プリンセスになりたかったら、プリンセスになっていいんだよ。
「グッドモーニング、プリンセス」
シタノコ、4歳。幼稚園へは、ほぼほぼドレスで登校。もちろん、ユニフォームがあるのだけれど、女の子はドレス率高め。カジュアルな感じのドレスから、ディズニープリンセスのようなドレスまで、本当に自由。そして、ドレスを着ていくと必ず先生たちが、冒頭の言葉と共に笑顔でお出迎えしてくれる。
ドレスだけじゃない。お気に入りのぬいぐるみやバック、ヘアアクセサリーなど、男女問わず多くの子が自分の「お気に入り」とともに園にやってくる。
それぞれの子どもたちが、快適に過ごせることを尊重してもらえているんだろうなあ、といつも思う。こう書くとなんだか難しく聞こえるけれど、好きなもの、好きなこと、またはその時々の感情のようなものが、そのまんま受け入れられているような感じ。
やりたい放題のわがまま放題ということとは、違う。ちゃんと学校なりのコミュニティのルールがあって、それを守ることは共通認識として共有されてる。もちろんルールを守れなかった時はそのつど注意されるし、学校生活を送る上で必要になるスキル(順番を守る、話を聞く、時間を守る、お片付けをする、など)が、土台として存在する。
ただ、そのルールが、個人の「快適さ」や「好きなもの」、「好み」に踏み込むことなく存在しているということ。先生の言葉を借りれば、「コミュニティーの一員として責任を果たしてこそ、自由を楽しめる」ってことなのかな。
その人の存在が、丸ごとそのまま受け入れられていることで得られる、安定感のようなもの。それはきっと、その人の位置するコミュニティにおいて、そして年齢によって、形を変えていくのだろう。それでも、「あなたはあなただよ」、「私は私だよ」という思いは、生まれた時から何も変わることない、むしろどんどん増していくということなのかもしれない。
この「どんどん増していく」ということが、これまではイマイチ、ピンと来なかった。でもここにきて感じるのはまさにその部分で、「個々人を大切にする」ってことが、「幼児期に限定されたものではない」ということなんだと思う。小学生になろうが、中学生になろうが、「それぞれの姿」をみてもらえているし、尊重されている。「みんなとおなじように、みんなができること」ができなくても、咎められることがほとんどない。そもそも「みんなとおなじように、みんなができること」という視点ではなく、「それぞれの成長」という視点と「コミュニティのルール」が混在していないので客観性が保てるし、余裕が生まれているのかもしれない。
もちろん、その裏もある。それが何かといえば「雑さ」だと思う。全てにおいて「ていねいさ」や「完璧さ」を求めると、きっとフラストレーションがたまってしまう。求めたいならこちらから動かなきゃいけない。
すべてを得ることはやっぱり難しい。ここは、何をより大切にしていきたいか、という選択の話なのだと思う。
日本にいるときも、保育園や幼稚園、さらにはEテレのプログラムでは、とてもとても子どもたち「それぞれ」を大切にしてくれた。「それぞれのペースの成長」や「それぞれの好きなもの、苦手なもの」の存在が決して否定されない。「おかあさんといっしょ」や「みいつけた」で流れてくる曲はどれも、日々の楽しさだけでなく、これからの毎日(生きていくこと)へのワクワクも、「今の自分のまま」で続いていくことを疑わせなかった。
それでも、小学校に上がると、突然、「それぞれのペースの成長」や「それぞれの好きなもの、苦手なもの」が、まるで異質なもののように扱われてしまうことが、ある。
「みんなとおなじように、みんなができること」の登場だ。
私には忘れられない女の子がいる。その子は特に学習面で何か問題があるわけではなく、ただ「みんなとおなじように、みんなができること」ができない子だった。やりたくなかっただけかもしれない。タダソレダケ。それなのに、周りの大人は知能検査やら特別支援やら、ヤッキニナッテ、その子になんらかのレッテルを貼ろうとしているように見えた。「このまま大きくなったら、この子はシャカイでやっていけないよ」、なんて言いながら。当の本人はなんでもない、ただただアートが好きなマイペースな子だった。
「私ね、小学生になることがとても楽しみだったの。でもね、小学生になれたらなんか想像していたのと違ったの。楽しくない。」
秘密を打ち明けるようにボソッと話してくれた一言は、今でも私の心を離してくれない。小学生になる「ワクワク」で溢れていただろう姿を思うと、目の前の彼女はあまりにも不自由にみえた。
絵を描くことが好きな女の子が、「描くべき絵」をかけない女の子に、いつの間にか変わっていた。本人は何も変わらないのに。本人も訳のわからぬうちに、「みんなとおなじように、みんなができることができない子」になっていた。
プリンセスになりたかったら、プリンセスになっていいんだよ。絵が好きなら、描きたい絵をたくさん描いたらいい。そのせいで生きていけなくなるシャカイなんて、タカガシレテイル。
わがままなことなんかじゃない。それぞれが、それぞれの成長過程で、好きなものを大切に育てていっていい。「今感じている、好き」を十分味わいながら、きっと成長していくのだろうから。そして、プリンセスは政治に興味を持つかもしれないし、絵が好きな子はもっと技術を身につけたくなるかもしれない。今の好きの先に何が待っているかなんて誰にもわからないし、「その人らしさ」こそ、どんどん層を重ねながら変化していくものなのだと思う。