人生行路vol.6『僕の答え』後編
本当に無我夢中だった。
頭の中には、弾が当たるとか、命を落とすとか、そんな恐怖に怯えている余裕すらなく、ただ目の前にある“救える命”だけを捉えていた
地を這うように重心を落としながら走る。
心臓の鼓動と、自分の息づかいが頭の中で反響している。
普段は何気ない道幅が、やけに長く遠い。
足は地面を舐めるように回転しながらも、左眼では飛び込む先を見据え、右眼で子どもの脇下を見据える。
やがて、新たな奏者が演奏の途中に入り込むように、銃声が意識の裏で鼓動や息づかいに混じり混むのを感じた。
スピードは緩めず、勝負は一瞬。
子どもの脇下から自分の右腕をフックのように絡めて走りながらのその速度で拾い上げる。
「落ちるなよ・・・」
落としたら全てが終わる。
最悪、途中で被弾しようものなら、そのまま子どもを力一杯建物の陰に放り投げてしまえばいい。
そんなことも頭にチラつかせながら、残り数メートルになったところで、
ホームスチールを狙うように全力で建物の陰に子どもと一緒に頭から滑り込んだ。
間一髪。
溜め込んでいた息を大きく吐く。
「あっぶねー。」
心臓が破裂しそうなくらいバクバク波をうっている。
腰が砕けたように、ヘタッと足も崩れた。
「だいじょうぶか?」
子どもの安全を確認。
返答も無く、ただただ泣きじゃくっていたが、とりあえず、彼の身体を確認。
着弾は見当たらない。
良かった、とりあえず何とかなった。
僕はやや強張り気味のぎこちない笑顔で子どもを力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
そして、もう一度大きく深呼吸をし、呼吸を整える。
それでも、まだ、体全体を駆け抜ける興奮が冷め止もうとしない。
やがて、建物の影に隠れていた子どもの父親が泣きながら近づいてきた。
きっと彼自体もあまりに突然の事で、気が動転し、どうしていいか分からなかったのだろう。
僕が子どもを父親に抱き渡すと、
「有り難う有り難う!!」
と涙ながらに感謝され、力一杯の握手と抱擁を受けた。
僕自身も、ようやく、少しホッとした気がして意識に落ち着きを取り戻す。
「いいから、いいから、とにかくまだここは危ないから。早く逃げな!!」
僕は、間髪を入れず、追い払うように二人を立ち去らせると、その親子の背中を座り込みながら、暫く眺めていた。
再びタバコに火を着けようとするが、両方の手が震えていて上手く火が点かない。
しまいには、タバコを落とし、その落としたタバコもうまく拾えない。
あまりの情けなさに思わず笑ってしまう自分。
とはいえ、あの選択が出来た事に自分自身を心の中で褒めた。
その十数分後。銃撃は鳴り止み、再び静寂が街中を包み込む。
どうやら、片方が逃げた模様。
ようやく終わった。
肩の力が抜け、僕は、その後もしばらくその場に座り込んでいた。
まだまだ経験不足の自分。
結局、この日、その後はまともな写真を一枚も撮ることはできなかった。
反省。その一言に尽きる。
戻った宿で寝転びながら今日の出来事を書き留める。
そのボールペンの先から巻き戻した数日前のある記憶。
「あなたは、窮地の中で助けを求めている人がそこにいた時、助ける?それとも写真を撮り続ける?」
それは、ある人から質問されたカメラマンにとって非常に悩ましい究極の質問。
ピュリッツアー賞を狙うような真のジャーナリストのような人であれば大半が後者を選ぶであろう。
しかしその時の僕は、その状況になった際に果たしてどちらの決断をしているのか自分自身でも分かりかねていた。
なので「そういう状況に自分がなってみないと分からないね。」と笑いながらはぐらかして答えていたのを思いだした。
「まさに、答え出ちゃったじゃん。そっかあ、ジャーナリスト失格かあ。」
しかしそこには、自分が当初予測していた残念な思いは不思議と無かった。
自分自身、もともとピュリッツアーを目指していた訳でもない。
生きる目標が無かった自分の前に、導かれるように現れてくれた報道写真という存在。
僕はただただ、正面からとことんぶつかってみようと思い、ここまで駆け抜けてきた。
そう考えると、むしろ、頭の中の霧が晴れるように、自分のやるべきことが見え、視界がクリアに拡がっていくのを感じた。
ジャーナリストだろうが、カメラマンだろうが、業種も肩書きも地位も名誉も体裁も何も関係ない。
人の命を守れる結果が得られるのであれば、どんなプロセスでもアプローチでもいいのだ。
これからも、自分自身の信じる道を貫き、やれることをひたすらやっていこう。
自分の中で、確固たる意思が生まれたのは、思い返せばこの頃だったのかもしれない。
2003 イラク
※これは当時の手記をもとにした回顧録です。現在は国の情勢、環境等も変わっているため、同様の事象が起きているとは限りませんのでご了承ください。