essay#10 祭り2日目の邂逅
先日書き殴ったnoteでは、本当に沢山の方から心配のメッセージを頂戴しました。
ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。
父の、【老舗の太鼓店なんだから、いつだって、どんなに苦しい時だって、ドーンと構えて平気なフリをしていたい、自分達がもし苦しい想いをしていてもお客様に悟られたくない】
というカッコつけたい気持ちに水を差すことになってしまいましたが(お父さんごめんね)、
いつか【職人】や【伝統工芸士】という職業が、【何かをつくる】という技術を持っていることの素晴らしさがよりわかってもらえるようになって、
もっとなんていうかな…社会的地位を高めて、ダサいとかカッコ悪いとか汚いとかじゃなくて、
皆からかっこいいと言ってもらえるようになるために、目の前のできることを頑張るだけです。
祭り2日目も私はふらりふらりと人混みの中を漂っていました。
途中、和太鼓演奏が行われている広場に立ち寄ると何度も弊社に足を運んでくださっているお客様達が汗だくになりながら高らかに太鼓を打つ姿。
太鼓店の法被を着て挨拶回りをしていることさえ忘れてしまうほどに魅入ってしまいました。
『太鼓だー!!』
『凄いねぇ』
『カッコいいねぇ』
『ドーンドーンって、いい音だねぇ』
お子様連れのお父さんお母さんや、露店の順番待ちをしていたお客さま方も気付けば視線はステージに集中し、そんな声があちらこちらから聞こえてきました。
この、どう考えても私の手柄じゃないのに、誇らしいような少し照れくさいようなむず痒さは何でしょう。
私の中に流れる、父や祖父、曽祖父、高祖父、そのまたご先祖さま達…
太鼓作りに生涯をかけた者の血が、時を超えた喝采の言葉に私の身体を通して喜んでいるのでしょうか。
祭り2日目は私の徘徊順路計画ミスもあり、ご挨拶させていただけた方はほんのわずかでしたが、
「これからもよろしくお願いしますね!」
その言葉が私の背中をシャンとさせてくださいました。
そして祭り中盤、ひと休みがてら高台から祭りでごった返す人を眺めようと会場すぐ近くの神社の石段に寄りかかっていると、
後ろから私と同世代ほどの息子さん、父と同世代ほどのお父さん、そんな親子お二人の会話が聞くともなしに聞こえてきました。
息子さん
「宇都宮に20年以上住んでるけど、ちゃんとこうやって観に来たの初めてかも」
お父さん
「凄いだろう?中でもあそこ、ホラあそこに太鼓神輿あるだろ、俺はあの太鼓の音を聴きたくて毎年ここに陣取ってるんだよ、ほんっとにいい音なんだわ」
おお?
あの太鼓神輿の太鼓は確か曽祖父が神社に納めた…
何十年か前に祖父が、
そして何年か前に父が革を張り替えた…
そう思うやいなや、お父さんの声に呼応するように太鼓神輿に乗っていた2人がばちを持ち上げ、太鼓両面から強く打ち始めました。
すると
「ほら!!あれあれ!!!凄いだろ!?!?めーちゃくちゃいい音だろ!?!?心臓に直接響くっていうか!」
とお父さん。
息子さんも
「凄いね、こんなに距離あるのに振動まで伝わってくるんだ」
と息子さん。
そしてお二人の前でニヤニヤが止まらない私。
え、お、お声かけちゃう…?
いや、でも変な女が急にお声掛けしてしまったら、せっかくうちの太鼓を褒めてくださってたのに一気に株が下がるかも…ショック受けられるかも…心の中でリーマンショック起こるかも…
もじもじしながら、そうだ今私は太鼓店の法被を着てるじゃないか!!
背中には祖父の彫った太鼓の版画が、
胸元には
【小野﨑太鼓店】【ONOZAKITAIKOTEN】てグローバルな文字が、
これをお二人の視界に入るようにすればもしかしてもしかすると
『…えっ!?失礼ですが、もしかして太鼓屋さんなんですか!?』
『もしかして、あの太鼓もアナタのとこで…!?』
なんてことになっちゃったりなんかするかもしれない!!!!!!!
ビビリの私はその作戦で行くしかない、と、お二人の前で背中を見せたり不自然に身体をひねって胸元の文字をアピールしたり、クネクネし始めました。
名乗らずとも弊社の株が下がりそうな行いです。
結果、そのお父さんと息子さんは数基の御神輿と太鼓神輿、溢れる人の波に感嘆の声を漏らしながら、目の前にいる変質者(私)には全くお気づきになられませんでした。
大変正しい祭りの楽しみ方です。ええ。
ところが、神社の石段を祭りの一団が通られるとのことで『階段にいらっしゃる皆さま!少し両脇に寄って道をあけてくださーい!!』とドタバタと石段を駆け上がりながら声を張り上げて教えてくださる運営の方が。
そこで中途半端なところにいた私に気づいた息子さんが、「父さん、ホラここ空けてあげて!詰めればそちらのお姉さんが入れるから!!」
お姉さん…?
お姉さんと言ってくださった…!!!!!!
(そこを喜ぶな)
ペコペコありがとうございますと赤べこのよう上下左右にお辞儀を繰り返しながら詰めていただいたスペースにおさまると
「ついに太鼓神輿上がってくるか!?目の前で見たいよなぁ」
とお父さん。
それがまた嬉しくて嬉しくて、
とうとう言ってしまいました。
「あのぉ、実は先程からお2人があの太鼓神輿を褒めてくださっているのが聞こえて…嬉しくて嬉しくてお声掛けしちゃおうか悩んでたんですが…って結局こうしてお声掛けさせていただいてすみません、あの太鼓、私の曽祖父が作ったものなんです…」
「(絶対不審者にしか見えてないと思ったので敢えてちゃんと言う→)ええとワタクシ、小野﨑太鼓店という太鼓店の者でして…」
エエエエーーーー!?ほんとうかい!?
と、マスオさんのように綺麗に驚いてくださるお二人。
そして、
『いやぁ本当に素晴らしい音ですよ!』
『是非ずーっと残って欲しいね、祭りに太鼓は欠かせないんだから』
『どんな大きなお祭りだって、そこに太鼓の音がなかったらきっとこんなに人の心は沸き立たないでしょ』
『ご先祖さまは素晴らしいお仕事をなさってたんですね、そして今も残っているということ、凄いことだと思います』
『お姉さん、声をかけてくれてありがとうね』
そう言っていただいて、視界がじわっと滲みました。
ああまた私の身体を、血肉を介してご先祖様が狂喜乱舞してる…
私自身、
おぶい紐で祖母の背中にくくりつけられた状態の私を見た本家や総本家の大人達が「女の子か…可哀想になあ」と哀れんで見つめてきたのを、こんな小さな子に言ってもどうせわかりはしないだろう、覚えてはいないだろうという含みを込めたその言葉を覚えているせいか、自分が女に生まれたことには罪悪感を拭いきれずに今に至ります。
それでも改めて、この家に生まれた意味や私がするべきことって何なんだろう、
私がやりたいことって何なんだろう、
一瞬立ち止まるように考えを巡らせてみて、
やりたいことの答えはすぐには出せなかったけれど、
小野﨑太鼓店を知らない多くの人達にも、知らず知らずのうちに小野﨑太鼓店は必要とされていただけているんだ
その事実を知ることができて、なんて幸せなことだろうと歴代のお客様達、そしてご先祖様達に思わず手を合わせた夜でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?