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嫌なことがあったときにやっていること①ポジティブ変換をする
嫌なことを良かったことに変換する。ネガティブをポジティブに。
これは、わたしのおばが影響しているのだと思います。
わたしは中学3年生の時に阪神淡路大震災を経験しています。幸い家は倒壊せず、家族・親戚の命は無事でした。
(そのころ飼ってた犬が逃げ出してしばらく帰ってこなかったけど)
被災生活の記憶で私の中に残っているのは「楽しかった」思い出なんです。
毎日のように救援物資が集まり、わたしたちはそれらをいただくことができました。
おばは、当時新聞の集金の仕事をしていたので、自転車で地域をあちこち動いている人でした。
だからとても町のことに詳しく、人とのつながりがあったから情報がいろいろ収集できたのだと思います。
「今日は○○町でおにぎりを配ってる」
「今日は△△小学校で豚汁やって!」
そんな風に、毎日わたしたちを連れて食事やTシャツなどいただくために並びに走った日々。
そういう思い出ばかりが記憶に残っています。
ですが、ああいった経験は辛いものです。今でも震度3くらいでも揺れがあると心臓がバクバクします。
体はもしかしたら、あの時の恐怖を忘れていないのかもしれません。
だけどおばのおかげで、大変だったことも、つらかったこともそれ以上の毎日の”やることがたくさんある”忙しい日常を持つことで、朝起きる恐怖や寝る時の恐怖というものを薄れさせてくれていたのだと思います。
そうして、そのおばが言っていた一言が、楽観的な思考を持つ土台をつくってくれました。
「大震災というのは60年に1度と言われているんやって。もうわたしが生きているうちにはこんな大きい地震はないわ」
根拠があるのかないのかとかそういうことではなく、ニュースなどから得る情報も自分にとってうれしい情報をピックアップし、それを信じる。
そうすることで未来へ思考が運べるのです。
被災中は道路も大きくもり上がったり、高速道路も分裂し、学校の教室も水道管が破裂して水浸し。
学校再開もずいぶん後になってのことでした。当時は高校受験の真っ最中。部屋の本棚に並んでいた辞書や参考書が全部ひっくり返って、勉強するどころではありません。
友だちの中には親戚などを頼って遠くへ一時避難する人も多くいました。
体育館は被災者の方で溢れ、わたしたちの卒業式も体育館ではできないから、図書館で行われました。
(ちなみに、答辞はわたしが読みました。途中で泣いてしまってぐちゃぐちゃでしたが・・・)
その時なにもできない。もしかしたら外に出るのも怖くなり、家にこもりっきりになっていた人もいたかもしれません。
ずっと続く被災生活で心がどんどん後ろ向きになる人もいたかもしれません。
でもわたしは、そのおばの言葉で、
大変なことになってしまったけど、もう大丈夫。今日は今日できることを精一杯やろう
というポジティブに意識を向けられたのです。
起こったことはとても大変で、つらく、悲しいこと。
でもその中で、
いつもは仕事ばっかりでなかなか一緒に過ごせなかった母と過ごす時間が増えた。
電気もガスもいつ来るかわからないからと、みんなで最小限の燃料で料理を作って囲って食べた。みんなでそうやって過ごす時間が持てた。
救援物資をもらうために並びながら見ず知らずのご近所さんと譲り合うやさしさをもらった。
そうした、小さなよかったことを感じることができれば、ネガティブをポジティブにする力が備わってくるのだと思います。
追記:#しゃかせん で記事を紹介していただきました。
ありがとうございます!