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ダイナハのベンチと、公園の鳩。

きいちゃんの話をしたいと思う。

きいちゃんは私の父方のおばだ。私との歳の差は40を超える。少し前から、きいちゃんとの思いでが頭をよぎる機会が増えた。あのころのきいちゃんに、私の歳が追いついたからなのか、それとも時代のせいなのか。


きいちゃんは、よく動き回っている人だった。

晩年は那覇を離れ、田舎に移ってきたけれど、それでもバスや白タクを利用して、那覇まで足を伸ばしていた。おせっかいで口も手も出さずにはいられない性分が、ちょっとしたお手伝いのような仕事も作り出していたのかもしれない。そして、そんなきいちゃんを見て、私は勝手にホッとしていたことに気付かされたことがある。


1997年、那覇の久茂地川沿い、美栄橋の近くにダイナハがあった。母ともよく訪れた場所だが、やっぱり那覇といえばきいちゃんだ。私が車を運転するようになってからは、特にきいちゃんをよく迎えに行く場所の一つになった。(18歳で早々に運転免許を取得した私は、例にもれず、すっかり家族(主におばあときいちゃん)の足と化していた。)

開南から市場を通り、沖映通りを抜けてダイナハまで歩く。きいちゃんの定番のルートだ。

きいちゃんは健脚だ。そして歩くのも早い。

途中、沖映通り沿いの小さな商店でタンナファクルーを買うことも忘れない。店先に出された古びたワゴンに並ぶタンナファクルーは、人気商品なだけあってすぐに売り切れる。幸運にも手にすることができた日のきいちゃんは、「うり、これ、あったよー」って、ニンマリと得意げな笑顔を向けてきたものだ。

さて、自分の用事を済ませたきいちゃん。
「あんた、今何してるの。ちょっとウチを拾いに来ないねー。ダイナハまで、車まわしておいで」と、私を呼び出す。決して「ちょっと」の距離ではない。

私の呼び出しに成功したら、ダイナハの入り口傍にあるベンチに陣取る。ただ待っていたのではない。座り合わせた人とおしゃべりをしたり、人間観察をしたりと忙しい。基本的に人が好きなきいちゃん、存分にその時間を楽しんでいた。

そして、私の姿を見つけて笑顔で大きく手を振ってくる。いつもの他所行きの笑顔だ。大抵ベンチは埋まっているので、私の座る隙はないし座る必要もない。すぐに「なんか、たべなさい」と声がかかるのだ。私はきいちゃんの視線の先にあるクレープ屋さんに向かう。気づけば、クレープ界の主流は”おかずクレープ”になっていた。ツナやハムが顔をのぞかせているそれを横目に、私は迷うことなくいつものクレープを選ぶ。そしてベンチに戻ると、きいちゃんからのヤジが飛ぶ。「なんで、あんたはアレは食べないのかー、いつも同じなあ。」、「今はアレが人気みたいよ、さっきからみんなアレを買っていくさあ。」とおかずクレープの写真を指差す。きっときいちゃんはアレが食べたいのかもしれない。でもきいちゃんは食べないし、私も注文しない。

気づけば、ベンチにはぽっかり私の座るスペースができている。きいちゃんやおばちゃん達が少しずつ寄ってくれているのだ。いつもの流れだ。

熱いチョコソースをこぼさないように、慎重に包み紙を破る私の隣では、きいちゃんがノンストップで話をしている。今日買った品物のこと、買うかどうか迷った品のこと、道ゆく人の服装のこと、昔近所に住んでいたおばちゃんに偶然あったこと、ラジオで聞いたトレビア。

話は全く尽きない。


きいちゃんは那覇の人だ。人混みと喧騒がよく似合う。私の知らない都会の人々のあれこれを聞かせてくれる。それはキラキラした世界というよりは、地に足をつけて踏ん張って生きる人たちの話だ。私にとっての那覇はそんな街でもあった。



あれは、いつだったか。

久しぶりに会ったきいちゃんから、近況を聞いていた時のことだ。パレット久茂地だったか、桜坂近くの公園だったか。最近公園の鳩に餌をあげているという話になった。パン屑だかなんかをビニール袋に入れて、鳩にあげるために持ち歩いているのだとか。私は思わず、「そんなことしたら怒られるよ」と強く言い捨ててしまった。なぜ自分がそんなに憤っているかもわからないまま、強制的にきいちゃんの話を遮っていた。怒っていたわけではない、なんだか寂しかったのだ。


それからしばらくは、ふとした時に、公園で鳩に餌をやるきいちゃんの姿が脳裏に浮かんだ。ただっ広く人影まばらな公園で、手にはビニール袋、肩にはいつものショルダーバック。見慣れたグレーのニットカーディガンが、なんだか寂しそうな背中をこちらに向けている。すべては私の勝手な妄想だ。

私は自分が必要以上にこの件をひきづっていることに気づいた。そして、きいちゃんのことをよく知る友人に話をしてみた。

「なんなん、あほちゃう。」

友人は一蹴した。「何が悲しいのかわからんわ。公園の鳩に餌あげるのが寂しいことなんか。そんなんで勝手に寂しい人扱いされたら、たまらんわ。」

あのころの私は、いろいろなことを面倒に感じていた。本当はクレープなんて食べずに、まっすぐ家に帰りたかったし、ちょっとドライブしようと言われたら、内心「えーっ」と思っていた。そんな私は、きいちゃんと公園の鳩の姿に勝手に哀愁を感じてしまうほど傲慢だった。

私が感じていたのは、那覇の街で、人ではなく鳩に向き合っているきいちゃんへの寂しさよりも、きいちゃんのことをぞんざいに扱っているような自分への嫌悪感と罪悪感だったのかもしれない。



ダイナハはもう、そこにはない。

今は姿を変えたジュンク堂にお世話になっている。みどり立体駐車場側からの入り口を一歩入ると、今でも私の視界には窓沿いに置かれたベンチと、その近くに位置するクレープ屋さんの姿が広がる。

そして、そのみどり立体駐車場も今はもうない。



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