電波スタッフジャンパー

小説『僕は電波少年のADだった』〜第8話 大福と僕のちがい

 ある日、いつものようにスタッフルームというぬるま湯につかっていると、黒川から突然、僕宛の電話がかかってきた。
「世界征服宣言の特番生放送手伝ってくれ」
まったくぶっきらぼうである。
「今から稽古場の会議室来れる?」
それは特番放送の2週間前だった。

 慌てて取るものも取り敢えず、昭和テレビ北本館の稽古場に向かうと、世界征服宣言の会議が行われており、上座には演出の松田さん両翼にアッチャンカッチャンのご両名が鎮座していた。
 最初の感想は「あらーこっちの番組はタレントが企画会議出てるんだ」だった。
 当時、梅本梅村よりずっと人気者のアッチャンカッチャンは、もちろん他局でもゴールデンの冠番組を持っていて忙しいはずなのだが、企画会議にきっちり参加しているとは驚きだった。収録で台本も見せてもらえない梅村とはえらい違いだ。
 タレント慣れしていない僕は、ドギマギしながら会議室を見渡した。数名は電波少年とかぶっている作家の蛸谷・都昆布・宇奈月さんがいたり、小豆さんがこっちでもプロデューサーやっていたりと、チョット知った顔もいて少し落ち着く。で、大事な席次。どこに座ろうかなーなんて思ってよく見たら、同期の大福はすでにディレクター待遇で上手3番目の席に座っていた。
 差がついてる。と思ったけどコチラの番組で僕は助っ人。そりゃ仕方ないと、自分に言い聞かせる。番組演出の松田さんが「長餅、よろしくなー」と、こっちに向かって声を掛けた。
「あっ、はい」
「黒川班の数少ない戦力を申し訳ないねえ」と松田さんが言うと
「ま、局員はタダだから使って使って。」と黒川が答えた。
 僕は、アッチャンカッチャンに目を奪われていた。梅梅の二人も好きだったけど、やっぱアッチャンカッチャンの二人は別格。テレビで見るより、ずっとスラッとしている。松田さんもスタイルが良いから3人揃うとめちゃくちゃ華があった。我が師匠黒川は、電波少年会議とは違って、ちょっと下手の最前列に席を取っており、それはそれで一種独特のオーラを放っていた。
 僕は壁際の椅子だけ並べられたAD席に着いた。

 会議は3週間後に放送を控えた特番の生放送体制について、確認が行われていた。よく見るとスタッフが電波少年の倍はいる。さすがゴールデンの特番。知らないADが白板に『Jサブ 長餅』と書いた。
「これで埋まったね」松田さんが安堵した。
 特番のタイトルは『アンカン宇宙征服宣言〜爆走ママチャリ540キロ!京都に着けるか生放送』。これまでのレギュラー番組『世界征服宣言』で毎週放送してきた東京から東海道を走るママチャリ企画の京都ゴールを生放送でお届けするという特番。縦軸はママチャリ追跡生放送で、途中『芸能人わらしべ長者企画』『スタミナなし男<生き埋めUFO>に挑戦』『今世紀最大のアニメ実写版<アルプスの少女ハイジ>に挑戦』等の企画が並んでいた。
 会議は演出方向の話になってきた。

 電波少年の会議とは違って、結構みんなしゃべるのだ。あーでもないこーでもない、番組によって、同じ黒川班でもこんなに違うのかと最初面食らった。

 そこで気がついたのは同期大福の上手さだった。松田さんはもちろんアッチャンもカッチャンも大福をいじるいじる。見てくれ・ロケの失敗ネタ…この半年で起きたありとあらゆる事件に大福は絡んでいて、天丼よろしく会議のオチは殆ど大福。こいつ歳上の扱い、いや歳上からの扱われ方メッチャ上手い。可愛がられてる。
 この番組では、松田さんが黒川に気を遣いながら会議を進めている感じなのだが、二人のいいおもちゃになっているのが大福。これはこれでバラエティのスタッフとしては欠かせないキャラクターだ。はっきり言えば電波少年で僕の代わりは誰でも出来るけど、世界征服宣言で大福の代わりはもう誰も出来ない。大福は2年人事部にいて制作に来た。僕はその2年間もADをやってた。でもあっという間に2年のアドバンテージがひっくり返された。
 こうなると気になるのは黒川の僕に対する評価だ。世界征服の特番にわざわざ呼ぶのだから、僕の力を評価しているのか?それともまさに<人件費のかからないスタッフ>として呼ばれているだけなのかが、気になって気になって仕方なくなってきた。たった二人しかいない黒川班の出世争い。目くそ鼻くそ、鍋が薬缶、鳥フンが牛糞よりみっともない。
 そんな僕に振られた役割はJサブ。基本的な番組の演出は京都の中継車で行われるので、僕は東京の昭和テレビのJというサブコントロールルームで構成を確認しながら、生放送でCMのタイミングの指示を受けタイムキーパーさんに指示を出してアンタイムボタンというCMのキューを出す仕事。
 はっきり言ってTKさんがベテランであれば、お人形さんと化していれば良い担当だった。昭和テレビのルールでTKさんだけでサブコンのCM入れをしてはいけない事になっているので、置かれるだけ。
…。
 人件費がかからないスタッフが必要な訳が分かった。
 そりゃそうだ。
 鼻の奥からきなくさーい匂いがした。

 会議が終わると会議室を出た廊下で小豆さんに声を掛けられた。
「頼むな、長餅なら大丈夫だろ。初めてのサブコン?」
 初めてだった。
「俺もディレクターになるタイミングあったんだよ。収録だけどさ。
でもカット割りとか全くわからないから、スイッチャーさんに『どうぞ、宜しくお願いします』って言って、全部やってもらったよ。俺がやったの番組始める時のキューって言っただけ」
 「全部やってもらったよ」ってところは両手を広げて差し出すアクション付きで思い出話をしてくれた。
 さすが気持ちわかってるなあ、と思うと涙出てきた。
 こういう機を見るに敏な所が凄いなあ、プロデューサーってと思った。

 さてお人形さんとはいえ、残り3週間で番組の構成確認や生放送に必要な最低限の準備はしなくてはならない。当時、技術さんとともに見るキューシートと呼ばれる生放送進行表は手書き。放っておけばTKさんが書いてくれるのだが、TKさんと顔合わせ前に自ら書いてみた。昔いた11木スペ系のスタッフには生放送をお茶の子さいさいにこなす人たちがたくさん居たから、そこに行って生放送を基本から教えてもらった。キューシートNRVF1F2F3Stという暗号のような表記の意味もこのとき初めて知った。
 Nはネット回線。この場合はN-2回線を使って、大阪テレビ経由で京都から画と音をもらう。確定の時間は四角で囲んで書く。何も知らないルールを一つ一つ前の番組のスタッフに教わる。大福と僕の違いは黒川班以外のスタッフを知ってることだ。
 
 OA1週間前、技術さんとの全体打ち合わせ。演出の松田が全体の進行を東京の技術さんに説明する。その打ち合わせで、僕が書いたキューシートが採用された。Jサブ担当のTK関口さんが僕の頑張りを認めて気を遣ってくれた。技術さんはみんなキューシートが誰の字で書かれているか分かるから、TKさんの手書きだと、この担当はお人形だなとなめてかかる。担当が自ら書いたキューシートを持ってゆくと、生放送のことを分かっていると一目置いてもらえる。木スペのデスク木村に教えてもらった技だった。
 打ち合わせの中で、京都の中継車の都合により、出演者の名前と中継ポイント、カッチャンのママチャリがあと何キロでゴールに着くかというテロップだけは東京のJサブ出しということに変更された。テロップの文言とテロップを出す場所をチェック。これは少しだけ演出事項だ。ディレクターになった気分。と、言っても松田さんの言う通り出すだけなんだけど。これらのテロップは全部F3に突っ込む。とともに、サブ出しはJサブにもバックアップを置き、現場と同時スタートすることが決められた。Jサブでも京都のキューに合わせてサブ出しをスタートさせることに。NRVF1F2F3Stのうち、またVが埋まった。またひとつ演出事項が増えた。
 生放送の準備は楽しかった。2つだけお人形さんじゃない仕事があったから、松田さんに「いやー長餅にやってもらって助かったよ」と、言ってもらえた時はうれしかった。黒川に褒められたことは一度もなかったので。
 OA3日前、電波少年の普段の仕事もある上に生放送の準備もあって、ちょっとフラフラしてきたけどあと3日だと思うと気合も入った。するとTK関口さんが「初めてだからJサブ見ておく?」と声をかけてくれたので、収録が行われていない時間を見計らってJサブに初めて入った。
 JサブはJスタジオに併設されている副調整室のことだ。Jスタジオは我らがLスタと違って本社社屋にある。GKスタの半分くらいの大きさだが、Lスタから見ると倍以上。よってサブコンも少しでかい。何より生放送に対応している。ちなみにLスタには、生放送に対応する機能はない。生放送に対応しているサブコンには、マスターとの連絡回線とミサイル発射ボタンのような透明な蓋のついた赤いボタンがある。このボタンを押すと3秒後にサブコンからの送出ラインがCMバンクに切り替わりCMが流れるのだ。ミスれば即放送事故。
 ちょっと緊張してきた。僕がボタン押すわけじゃないけど。
 関口さんと僕しかいないサブコンで自分がディレクター席に座っているところを夢想した。かっこいー俺。
 夢想だけで済むはずもなく、誰もいないのをいい事にディレクター席に座ってみた。初めてだった。初めてなのを関口さんにバレないようにと思いながら行動したけど、バレてたなきっと。
 サブコントロールルームにある、あの沢山のモニター。Nネット回線、R中継回線、Vサブ出し回線、F1からF3はテロップ、そしてスタジオにある沢山のカメラ。モニター一つ一つに役割があり、それぞれ入力系統がモニター上に表示されている。プロっぽくってカッコよい。しかも自分でディレクター席に座って初めて気がついた。サブコンに並ぶ沢山のモニターは、すべてディレクター向きにセッティングされているのだ。だから今、全てのモニターに僕の顔が映っている。電源の入っていない真っ暗な全てのモニターに僕の顔が反射している。それだけで会議で差をつけられたコンプレックスが少し埋まった気がした。
 以前飯合さんに言われたことが頭によぎった。
「電波少年だけやってるとバカになるぞ」
 そうだ。黒川班で重用されるように生放送の勉強してみよう。生放送の卓に座れるディレクターになりたい。するとTKの関口さんが「長餅くん、そこはスイッチャーさんの席よ」と、教えてくれた。本番当日じゃなくてよかったっす。


 本番の2日前、大福を含めた世界征服のスタッフはみんな京都へ。
 本番前日、ひとりで資料チェック。TK関口さんと集合時間の確認。
 そして本番当日。
 16時からテロップの取り込みを済ませ、OA1時間前にJサブに入った。
 制作部は僕一人。
 放送は21時30分から。
 「それでは技打ち始めます」
 ひとりで技打ちをやるのも実はこれがはじめての事。
 これまで下打ち合わせしていた事を話す。何度も自分で書き直したキューシートは、これで完成版だ。もちろん問題はない。
 お恥ずかしながらこっそり技打ちの練習もしておいたから抜かりはなかった。そして今度は間違えないようにJサブのディレクター席に座った。

 ディレクター席の座り心地は気持ちよかった。技術さんのいる状況で座るディレクター席の感触は、誰もいない時に座る感触とは全く違った。この間の下見と違って、あの沢山のモニターがそれぞれの役割に合わせた画を伝えている。モニターが生きてる。サブコンが動いていた。
 まもなく京都からの中継ラインがJサブに繋がれる時間だ。
 僕がこうしている浮かれてる間もカッチャンはママチャリに乗って京都立命館大学を目指して走っているのでスタッフと連絡できるのはOA30分前からだ。N−2モニターはNTTのマークがのったカラーバーのままだ。
 あと5分、あと3分。京都からの中継の画が送られてくるのを今か今かと待つ。
 1分前、サブコンに置いた京都からの連絡電話が鳴る。
「はいJサブです」
「長餅?もう大変なことになってるのよ」京都にいるメインTKの山崎さんの声が悲鳴に近い。どうした?
 録画室に中継回線を素材収録するためのキューを出す。
 N−2のモニターに写っていたNTTのマークが落ちた。
 来た!中継回線が!
 僕はその画を見て息を呑んだ。

 真っ暗な京都の街をカッチャンのママチャリ流星号が走っている。
 それは良い、しかし、カッチャンの横に素人のバイクが並走。
 1台じゃない。
 カッチャンの自転車を取り囲むように画面いっぱいのバイクの群れ。中継車がカッチャンからズームアウトした。
 もうそれは京都の街にかかる季節ハズレの天の川。
 無数のヘッドライトが流星と同じ速度で京都の街を流れている。
 こりゃ大変なことになったぞ。
 ゴールまであと30kmの目印、浜大津駅の看板がカッチャンの横を通り過ぎた。

 なぜだろう?黒川班に入って半年、僕はおかしくなっちゃったのか?
 追い詰められると、笑えてきてしまうのだ。
 事故は起きないように。もちろん心の中じゃそう思ってる。しかし、あまりにすごい画が撮れていることにワクワクしてしまうのだ。
 Nー2モニターには必死の形相で流星号を漕ぐカッチャン。そのオーラが凄すぎて、バイクに乗った連中はある程度以上は近づけないでいる。カッチャンも最後の2時間とばかりに必死の立ち漕ぎだ。
 ここからどうなるこの2時間!
 京都のスタッフと話そうにも、あっちは修羅場。アドレナリン全開で何言ってるかわからないくらい興奮している。

 21時25分25秒。クロスプログラム5秒。
「このあとはアンカン宇宙征服宣言!カッチャンゴール生中継!」
中継アナウンサー小神がきっちり5秒で原稿を読み切った。

 21時30分。60秒のCMのあと、京都現場出しのアバンV1分43秒がOAモニターに映し出される。
 OAが始まった。
 アバンが終わるとカッチャン必死の形相からズームバック。
 再び京都の街にかかる天の川。
 『アンカン宇宙征服宣言〜爆走ママチャリ540キロ!京都に着けるか生放送』迫力のあるアタックとともにタイトルが一文字一文字、その天の川に飛び込む。
 あまりに美しいオープニング。
 こうして2時間特番のOAはスタートした。
 必死に電話に喰らいついて現場の様子を凝視した。
 立命館大学に建てられた特設スタジオにアッチャンほかゲストが綺羅星のごとく並んでいる。
 みんな最初から、頑張れ勝原!とテンションマックスだ。
 番組アシスタントの小神アナがまず当日のカッチャンダイジェストのVを振る。
 当初の予定3分のVが、3分19秒だと連絡回線からの声が聞こえる。
 今日の様子を先程中継車で編集したばかりのVだ。
 ぶっつなぎのVが当日朝からの様子を生々しく伝える。
 JサブのTK関口が丁寧に秒読みをしてくれる。その声を聞くと少し冷静になれる。生放送のディレクターにとってTKの声は天使の羽音だ。
「V降りまで3,2,1。降ります」
 まだまだカッチャンのママチャリの中継画像だ。
 予定通り、カッチャンの1Sの画に名前スーパーを入れる。
 勝原清隆 あと22.5km/大津なぎさ公園。
 現場レポートは同期入社の笛鳴アナ。カッチャンの頑張りをまだ拙い実況で伝えている。その拙さがまっすぐで涙を誘う。プライベートの笛鳴は奈良出身のお嬢様。カチューシャがよく似合う、ストレートの長い髪が美しい。後に皇室専門の報道記者に転向するが、この時は誰も、そんな未来をその美しい髪の毛一本分も想像しちゃいない。

 勝原の激走中継とともに、数々の企画Vが流れる。
 わらしべ長者・生き埋めUFO・火だるまUFO。
 予備回線のないJサブでは企画Vの間、京都で何が起きているか全く分からない。しかし必死のカッチャンは依然ママチャリを漕ぎ続け、その迫力は誰も近づけないとの報告。予定通りのペースでゴールを目指しているらしい。

 Jサブには空調もあるし、怒号も聞こえない。
 出来るのは、連絡線から聞こえる松田さんの指示に従い、打ち合わせどおりのテロップを順番に入れて京都の様子を見守るだけ。放送されないVを京都中継車と同じタイミングでスタートして、バックアップとして走らせる。 
 スイッチャーはもしものときにJサブ出しのVに切り替えるスタンバイをしているが切り替わることはない。1本Vが終わったら、僕が席を立ち、デッキにかかっているベーカムを取り出し、ケースにしまい、次のベーカムをキューシートとラベルを照らし合わせて指差し確認。デッキにかけてリモートのスイッチを外し、3秒前まで送って再びリモートを入れる。リモートを入れるとTKさんが席からVTRををスタートできるシステムなのだ。リモートの入れ忘れは生放送で致命的なミス。リモートを入れたことを確認すると、またディレクター席に戻って中継映像に集中する。

 アニメ実写版 7分14秒
 半ケツ企画R−1 7分16秒。
 半ケツ企画R−2 8分3秒。
 降りたら中継。
 降りたら中継。
 良き所でQショット。CMへ。

 それを何度か繰り返すとあっという間にOAは終盤。
 あと2.5km/わら天神前のテロップを入れたら最後のQショット。
「CMのあと勝原ゴールなるか?アンカン宇宙征服宣言」
 CM8に入った。2分30秒後最終ロールに入る。もう企画Vはない。
 予備回線はないものの、JサブからCMの間は現場の様子を見ることが出来る。
 わら天神を越え、金閣寺前を左に曲がるとゴールの立命館大学はもうすぐだ。
 しかし、もう勝原の周りはバイクだけでなくOAを見て近所から集まって来た大学生でいっぱい。
 スタッフが中継車から飛び降りて勝原の周りを走っている。
 最後のCMがあけた。
 CMあけ。スタッフが叫んだ。集音マイクは見事にその声を拾った。

「笛鳴が消えました」

 勝原について実況していた笛鳴アナが人混みの中に消えた。
 勝原はもうママチャリを抱えて歩いている。
 流星号の看板はすでにはずれ、どこかにいってしまい、その看板がついていたカゴはひん曲がっている。
 時間は22時14分。番組最後の提供まであと8分40秒。
 もうもみくちゃの画の中。相方のアッチャンが勝原に頑張れ頑張れと叫ぶ声がオフで響く。
 小神アナがゴールの特設スタジオで、周りの方は怪我のないように近づきすぎないでくださいとアナウンスしている。
 勝原の一番かっこ良い必死の顔がアップになる。
 アップアップ。ひたすら勝原のアップ押しだ。
 実はカメラはもう引けなかった。
 きっと引いた画にはスタッフが必死の形相で群衆をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。群がる群衆をひっつかんでは投げ倒しのテレビで放送してはいけない姿が映ってしまうからだ。
 それでも、勝原の後ろでスライディングタックルをして群衆から勝原を守る小豆Pがちらりと映った。
 そして彼もまた天の川の流れに巻き込まれて消えていった。
 大福はどこで何をしているのだろう。格好良い仕事してるんだろうか?小さな僕がOAとは関係のない、そんなことを気にしている。しかし無常にもカメラはそんな様子を映すことはない。
 勝原のアップは熱を帯びている。

 23時22分13秒。VTRで作られたスタッフロールをJサブでスタートした。
スタッフロールは27秒。放送終了でぴったり終わる。
 今日はじめてテイクされたJサブ発のVTRだった。ディレクター陣の中に<大福浩二>の名前があった。最後に<演出 松田浩之 黒川仁男>が流れた。僕の名前は無かった。
 F3のモニターにはもしものときの一枚テロップ<製作著作 昭和テレビ>がスタンバイされていたが使われることはなかった。
 スタッフロールが流れきり、提供スポンサーの紹介アナウンスが入る。
 皮肉なことに、この提供読みは天の川に消えていった笛鳴の読みだった。
 その提供バック、もみくちゃの客をかき分けステージに登りきった勝原の勇姿をカメラは捉えた。がっちり赤村と抱き合う姿がのこり2秒でOAに入った。

 Jサブ的には、すべての生放送作業を予定通り間違えなく終えた。

 収録は続いていた。黒川班の生放送特番はその後、すぐレギュラー放送で『その裏側』として編集放送されるから素材収録が必要なのだ。
 ステージは涙涙涙。その周りはお祭り騒ぎだった。赤村勝原の抱擁は季節外れの織姫彦星の出会い並みに輝いて見えた。勝原は赤村と離れたあと、ステージ上で全てのスタッフと両手で熱い握手を交わしていた。そのスタッフの結構中心に大福はいた。

 収録が終わると、京都との回線は切れて向こうで何が起きているかは全く分からなくなった。連絡線で京都に「収録終わりました」と伝えると、まだまだ混乱の立命館にいる松田さんは「はい、お疲れ。またこんどゆっくりな。ありがとう」と早口で言って電話を切った。
 JサブにいたTK関口さんと技術3名にお疲れ様でした。といってJサブは解散。僕はバックアップとして持ち込んだベーカムと自分で初めて書いたキューシートを持って、電波少年のスタッフルームに帰った。
 その日は木曜の夜で誰もスタッフルームにはいなかった。

 ひとりスタッフルームでさっきまでの喧騒の中継を見守っていたサブコンを思い出していた。初めての興奮が僕の身を包んだ。
 「これがディレクターの興奮か」と独り言ちた。
 スタッフルームのテレビを点けたら、南アフリカで暴動を止め、難しい交渉をまとめたというアフリカ民族会議議長ネルソン・マンデラのノーベル平和賞内定のニュースを伝えていた。