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自分のご機嫌を自分でとることは、意外と難しかったはなし

ナンダカンダと気の張ることが多い一週間を終えた、金曜日の夕方。私は久々にゾンビになった。気力体力ともに限界。食事の準備もシタノコをお風呂に入れることもできない。そして、なぜかそんな日に限って、中途半端に作りかけの餡子がコンロにかかっているのだった(無性に食べたくなって慣れないことをしたら、これだ。餡子を欲するほど疲れていたのだろう)。



「自分のご機嫌を自分でとる」って、最近よく目にする言葉。初めて聞いたときはハッとした。なんて素敵な考え方だ!と。ところがこれが意外と難しい。

「ご機嫌であること」の尊さをしみじみと実感している今日このごろ。いや逆かもしれない。「不機嫌であること」の持つ恐ろしい影響力を実感しているという方が正しい。常にご機嫌であることは難しいかもしれないけれど、せめてご機嫌ナナメから抜け出す、もしくは不機嫌な状態から生還することができたら、それだけでだいぶ楽になるだろうなと思う。

よし、自分のご機嫌を自分でとれるオトナになるぞ!と意気込むものの、なにをしていいのか、イマイチよくわからない。子どもたちをご機嫌にする方法はいくつも浮かぶのに、実に情けない。



そして土曜日。ゾンビな夜をなんとか生き延びたが、週末のルーティンは何も手がつけらず。私は一人になりたかった。しかし、外は雨。子どもたちはワアワア騒がしい。一人悶々と悩む。「よし、とりあえず外に行こう。近所のスーパーとかじゃない。わざわざ遠出するのだ。家出だ!プチ家出だ!」

しかし、ここでカノジョが登場する。いつものナマケモノな私だ。「めんどくさいし、お金もムダになる」、「ご近所を散歩するとか、近くのカフェとかで十分じゃないか」。カノジョは強い。一筋縄じゃいかない。「子どもを置いてまで」、「自分が我慢すればいいだけ」、「一人だけいいの?」。私の欲求を抑えるに余りあるカードを幾多も持っている。そして最終的にいつも私をその場に留めてしまう。

ところは今日ばかりは勝手が違う。勢いがついた。

グラブをよぶ。今日はあっさり捕まる。乗るしかない。もう行くしかない。

そして着いたはいいけど、なんだかまだ後ろめたい。

でも、なんだろうこの感じ。忘れていたこの感覚、そうだ解放感だ。今の私は自分の好きな場所で好きなことができる(時間は限られているけどね)。もうこの雰囲気だけで十分だと思ったが、ふと思い出して、ずっと行きたかった場所に行くことにした。子どもたちと一緒だと訪れることのできない場所へ。


誰に遠慮することなく自分が好きなものを、今食べたかったものを目の前にした時。不覚にも泣きそうになった。もう罪悪感はない。あるのは幸福感。そして、自分のHPが回復してゆく音が聞こえる気がした。

そう、今この瞬間まさに私はご機嫌だった。

なんてことはない。ただフォーを食べに行っただけのはなし。私以外の人にとってはね。



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