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歯みがき粉のCMとグリーンの瞳、そしてドッグタグ

きいちゃんの話をしたいと思う。

きいちゃんは私の父方のおばだ。私との歳の差は40を超える。少し前から、きいちゃんとの思いでが頭をよぎる機会が増えた。あのころのきいちゃんに、私の歳が追いついたからなのか、それとも時代のせいなのか。


1993年、国際通りはまだまだ地元の人たちの場所だった。母が、「那覇まで買いものにいく」というと、父がジャケットを着るかどうか、あるいはシャツを着るのかどうかで、その目的地が市場なのか国際通りにあるデパートなのかを探ったりしていた。デパートでのショッピングに食事、週末には多くの人で賑わっていた。

一方で、当時の国際通りには、「米軍払い下げ」と書かれたお店がいくつもあって、ティーンエイジャーや観光客が特に足を運んでいたように思う。ミリタリージャケットやパンツといった、一目で「軍関連品」とわかる品から、ワッペンやベースボールキャップといった「アメリカンな雑貨」まで、異国情緒あふれる雰囲気が若い人の心を惹きつけていたのだと思う。特に当時はアメリカンなファッションアイテムが流行でもあったから。

なかでも結構人気があったのが「ドッグタグ」への刻印サービスだった。


「ドッグタグ」とは、兵士が身につける認識票のこと。戦場で身元確認ができるように名前や血液型などの持ち主の基本情報が記されたものだが、平成の国際通りではファッションアイテムとして販売されていた。

もちろん私も欲しかった。そんなドッグタグに惹かれる私の気持ちを打ち消した、きいちゃんのはなしがある。


「うちは、このCMがきらいさあ」

きいちゃんがつぶやいたのは、当時よく流れていた歯磨き粉のテレビCMだ。金髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ男性が、爽やかな笑顔で真っ白な歯を見せる姿が画面いっぱいに映し出されていたと記憶している。


「この人の顔を見ていたら、子どもの頃みた、あのアメリカーの姿を思い出して怖いさあ」という。

軽快な音楽が響く歯磨き粉のCMの向こうに、きいちゃんは、あるアメリカ兵の姿を映し出していたのだ。


「うちを見ていたその目が、とっても怖かったさあ」


そのむかし、私のシマは戦場だった。その戦場にきいちゃんは生きていた。ただ庇護されるだけですむほど幼くもなく、「オクニノタメ」と駆り出されるほど大きくもなかった。そんなきいちゃんは、「カゾクノタメ」に動いていた。


怖くても行くしかなかったさあ。

夜の闇にまぎれ、水を汲みに行ったり、イモを探しに行ったり。きいちゃんの「やらなきゃいけないこと」はいつも、不安と恐怖とともにあった。

あたりはもう見慣れた土地ではなくなっていて、生命力を感じられるものはほとんどない。そしてそんな場所に、「あのアメリカー」はいた。

その男性は目を見開いたまま倒れていた。ぐったりと投げ出された大きな体は動かない。ただ顔だけがこちらを向いている。

きいちゃんの真っ黒な瞳は、ある一点に釘付けられる。「うちを見ていた」あの瞳だ。あのCMの男性と同じ、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳。

そして、動けないきいちゃん。

幼いきいちゃんは、ただただその姿が恐ろしくて、一刻も早くその場を立ち去りたくて必死だった。


「うちを見ていたその目が、とっても怖かったさあ」


どれだけの時が流れても、ふとしたきっかけで思いだすその瞳に、当時の恐怖心がよみがえるという。そしてその恐怖心はある後悔につながっていた。

「あの時は、とにかく恐ろしくて逃げることしか考えていなかったけれど、「あの首のやつ」でも取っておけば、あとから誰か家族にでも渡せたのかもしれないねえって、今ならそう思うさあ」

めずらしくしんみりとした口調のきいちゃんに、私は返す言葉がなかった。きいちゃんの話す「首のやつ」こそ、紛れもないドッグタグだ。ファッションアイテムではなく、まさに本来の目的を持つ姿で私の前に現れた。

思いがけずきいちゃんの口から出たドッグタグの話に、私は一気に現実を見せられた思いだった。それは、のちに自らの記憶を頼りに妹を見送った場所を探すことになる、きいちゃんならではの思いに他ならなかった。


私はアメリカのエンターテイメントが好きだった。ファッションだって、おしゃれだなあ、かっこいいなあって眺めていた。ベースボールチームのロゴが入ったキャップやTシャツだって欲しかった。「米軍払い下げ」のその店も、足を踏み入れたくてたまらなかったし、実際店内を見て回った時は胸がワクワクした。お金さえあれば小さなワッペンでもなんでも手にしていただろう。


そんな私の隣で、きいちゃんは全く異なる光景を見ていた。

もちろん、いつもそうだったわけではない。ただ、ふとした時に「あの光景」がきいちゃんの目の前に広がることがあるほうが、よほど恐ろしい気がした。


きいちゃん達の生きてきた世界は今の私が生きている世界とつながっていて、子どもたちの生きる世界へと続いている。

そして、これは今でも変わらないのだけれど、この手のはなしを私から尋ねることは、とても、とても難しい。 歳を重ねるごとに、映像や文章、写真など、さまざまな媒体を通じて見聞きしてきた情報が、さらに私の心を縛りつけた。 きいちゃんたちが体験してきたことは、想像するだけでも胸が締めつけられるほど残酷だった。 私が軽々しく尋ねることで、決して押してはいけないスイッチのようなものに触れてしまったら。そう思うと恐ろしくて、とても口にすることはできなかった。 私には勇気がなかった。

もちろん、今はそれを少し後悔している。もっと聞いておきたかった。もっと知りたかった。でも同時に、やっぱりそれは至難の業だという思いは今でもかわらない。




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