小説『僕は電波少年のADだった』〜第12話 紅白への道はどこにある?
20時50分。中継。
「こちらNHK前に前の梅本です。残念ながら今日午後からずっとここで紅白出場をお願いしているのですが色好い返事をいただけておりません。ちょっとこちらのVTRを御覧ください。」
さっき取れたばかりの大林幸子・フラミンゴ倶楽部とのからみの様子が中継車出しで流される。飯合さんの編集でものすごくワクワクする事件になっている。大林さんが立ち去るときには大きなため息、フラミンゴ倶楽部のくだりでは大きな笑いがスタジオで起きている。出演者からは「諦めちゃ駄目だよ」という応援。梅本はますます力が入る。
「はい、もちろん私梅本はあきらめません」
と、その時梅本を中心とする我々の周りにいた見物客から自然発生的に
うーめもとっ!うーめもとっ!とコールが起きた。
「もちろん私梅本は紅白出場を諦めたわけではないのですが、第2部がまもなくあと3分で始まろうとしております」
うーめもとっ!〜うーめもとっ!がんばれーっ
無責任なスタジオ。いつの間にか梅本コールに包まれるNHK前。
なんかこのコール大丈夫かな?警備員なんか置いてないけど…
21時、もちろん予定通り紅白歌合戦第2部は始まった。
紅白歌合戦第2部が始まるとNHK前はとたんに静かになる。遠くに見えるNHK前はホールの中に綺羅星が集まっている分、まわりは静寂に包まれる。
梅本は僕らと一緒にロケバスの中でテレビでその様子を見ていた。
紅白はやっぱり凄い。日本一の歌番組だ。僕らはみんな黙って紅白を見ていた。自然と今年あったことが心の中に思いだされる。電波少年配属を告げられた場面や、ドタバタの編集所。あっという間の半年だった。いや思い出すのは、今年あったことだけじゃない。子供の時、テレビの前でこたつに入って、みかん食べながら大好きなキャンディーズ応援したり、沢田研二見て母が「1等賞取れてよかったわね」とぼろぼろ泣いてたり、そのいい雰囲気の中、親父がでっかい屁をこいたりしたことを思い出す。
アッコさんも、飯合さんも、カメラの白木さんも黙ってテレビを見てる。ロケバスのテレビは修学旅行のバスみたいに運転席の後ろ天井につけられているから、みんなテレビを見上げている。その顔は一応に子供に戻ったかのようだ。テレビってやっぱり凄い。エンターテインメントを仕事に出来るって素晴らしい。ま、NHKホールのまばゆい照明の中にいる紅白スタッフとロケバスでテレビ見てる電波少年スタッフじゃ雲と泥の差なんですけどね。
僕らが次なる手のないままロケバスで紅白歌合戦を見ている間に、我々の中継車とロケバスの周りに群衆が集まり始めていた。時折「うっめもと!うっめもと!」のコールも起きる。NHK前の警備員が遠くからこちらを睨んでいる。アタックする対象もいない上に、待機しているロケバスの周りに人が集まり始めていてなかなかネタを展開することが出来ない飯合さんは中継車とロケバスを言ったり来たりしはじめた。
その時!
「おしっこ」
梅本が突然そう言い出した。そりゃそうだ、長いロケと生放送スタンバイ。しかし、もともとトイレ休憩に使おうと思っていた渋谷公会堂道向の公衆トイレは群衆の中を突っ切らねばならなくなっており困った状況になっていた。
すると梅本はマネージャー伊東さんの手をとって
「NHKに借りるわ」と言って、ロケバスを降りた。
突然、ロケバスを降りる梅本に気づいた群衆。慌ててついてゆく飯合Dと僕。よく見るとさっきの3倍位の人数になっている。
おーっ梅本が降りてきた!ざわめく観衆。「紅白出してもらえよ」と声に
「任せてください!」と梅本。そしてマネージャー伊東の手を取って駆け足でNHK本館玄関へ。「おーっ」と湧く群衆。
「いやー結構簡単に貸してくれましたよ、トイレ」
この人、よくあのピリピリしてる警備員に「トイレ貸してください」って言えるな。アポなし中継をしかけてるNHKのにトイレを借りに行こうなんて思うか?普通。やっぱ天才だな。ロケバスに戻ってきて、武勇伝を語るようにNHKのトイレについて熱く語るアッコさん。
「いやー紅白出られなくても、NHKのトイレ使わせてもらっただけで幸せですよ、私は。ガハハハ」
まさかトイレを借りに行ったとは知らないロケバスの周りの観客は、NHKに果敢にアタックする梅本の姿を見てまた一段ボルテージを上げていた。
さてOAの方は順調に進んでいた。僕らは紅白歌合戦を見ていたからよく分からなかったが、鬼才甘崎登の同窓会コーナーが順調に尺を伸ばしており、NHK前に中継が振られることはなかった。途中22時くらいにあまりに展開のないNHK前に前の様子を一度は入れておこうという事で、スタジオからNHK前に前で紅白を羨ましそうにみている梅本の姿をCM前のQショットとしていれたいという連絡がスタジオコーディネーターの大福から現場ディレクターの飯合のところに来た。
動きがないのは申し訳ないが、現実NHK前は動くことが出来なかった。もうロケバスの周りは人人人。こっちもロケバスに入っているもんだから、周りの状況をしっかり把握してなかった。期待する人は集まってきてるが、肝心の展開はまったくない。
飯合さんがマネージャーの伊東さんと相談を始めた。
「事故は起こらないようにするからQショットは行っておこうか」
「だってもう無理じゃない?どうせ紅白は出られないんだし。」
「分からないよ、何が起こるか」
このロケ現場でタレントマネージャーに「ネタにならないじゃん」と言われる地獄。僕は背中で聞いているだけで金玉の袋がきゅーっと縮まるくらい追い詰められるのだが、飯合さんはそんな姿をおくびにも出さない。
ともかくQショットは作ることになった。
飯合さんは中継車へ。Qショットタイムは22時3分から8秒。ロケバスを出て、NHKホールの全景からズームバックすると路上においてあるOAモニターを見る梅本で行くことに。
「はい、すみません。はい、すみません」
伊東マネージャーと僕とカメラ白木の3人で梅本を群衆から守りながら、NHKホールが撮れる良い場所へ。
「はいQショットまで2分」と飯合さんの声が聞こえる。
梅本の姿をみた群衆からまた声が上がる。
アッコさーん、がんばってーっ!
なぜかその声に強く答える梅本。「はい、がんばります!」
何を頑張るというのだ。ここからどうやって紅白にアタックすれば良いのか?
「はい、Qショットくるよ!」
NHKホールの電光掲示からズームバック。モニターを見るさみしげな梅本。スタジオからも笑いが起きる。CMへ。
Qショットを送り終わると、さすがにすることがない。ロケバスの周りには300名くらいだろうか?野次馬が集まっている。みんな電波少年が何かをしでかすんじゃないかと期待している。でも実際、バスの中じゃ打つ手がない。
23時が過ぎた。紅白はますます盛り上がりを見せ、歌は大御所ばかりとなってきた。こうなると冷やかしの出演もますます難しい。最初のうちのフラミンゴ倶楽部あたりが一番出やすかった。
ここまで大げさな準備をしたが結局大きく動くことはなかった。演出は神頼みだと思っていた僕はなんかうまくいかないなあ、と手をこまねいていることしか出来なかったが、
「アッコじゃあラストに備えよう。着替えだ」
飯合さんは最後の手段に出た。あの直前に構成を変えたSKD衣装による『ネコなんだもん熱唱』だ。何も事件が起きない状況を想定して、しっかりネタを仕込んでおく。演出は神頼みじゃないらしい。もしかすると飯合さんは21時からの中継ネタは苦しいと読んでいたのかも、いや読んでいたのだろう。僕なんか視聴者と紙一重しか違わないから、NHKの反応頼みの展開しか考えてなかった。
ロケバスでアッコさんが着替えている最中にロケバスの外に飯合・カメラ白木とともに出てみるが、ちょっと歌なんか歌える状況じゃない。寒いし、人は多いし…
「よし、ロケバスの天井に登って歌おう!」と飯合さん。
「それはいけるな」とカメラ白木。
えっ!ロケバスの天井にはウッドデッキが張られている。そこに登って歌うのと言うのだ。僕だけ登ってみた。寒い!尋常じゃないくらい寒い。しかしロケバスの周りを囲む群衆から拍手が起きた!スタッフの僕が登っただけで拍手が起きた。すごい!梅本のステージがそこにあった。
「いけますけど、激寒いです」
「いけ!アッコ頼んだ」と着替えの終わった梅本をロケバスの天井デッキに送り出す飯合。後ろからついて梯子を登るカメラ。カメラに付けられた簡易照明がSKDの衣装をつけた梅本を照らす。
観衆から大喝采が起きる。飯合はスタジオに中継の連絡。
本家紅白はどっちが勝っても誰も文句を言わない白組の勝利を伝えていた。
「みなさんおまたせしました!」
梅本が観客をアジる。
「私、梅本は今年も紅白出場なりませんでした。来年こそ、来年こそ。あのNHKホールのステージに私梅本、この衣装で登りたいと思います」
爆笑と拍手が梅本に降り注ぐ。
「ではココにいる皆さんに、来年の紅白出場を願って、私の『ネコなんだもん』聞いていただきたいと思います」
ロケバスステージには僕とカメラ白木と梅本の3人。
ド派手な羽飾りの衣装に粗末な照明。ロケバスを囲む300余名の観客の前で梅本オンステージは始まった。
た◯◯◯◯ ◯◯◯◯ あ◯◯◯◯◯◯
お◯◯◯ ◯◯◯◯ ほ◯◯◯◯
ぼ◯◯◯ ◯◯◯◯ し◯◯◯◯
お◯◯◯ ◯◯◯◯ た◯◯◯◯
にゃーご (著作権の関係で省略)
中継は乗っているんだろうか?もう僕にはOAをでどうなっているかなんて全く分からなかった。アッコさんの様子が寒そうで寒そうで堪らなかった。僕は雨対策用のかっぱのズボンに、ウルトラクイズでニューヨークに行った時、先輩に勧められて買ったGAP(当時まだ日本にGAPというブランドは上陸していなかった。業界人はそういう未上陸のブランドが大好きだった。)のウインドブレーカーまで着てるけど、アッコさんはまったく寒さを防ぐ機能のないスパンコールのレオタードにタイツ姿。歌う声も寒さで震えている。しかし、それは唯一無二のステージ。マメカラ片手に熱唱する彼女の姿を見て観客から手拍子が起きた。香川の天才少女が今、なぜかNHK前に置かれたロケバスの上で歌を歌っている。
歌手梅本明子の大ステージがそこで繰り広げられたのだった。
最後は大拍手で締めくくられた。
なんでこんな貧相なステージ感動してしまうのか、僕には全く分からなかったが、感極まって歌い終わった梅本を見上げていると僕のイヤモニから飯合さんの怒鳴り声が響いた。
「長餅!くす玉!」
飯合さんに怒鳴られて、ふと我に返り自分が持たされていた、直径20センチほどの小さなくす玉、引手の目印に×印がついていることを確認して梅本の頭の上で割る。
<紅白出場ならず>
危ない危ない。忘れるところだったよ。
すると梅本がアドリブで大きく手を振りながら『ほたるのひかり』を歌い始めた。
ほ◯◯◯ ひ◯◯ ま◯◯◯◯
ふ◯◯◯ つ◯◯ か◯◯◯◯
いつの間にかロケバスを囲む観客と合唱になる。
い◯◯◯ と◯◯ す◯◯◯◯
あ◯◯◯ け◯◯ わ◯◯◯◯ (著作権の関係で省略)
NHKホールと一緒にこんなことこでも『ほたるのひかり』。
僕の頭の中であのNHKホールの大ステージに並ぶスターたちのカットバックに梅本の姿もあった。まさに今紅白歌合戦は大エンディングを迎えたのだ。
「ありがとうございました!」と大きな声で梅本が挨拶すると、300余名の観客からは大拍手が起きた。客の心を掴んだまま、梅本はロケバスステージの梯子から降りた。下には飯合さんが待っていた。
「アッコ、おつかれ」
美術さんの温情でもらったベンチコートが梅本に掛けられる。さすがに梅本はガタガタ歯の根を震わせている。さっきまで全く平気な様子だったのが嘘みたいだ。
結果的にすっごい中継になった。
下手をすると紅白に出るよりワクワクして、笑えて泣ける中継になった。 …気がする。こんな何の確証もない状況で、こんな構成になるかな?僕はロケバスの中の雰囲気や、外の客の様子を見てるだけだった。飯合さんひとりで強引に笑って泣ける中継に持っていった。何も言っていないのにロケバスを取り囲んでいた客も「良いものを見た」的な感じで、まもなく新しい年を迎える渋谷の街に三々五々散っていった。僕はもうその時何がOAに乗っていて、何が乗っていないのか全く分かっていなかった。
さっきまでロケバスの中で伊東マネージャーが「ネタにならないじゃん」と言っていたのが嘘みたいだ。なんだこの充実感。もう紅白出る必要ないんじゃないの?バラエティアイドルとしてこれ以上のステージなんか想像できないよ。
しかし仕事はこれで終わりじゃなかった。
梅本は年越しカウントダウンのため借金美女企画が行われている渋谷スタジオに飛び込まねばならないのだ。年越しまであと15分。梅本はSKDの衣装のまま渋谷スタジオに飛び込む。渋滞に巻き込まれては間に合わないので、僕がバイクの後ろに羽飾りをつけた梅本を乗せ渋谷スタジオに飛び込まねばならないのだ。
「行きます。アッコさん」
「頼むよ!」
そう言ってアッコさんは僕の愛車にまたがった。
大晦日の渋谷をXJR400Rの後部座席に乗った羽飾りにスパンコールのレオタードの女の子が走る。とんでもない状況だ。僕の腰に回したアッコさんの手がガタガタ震えている。
実は後にも先にもアッコさんと二人でいることなんか一度もない僕がアッコさんをバイクの後ろに乗せて渋谷の街を走っている。なんか不思議な気分だ。何か話した方が良いのかな?これを機会に聞いてみようかな。
「アッコさん、紅白ってやっぱり出たいんですか」
「電波少年でNHKアタックしたりするのマイナスになったりしないんですか?」
「アッコさんの歌の実力あったら、もっとちゃんとやってたら出るチャンスあるんじゃないんですか?」
たくさん質問はあったが、どれひとつ聞けなかった。
5分もしないで渋谷スタジオに着いた。玄関からスタジオに向かってアッコさんと走った。スタジオの扉は開いていて、その向こうにまばゆい光りに包まれたセットが見えた。あっ梅村がいる。電波子2号から28号がアッコさんと同じようなラインダンスの衣装着てる。そうかラインダンスねたがあるんだった。ようし事故なくアッコさんをスタジオに送り込んだぞ。
実は僕はそこから全く記憶がない。
これだけいろいろ20年前の事を覚えている僕だが、渋谷スタジオの廊下から見たスタジオのまばゆい光以降の記憶がまったくないのだ。そして迎えた新しい年。その年はその後何年にも渡って語り継がれることになる昭和テレビにとって大事な一年となるのだが、そんなことはつゆ知らず。1ADだった僕は渋谷スタジオの廊下に合ったベンチシートに倒れ込み、夢見心地で激動の一年を閉じ、新しい年を迎えたのだった。