僕は息子と離れて暮らしている
僕には一緒に暮らしている息子が2人いる。
さらにもう1人、離れて暮らしている息子がいる。
以前ちょこっと話したけど、僕はバツイチってやつなんすね。
その彼がこの春、中学2年生になったんだ。
んで、僕の実家に来ているっていうから、会いに行ってきた。
現在168センチ。
なんでそんなに大きいんだ?ってくらいデカい。
クラスで背の順で並んだら、後ろから2番目だって。
身長を抜かされるのは、もう時間の問題だね。
3歳以降から離れて暮らしていたので、父親がああしろこうしろを全く言わずに育った息子。
おじいちゃんおばあちゃん、つまりは僕の父母からは言われていただろうけどね。
僕とはたまにあって、メシを食ったり、温泉に行ったりしたけど、寝泊りはしてこなかった。
僕の両親との縁がプツっと切れていたので、そこでの板挟みにもさせちゃっていたんだよね。
ここ最近は携帯電話を使うようになったから、ちょこちょこと連絡を取り合えるようになったけど、この間、とても寂しい想いをさせたに違いない。
小学生の頃は会いたかったよーって走ってきて、ギュッと抱きしめてやってた。
ああ、待たせたなぁー、って。
そんな数々の負い目が父親としてあったんだけど、ここまでの彼の成長を見るたびに、子育てには間違いなんてない、ってことを今、少しずつだけど受け取り始めている。
これはとにかく感謝してもし切れない。
彼の成長を手助けしてくれたすべての人たちへ。
彼の感受性って言ったら、そりゃあもう半端なくて、僕が同じ歳の時にはあらゆることに捉われていたことを思うと、ただただ脱帽って感じ。
子供心を失うことなく成長しているんだ。
会う度に言葉が踊ってて、とにかく楽しそうに生きている。
実家近くの川が好きで、流れの中に足を突っ込んで、どんどこ歩いて行っちゃう。
向こう岸に落ちているゴミを拾いに行って、
「川に落ちているゴミが気になっちゃうんだよね」
なんて、カッコいいことを言ったりする。
そして、この世代はみんなそうかも知れないけど、親とか祖父母のスペック不足をほぼ完璧に把握していて、それを気遣いつつも無理をせずに、バランスよく振る舞っている。
ここら辺の大人びた感じは、僕みたいな解っていない大人と比較したら、月とすっぽん。
僕の怒りっぽさは父親から受け継いだものだけど、その怒りは息子のところまでは受け継がれてはいない。
彼が気づいて、それはとうの昔に降ろしている。
僕は世界を変える鍵として、子育てについて昨年の終わりまで、目標の一つとして研究を重ねてきた。
理想の子育てってどんな状態だろうって考えて、これについては徹底的に研究した。
その結果、できる限り子どものあるがままに対して、親がどれだけ手を加えずに行けるかが肝なんだってことが分かった。
親、祖父母、学校の先生などから、
ああしろこうしろ、あれはダメこれはダメ
をどれだけ少なく接するかってことなんだ。
ということで、彼のおかげで、僕はとても大切な確信を手に入れることが出来た。
それは僕は両親との絶縁の間、疎遠になってしまっていた、息子との帰っては来ない時間と引き換えではあるけどね。
子供から離れてから、なんてことをしてしまったんだって、何年か前までは思っていた。
あの頃は苦しくて苦しくて、子どもとニコニコして過ごしている親が羨ましいし、嫉妬もしながら見てしまっていた。
とにかく幸せが羨ましかった。
裏返しで、僕みたいなやつは、幸せになっちゃいけないとも思っていた。
コレがずーっとなのは流石にこたえたなぁ。
日付が変わっちゃったので、昨日。
5月29日は一番上の息子の14歳の誕生日。
今年はLINEでハッピーバースデーが言えた。
「どんな生き方を選んでも、俺は応援するよ」
そう伝えたら、うん、わかった!だって。
そう、改めて僕には3人の息子がいるんだ。
今中学生の彼が居てくれたおかげで、両親との和解が出来た。
両親との関係が修復に向かうことで、それがまた彼との時間を取り戻すことにもなった。
いろんな家庭のカタチがあると思う。
僕はここに対して、こうしたらああしたら、は要らないって思う。
家族の絆!とか言っちゃう家族の関係って、押しつけがちょい入ってないかなぁ?って感じる。
親は子に、目一杯楽しく生きていることを示す他はないよね
それを僕は体現したから分かる。
コレは僕だけじゃなくて、どんな家族も合っていると思う。
まずは僕ら親から、とことん自由になろうぜ❣️
子どもにはそれで充分伝わるからさ。
子どものせいにして、時間が無いとか、あれが出来ないコレが出来ないって、もうよそうぜ。
子どもは僕らの期待通りになるんじゃなくて、僕ら親がそれになっている「そのもの」にしかならないよ。
最後、偉そうに聞こえたらごめんなさい🙏🙇♂️