絶対に勝つという強い気持ち
今日は、皆さんに訊きたいことがある。
「絶対に勝つ」という強い気持ちをもったことがあるかどうか。
私はない。勝利への執念がまるでないことに最近気が付いた。いや、うすうす気が付いていて再確認させられたというべきか。オリンピックで活躍するアスリートたちを見ていて感じたことだ。
東京2020に対する思いは人それぞれいろいろあると思うがそれはいったん置いておいて、競技にフォーカスをあてて話をしよう。私は、横目でちらっとだが、男子100mやリレー、卓球、バスケ、3on3、バドミントンなどをテレビで観戦した。どの競技を見ていても感じたことだが、金メダルを獲得した選手たちには「絶対に勝つ」という気持ちが全身からみなぎっていた。勿論、2位、3位、その他の選手たちにも「絶対に勝つ」という気持ちはある。しかし、TOPに立つ選手はテクニックやパワーだけでなく、その気持ちも人一倍強いように感じる。
よく言うではないか、
「最後はどれだけ勝利にこだわるかだ」
「最後は気持ちで競り勝ちましたね」
残念ながら私は、そんな執念にも似た気持ちを持ったことがない。
いや、持ったことはあるだろう。負けず嫌いの側面もある。しかし、それが結果に結びついた経験、とくに他者より抜きんでるという経験がものすごく少ないと思う。幼少期から、早生まれの民はどれだけ頑張っても4月生まれの同級生には勝てないのだ。かけっこなどの体力的なことはもちろん、指先の器用さや身体の発達など、広い範囲で負けを経験する。努力したところでどうにかなる問題ではない、だって最大11か月も年齢が違うのだ。どんなに頑張っても勝利の美酒を味わうことはなく、代わりに苦汁を吐くほど飲んできた。だからなのか、小学校の中学年ごろからは勝つことに対する気持ちはかなり薄かった。サッカーの授業中に「勝ち負け以外にも大切なことがあるんだよ」と気弱な女の子と運動場の隅っこで、バレないように小さく突っ立っていたのを覚えている。
なんならその苦渋は、大人になった今でもアルコールで誤魔化しながら飲んでいるのかも知れない。さすがに今は、生まれた月は関係ないけれど。
私はどういう気持ちなら持てるのだろうか。
ただの無気力なセミの抜け殻人間なのか。
だから、リーダーシップを発揮できないのか。
ここまで書き散らして、気づいたことがある。「勝ち負け」は、他人との比較であるということ。勝つことは、誰かを負かすことであり、負けることは、勝者が他にいることだ。そういえば、私はそういう価値観の中で生きていない。自分の目標にたどり着くために積み重ねることの方を好んでいる。健全なベンチマークは必要だが、他人がどうとかあまり興味がない。あなたは優秀、私も頑張っている。私もサザエさん、あなたもサザエさん。それでいいではないか。いや、サザエさんが二人もいるのは紛らわしくてよくないか。兎に角、よそはよそ、うちはうち、私は私でいいじゃないかと思うのだ。評価は後からついてくるでしょう、と。
勿論、勝ちにいかねばならぬ場面もあるけれど。
弱肉強食上意下達な体育会系でないと世の中生き残れないのか、と自信をなくしていましたが、色々吐き出してそこそこ着地しましたよ、というお話でした。
どうせなら、リーダーなんかは得意な人にお任せし、適材適所で参りたいものである。
ながいけまつこ
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