8月15日(火)
朝起きて、ジョギングして、英単語の暗記。
朝食は、鶏のそぼろと炒り卵の二色丼と、昨日のあまりの唐揚げ、さらし玉ねぎの納豆、お味噌汁、もち麦ごはん。
午前中は事務所で仕事。給与の振込みなど。
15時半から、中井町役場で打ち合わせ。車で向かう途中、ふと、麻生大臣の「戦う覚悟」発言について書いてみようと思う。
事務所に戻り、麻生発言をネットで調べると、公的には肯定的なものが目立ち驚く。なぜこんな論調になるのだろうか。
戦後の日本人は、みんな戦争なんかしたくないはずで、無論中国の国民だって今更戦争なんかしたくないはずだ。台湾人も、アメリカ人も、国民はみんな戦争なんか絶対にしたくない。
さらには、専門とされる軍人、その家族が一番戦争をしたくないはず。元自衛隊の佐藤議員が言うように「自衛隊員が一番戦争したくない」。
戦争派は、「傲慢に対抗するには、こちらも傲慢をもつしかない。戦争をしない安全保障のための戦争、平和のための戦争」という理屈。
しかし、これは戦争ありきである。今が平和であれば、戦争がなくならなくても良いという考え。
私は、そうは思わない。戦争の可能性がある状態は、真の平和とは言わない。前の戦争と次の戦争までの、インターバルにすぎない。
また、逆に武力なしの平和は、実態を知らない無知な理想論者として扱われる。だから、大抵の国民は、いち「素人」として発言を控えてしまう。
そうしている間に、政治家のような玄人の人たちは、自国は自分たちで守るもので、戦わないのであれば接収を覚悟しなくてはならないと、覚悟をせまる。
私は、これも間違っていると思う。武力に頼らず、戦争という選択肢を未来永劫をなくす方法を考えることはできるのではないか。
例えば、様々なドメインで平和のインセンティブを究極まで高めることで、戦争によって受けるインセンティブを超える事ができたらどうなのか。
この日の夕飯は、忘れた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?