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チョコレートあふれるクレープと甕の中の水飴のはなし

きいちゃんの話をしたいと思う。
きいちゃんは私の父方のおばだ。私との歳の差は40を超える。

少し前から、きいちゃんとの思い出が頭をよぎる機会が増えた。あのころのきいちゃんに、私の歳が追いついたからなのか、それとも時代のせいなのか。


1989年、私がクレープを食べるとき、いつも隣にはきいちゃんがいた。甘いものが好きな私は、チョコレートスプレーを挟んだだけのシンプルなクレープがお気に入りだった。そのころ、クレープはそれだけで一つのファッションアイテムだったし、クレープと聞くだけで心は遠く原宿とやらまで飛んでいた。

当時、国際通りの近くにはマキシーという名のファッションビルがあり、アパレルや雑貨を扱う店などが多く入っていた。いわば渋谷の109、もしくは原宿のラフォーレだ。「那覇の人」だったきいちゃんは、田舎に住む私を数ヶ月に一度マキシーに連れてきてくれた。

マキシーは建物のつくりもなんだかとても「オシャレ」だった。緩やかに傾斜のかかったスロープと幅の広い階段がフロア間をつないでいて、歩いているだけで心が躍った。なにを買うでもなくお店を見て回り、サンリオショップでかわいい文房具を手にする。そして奥にあるクレープ屋さんで一休み、というのが定番コース。注文するものも毎回同じだ。チョコクレープとメロンソーダのセット。並んでベンチに腰かけて、熱々のクレープを一口かじる。甘いチョコレートがあふれだす。クレープの包み紙をビリビリと破く時間さえ惜しい。幸せな時間だ。


聞けばきいちゃんも甘いものが好きだという。そして、甘いものにまつわるきいちゃんの話といえば、甕の中の水飴だ。



きいちゃんは幼い頃、家族と離れて、しばらく父親の生家で暮らしていた。そこには祖父母とおじの家族が住んでおり、きいちゃんは毎日、家の手伝いに忙しくしていた。そんな日々の中で、きいちゃんが楽しみにしていたのは、鈴の音を鳴らしながらやってくる、甘い駄菓子屋さんだった。

チリンチリンと鈴の音が聞こえると、おじいに頼んでお小遣いをもらい、裸足でとびだすきいちゃん。

「あんたまた、一人で食べてたら、すぐ、あとでぬらーりるよー」

おじいの忠告を耳にしながらも、きいちゃんは笑顔で水飴にかぶりつく。水飴の甘さに浸る至福のひとときだった。

ところが、その幸せな時間はあっという間に終わってしまう。背後から、「きい!なにをしている!サボっているのか!」という、大きな声が響き渡ったのだ。

バレたら怒られる!焦るきいちゃんはとっさに思いがけない行動にでた。

屋敷内にある甕のなかに、水飴を隠したのだ。

何食わぬ顔で自分の仕事に戻るものの、甕の中の水飴が気になって仕方がないきいちゃん。心ここにあらずのまま、なんとか一日の仕事を終えると、ようやく甕をのぞいてみた。

すると、そこには蟻がびっしりと群がり、甕の中は真っ黒になっていた。

傷心のきいちゃんが立ち尽くしていると、背後から響いてきたのは、今度はおじいの大笑いする声だった。




「口惜しくて、悲しくて、泣きそうだったさあ」ときいちゃん。

肩を落とすきいちゃんの姿と、甕から伸びる真っ黒な蟻の行列が目の前に広がる。


きいちゃんから繰り返し聞いたこの話は、きいちゃんが子どもらしい時間を過ごした、数少ないおもいでばなしという方がしっくりくるのかもしれない。


きいちゃんが、私と一緒にクレープを食べていたかどうかは覚えていない。

今思えば、きいちゃんは、私たちにクレープを食べさせることが好きだっただけなのかもしれない。きいちゃんは甘いものに限らず食べることが好きだったけれど、それ以上に料理をすることもとても好きだったから。

私たちの好きなものだけでなく、テレビやラジオなどで美味しい情報を入手すると、張り切って腕を振るっていた。偏食な私が、食べず嫌いで口をへの字にしていると、頭をつかんで口を開かせては無理やり食べさせようとしていたな。

「なんで、まず食べてごらん!」って、半ギレ気味にね。

それもきいちゃん。




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