠は笑っていた。その笑顔に、美星も心が安らいだ。
確実に、そして着実に……幸せに近付いていると感じた。
そう思えること自体が、幸せそのものだった。
だが、今は実現しなかった可能性を引きずる過去でしかない。
「そっか、失恋したのか……ん? 早いな、辰乃。どした?」
何を見るでもなく突っ立っていると、顔を紅潮させた辰乃が戻ってきた。
耳まで真っ赤になっている。
その手には、何やら小さな薄布が握られていた。
「美星さんっ! 今の御婦人は……こっ、ここ、こんなのをはいてるんですか!?」
「うん? どれ。へえ、どうだろ」
「大事な場所を隠して守る下着が、どうしてこんなに小さくて薄いんです!?」
「まあ、色々あるからな。おーい、千鞠。もっと普通のやつを選んでくれよ」
辰乃が背伸びして見せてきたのは、シルクのレースに飾られた黒い下着だ。しかも、うっすらと透けている。
さして気にもとめずそれを手に取り、美星は頭の中で想像してみた。
肉付きのよい辰乃の尻に、これをはかせてみたとする。
……いまいちピンとこない。
だが、向こうではニヤニヤと千鞠が笑っていた。
「美星さん、これ……美星さんはどう思いますか!」
「そうだなあ。ちょっと大人っぽいかな。でも、辰乃が欲しいなら」
「むっ、むむ、無理です! とてもとてもこんな……昨夜だって、凄く緊張しました。それでも、お情けを頂戴したくて……夫婦の契りをと」
「あ、それで思い出した。パジャマも買わなきゃな。寝間着だよ、寝間着」
「ほへ? あ、ああ、そうですね! そうでした。こ、これはとりあえず、なしということで」
ササッと辰乃が、美星から黒い下着を取り上げる。
しかし、それを両手でもじもじと弄びながら……彼女は上目遣いにチラチラと視線を投げかけてきた。
「因みに、あの……千鞠さんはどんな下着を」
「あー、どうだったかなあ。見たことないからわからん」
「ほっ、本当ですか!? そ、そうですよね、いくら……兄妹でも。そうでなくても……でも、美星さんがそう言うなら! わたしっ、信じます!」
「えっと、それは、ありがとう? 何だか話が見えないんだが」
「わたし、寝間着を見てきます! 千鞠さん、よろしくお願いしますっ!」
辰乃は一人で納得して、行ってしまった。
その姿を迎える千鞠が、フンと鼻を鳴らして眇めてくる。
美星はただ、自分の生活圏が狭い世間だなあと、呑気なことへ思惟を逃して……極力昔の記憶には触れないように、黙って二人の買い物を見守るのだった。