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essay#5 優しい嘘という名の


昔はエイプリルフールの数日前から『さあて今年はどんな嘘をついてやろう?』『今年はみんな笑ってくれるかな?』なんてニヤニヤしながら嘘を用意していたのに、いつのまにかエイプリルフールをただの4月の始めの日として通り過ぎるようになってしまいました。

それは私が歳を重ねていろんなことにはしゃぐ体力を失ったせいなのか、それとも日常の中でさりげなく嘘を吐くことが当たり前になってしまったせいなのか、どっちなんだろう。

どっちもかな。






さて、
中学生の頃よく観ていたサウスパークというアメリカのクソアニメがありました。

上から、母ちゃんが身体を売って生計立ててるお口のお行儀が大変悪いエリック・カートマン、
緊張するとすぐ嘔吐しちゃうので好きな女の子にゲロぶっかけてばっかりのスタン・マーシュ、
敬虔なユダヤ人ゆえに周りとの違いに悩むビビりのカイル・ブロフロフスキー、
毎回なぜか死ぬ(そして次週には普通に生き返ってる)ケニー・マコーミック。
この4人がメインキャラクターです。


今も好きなんですけど、当時は特にどハマりしてて。英語の授業でもALT(Assistant Language Teacherの略、本場の英語を学ぶために数ヶ月間教育委員会から派遣される外国人さん)の先生に
『昨日の夜は家で何をしたの?』て訊かれて『録りためてたサウスパーク観てた!』と答えたくらい。
その先生、穏やかで優しくて可愛い先生だったんですけど、その日から急に私に冷たくなりました。
そういうアニメです。


その中で、吃音や不安障害を抱えつつも何とか一軍のクラスメイト達に取り残されまいとスクールカーストの中で毎日必死に過ごすバターズという男の子がいて、

バターズ。

私ははじめその子の生き方ダセェなぁ…とあんまり好きじゃなかったのですが、
バターズのお父さんがお母さんにナイショでハッテン場通いをしていたり、それをお母さんが知るところになり絶望したお母さんにバターズが殺されそうになったり、バターズは死なずに済んだものの息子を殺めてしまったと勘違いした両親はメディアに向けて息子が行方不明になったと嘘で塗り固めた会見を開き、なんやかんやあってバターズがお家に戻りメディアの前で「どんな嘘であっても嘘は嘘だ」と宣言するシーンで

なんやコイツかっこええな!

と思ったものです。



で、それから私はバターズのことが一気に好きになり、彼の言葉
「どんな嘘であっても嘘は嘘だ」という信念のもと自分にも周りにも正直に生きようと


した

筈なんですが…






これは言い訳になるのかもしれないけれど、
歳を重ねて、いろんなことを経験すると、優しい嘘をつくようになるんですね。



目の前にいる人を傷つけたくなくて、その人が私を裏切ってることなんてとっくの昔から気づいてるのに気づかないふりをして笑ってみたり、

心配してくれる友人達を悲しませたくなくて、平気なふりをしてみたり、




自分の中では優しい嘘のつもりでした。

優しさのつもりでした。






でも、つい最近気がついたんです。


これって多分心の中のいちばん奥の奥にあるのは【自分が傷つきたくない】【嫌われたくない】という臆病で卑怯な想いなんじゃないかと。



少なくとも私の場合はそうです。


臆病で卑怯な自分を守るため、隠すために優しいふりをしていただけのただの嘘つき。




だから、目の前にいる人、友人達を悲しませたくないっていうのがそもそも嘘なのかも。



だから、もしかしたらバターズが言ってたように、やっぱりどんな理由があっても、優しい嘘だったとしても、嘘は嘘なのかもしれないな。



自分自身に嘘はつかずに生きられたらいいなと思います。


そんな、エイプリルフールです。


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