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人の弔い方がわからない

買い物かごに入った”ハラマキ”を棚に戻しながら、なんとなく思った。
その時、私は近所のファッションセンター的なお店で買い物をしていて、可愛いハラマキが目に留まったのでついかごの中に入れてしまったのだ。
ハラマキと膝掛けが好きだった祖母が亡くなったのは、去年の春のことだった。

身内が亡くなったのは祖父の時以来なので、十年くらい間があいている。
大好きな水戸黄門が始まる前にお手洗いに立ったら、そのまま倒れて帰らぬ人となった。
私は大学生で九州に住んでいたので、連絡を受けたのは亡くなった後だった。
突然のことすぎて、悲しみよりも驚きの方が強く、あっという間に葬儀や諸々のことが済んでいた。
「その日は買ったばかりのお粥ポットを下ろそうと思っていたところだったのにね」
と言った母の言葉が、なんだか妙に頭に残った。

祖母は病気とはほとんど縁がない人で、少しコレステロールが高いものの、月に一度の診察でお薬をもらうだけだった。
90歳を過ぎても祖父が生前残した家に一人で住んでいて、時々やってくる親戚に食べきれないほどの食事を作っていた。
ずっと元気だと思っていた祖母が体調を崩したのは、去年の今頃だった。
母から「おばあちゃんが全然ご飯を食べない」と連絡を受けた。
春頃には入院することになり、その約1年後に亡くなった。

一昨年、私も体調を崩していたことがあり、半年ほど実家に帰っていた。
入院中の祖母の見舞いにはほぼ毎日通って、少しずつ、弱っていく姿を見ていた。
私が九州に帰ってしまうと知った時、祖母は病室で「えーんえん」と声を出して泣いてしまったが、「また春にくるから、それまでは生きとかんといかんよ!」と言った。

3月の中旬になると、「いよいよかも」という連絡を受けた。
仕事の合間を縫って、1泊で会いに行った。
ベッドでずっと歯磨きをしている祖母は、もう私が誰なのかもよくわかっていないような感じだったが、「春になったら来るよ」という約束を果たせたような気がして、なんとなく安堵した。

その後、10日ほどで祖母は亡くなった。
悲しみよりも、「お疲れ様でした」という気持ちになった。
祖父の時と違って、ちゃんと弱っていく姿を見ているのに、亡くなったっという実感がまるで湧いてこなかった。
葬儀も納骨も、四十九日も済んだけど、初盆でいろんな人が来てくれたけど、全然まだ生きているような気がしてしまうのだ。
小さい頃、大人用三輪車の後ろのカゴに私を乗せて、近所のスーパーに買い物に行った。
東京に住んでいた頃は、土曜の授業が終わると一人で特急に乗って会いに行った。
編み物が得意で、セーターや靴下なんかを編んでくれた。
シソの実の天ぷらを食べきれないほど作ってくれた。
松前漬けに使うスルメイカを一緒に切った。
『相棒』の再放送を見るのが好きだった。
お腹が冷えるから、と、いつもハラマキをしていた。

「あ、これおばあちゃん好きそう」
そう思って、ハラマキを手に取ったのだ。
何か違和感をおぼえて数秒間フリーズした後、「いや、おばあちゃん死んだやん!」とセルフツッコミを入れつつ、棚に戻した。
つい先日のことだ。

意識的に思い出そうとしていなくても、無意識の中でまだ祖母は全然生きている。
それを「受け入れられていない」というのだろうか。
なんだかちょっと違うような気もするんだけど、うまく説明できない。

「全く実感がない」
ということを住職の奥さんに話したのだけど、
「そういうものよ」
と言われた。
そういうものなのかな。
後どれくらいしたら、人の弔い方がわかるようになるのだろうか。

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永井里枝|歌とお薬の人
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!