プリンセスは、政治ではなくギャルに興味を持ちはじめた。 そしてギャルのそばにいる残念ないきもの。 のはなし
ウチのプリンセス、気づけばギャル化しはじめている。
ついこの間まで、ドレスにティアラでシャンシャンってな感じで歩いていたと思っていたのに!Tシャツなんて見向きもしなかったのに!
いつの間にか、ドレスがショートパンツになり、あれほど嫌がっていたレギンスも履き出した。そして、肩やらお腹やらがでたトップスに興味津々!「お腹だしたら風邪ひいちゃうかもしれないからね、、、」ってしか返せない、昭和な私を許しておくれ。
そりゃ、New Jeansかわいいけどさ。
子どもたちを見ていると、人間の生命力のようなものを目の当たりにする。エネルギーのかたまりだ。熱くてとめどなく溢れ出るエネルギー。
たまに眩しすぎて直視できないし、疲れた初老の体には刺激が強すぎることも、アル。それでもやっぱり見ていて気持ちがいい。清々しさを感じる。
そのエネルギーは一極集中型だ。ターゲットができたら無我夢中で、持ちうるすべてのエネルギーを注ぎ込む。時に(ほぼ常に)、周りは一切ミエテナイ。まさに全力投球。それで満足しないわけがない。そしてその達成感は、また新たなエネルギーへと還元され、次のターゲットへと注がれる。
自分の好きを大切にするって、こんなことなんだなあと、側で見ながら感心している。もうなんなら、子ども達のありとあらゆる行動すべてが、「好き」という気持ちでできているのではないかと勘ぐってしまう。
そして、「好き」がなければ一気に機動力が落ちる。
子どもらの「好き」は実に自由だ。こっちが拍子抜けするほどに自由。
「プリキュアが好き、私はプリキュアになりたいの!!!どうしたらなれるの?」なんて、朝の5時から馬乗りになって叫んでくるのに、「プリキュアのお話はあまり好みじゃないから、ドラえもんを見せてよ!」。って、プリキュアの格好で訴えてくる。
えんぴつ握るのさえもイヤで、椅子にも座って居られなかったのに、突然「おはなしを書きたい!」のだと、夢中で机にしがみついている。こっちとしては、もうナニガナンダカわからない。あんなに嫌がっていたのに?やっぱりほっといてセイカイだったのか!なんてね。
とにかく手持ちのマニュアル(イクジショ)では対応不可能だ。小さい頃から鉛筆握って椅子に座る習慣が必要なんじゃなかったの!?なんて、一人ツッコミいれる日々。
正直、子ども達の「好き」をアタタカク見守ることは、容易ではない。むしろ、シナンのワザなのよ、どちらかといえば。ほっといたら延々とダンボールと格闘しているコを見ていると不安になる。不安はどんどん大きくなって私を飲み込もうとする。そんな不安にもカカンに立ち向かわなければいけない。
決してアタタカクなんてしていられない。どちらかといえばぐつぐつと沸く湯だ。決して沸騰させないように火加減調整に躍起だ。
声を大にして言いたい!
オヤというのは客観性が保てない、残念な生きものなのだ!と。
だからこそ、登園するプリンセスに右手を添えてお辞儀をしてくれる近所のおじちゃんや、プリンセスだろうがギャルだろうが、今目の前に現れたコを全力でかわいがってくれるおばちゃん達、ほぼ1日ひと言も発せず仏頂面でいるコを何ごともないかのように授業に参加させてくれる先生に、どれだけ救われているか!
オヤ以外の、人とのつながりが、子どもにとってどれだけ重要なのかを日々実感していマス。
そして、待ちに待った新学期。(やっと)ハジマリマス!!!