人生行路vol.6『僕の答え』前編
2003年、焼けつく暑さの中、僕はイラク第二の都市モスルにいた。
ここはつい先日、サダムフセインの息子のウダイとクサイが多国籍軍によって殺された街だ。
今回の戦争でより自由になったクルド人も多い為か、ここに来る前に立ち寄ったフセイン支持派の多いティクリートの街とは正反対に、明るく活気に満ちている。
僕は、タバコに火を点けると、街角のレンガの段差に腰を下ろしながら暫く人の往来を眺めていた。
荷物と一緒にお爺さんの馬車に乗り込む子ども達。
身振り手振りを使って価格交渉をしている店主とお客。
チャイを飲みながら、ジェスチャーを交えて話し合っている男性達。
みな顔の緊張が少し緩んでいる。
本来は、これが当たり前に広がっていた光景であったのだろう。
この平穏な状況が続いてくれればいい。
そんな願いを馳せながら、脳裏に溶け込む雑踏を只々、愉しむ。
その時だった。
けたたましい幾つかの銃声が街中に鳴り響いた。
そして、その発砲音に反響するかのように女性の叫ぶ声、男性の怒気を荒げた声が流れ込むと、沢山の人々が子どもの泣き叫ぶ姿を差し置いて、本能で目の前を濁流のように激しく交錯していく。
「何が起きた?」
砂煙が立ち込み、詳細が伺えない。
音から察するに、銃撃戦が起きたことは間違いない。
とりあえず、建物の影に飛び込み、身を最大限に隠しながら、答えの見えない状況にシャッターを切る。
やがて阿鼻叫喚な現場から、人がどんどんと離脱。
少しずつ晴れていく煙から、何人もの人が倒れている状況を覗くことができた。
ぴくりとも動く様子が無い。
そして、夥しい大量の鮮血が地面に染み込んでいるのが僕の位置からでも分かった。
残念ながら、あの出血量では恐らく厳しい・・・
それは、素人目で見ても分かるほどだった。
(あんなに素敵な光景が一瞬で。くそっ!!)
自分の頭の中では、恐怖よりも憤りが頭を支配していた。
銃撃が止む気配がない。
フセイン一派の残党なのだろうか。
弾が飛び交うこの現状で、なかなか状況把握は難しい。
そんな時、自分の眼が、逃げ遅れている子どもが銃弾が飛び交う道路の真ん中に座り込んでいるを捉えた。
(嘘でしょ、まじか・・・)
(クソ・・・)
泣き叫んでいる子どもがいるのに、撃ち合っている。
子どもを巻き込んでまで守りたい命とは何だ、正義とは何だ、その先にどんな未来があるのだ?
この自分の身体に込み上げてくるものが呆れからか、怒りからか、悲しみからかさえもその時は、分からなかったが、
何とも言えない嫌悪感を抱いた。
僕は、思わずカメラのストラップを襷がけにかけ直し、背中にカメラをまわした。
そして、空と一瞬向かい合い、その後、ほぼシケモクになってしまったタバコの微かに灯った炎を見つめる。
“(頭を)クールにいこう。お前だったら出来る。“(これは、いつもの恐怖に打ち勝つおまじない)
ぐっと拳を握って、深く一度深呼吸をすると、泣き叫んでいる子供の姿だけを見据えて、建物の陰から飛び出した。
後編へ続く
2003 イラク
※これは当時の手記をもとにした回顧録です。現在は国の情勢、環境等も変わっているため、同様の事象が起きているとは限りませんのでご了承ください。