長江徹のこれまでのあらすじ

バンド解散後から今日までを、ざっとまとめてみました。

バンドをやっていた時はドラマーだったのですが、途中から仮レコーディングみたいな作業時のパソコン係みたいなことをやり始めました。
色々覚えていくにつれ、本番のレコーディングやミックスなどもまかせてもらうようになり、ツアー時以外はほとんどの時間PCの前にいる、という感じになっていて、
後々、同事務所のアーティストの制作も手伝うようになりました。

その流れで、解散後は基本的にはソルブレイド所属アーティストの制作のお手伝いが仕事になりました。

最初はレコーディングやミックスが中心でした。
自分よりも若い人たちにアドバイスしながら作っていくような立ち位置だったので、コードのこととか楽器のこととか、音楽の知識をもっと持ってないとダメだな、と感じて、独学で勉強しながらやれることを広げていきました。

2011年に、社長から「自分がいいと思うアーティストを探してプロデュースしてみたら?」と提案をいただいて。
ネットやライブハウスでアマチュアアーティストを探して、連絡して一緒に作品を作ってみる、ということを始めました。

これがまったくうまくいかず。

やっぱりアーティストは誰しも自分がやりたいことを持っているので、
制作を手伝ってくれるだけならまだしも、自分の意見を反映させようとしてくるおじさんは要らないんだ、ということに気がつきました。
実績のあるプロデューサーならまた話も違うのでしょうが。
あと、僕自身が内向的で社交性がだいぶ低いので、その辺にも原因があったとは思います。

そこで今度は自分で作った曲を歌い手さんに歌ってもらおうと考えました。
作詞作曲を勉強し、自作曲をニコニコ動画界隈の歌い手さんに歌ってもらう、ということもやっていました。
これも僕の力不足でうまくいきませんでした。
ちなみにこの時は別名義でやっていて、今は作品はどこにも残ってないです。

この間も並行して弊社及び関連会社のアーティストのお手伝いはしていました。

その中に、レコーディングなどをお手伝いしていた民謡ガールズというグループがありまして、
2016年当時はメンバーのほとんどが小学生でした。
その中の1人が中野みやびで、当時小学5年生にもかかわらず、とてもきれいな発声と正確な音程に度肝を抜かれました。
初対面のレコーディングの時から物怖じしない堂々とした歌いっぷりで、これは只者じゃないなと。

グループ活動の合間に僕が作った曲を歌ってみてほしいとお願いしたのが2017年。
曲を作っては歌ってもらい、試行錯誤の末、2019年に「おん@」名義で「メグルワ」という曲をリリースしました。

この時のビジュアルや曲調は僕の意向が強く反映されたものでしたが、
僕自身の過去の反省をふまえ、本人がどういうアーティストになりたいか、どういう曲を歌いたいのか、というのを尊重しつつ試行錯誤を重ねて今に至ります。

プロデューサーというとなんだか偉そうな(もしくは胡散臭いような)響きですが、
僕の場合はスタッフ全般という感じで、歌ってみた動画の撮影編集や、ライブハウスの手配や、各種告知など、色々やっています。

5/28の初ライブに向けて、何かまだやり残してるんじゃないかとか、何人来てもらえるかな、とか、配信うまくいくだろうか、とか
少し緊張しながら準備を進める日々です。

ドラマーだった時は、デビュー後はいつも、会場に行けば既にドラムが組んであって、終わればすぐに会場を出て。
スタッフ目線で振り返ると、随分と良いご身分だったなと。
今にして思えば、当時はまわりに対して感謝が全然足りてなかったなあ、とも。

仕事に関してはざっとそんな感じです。

プライベートなところでは、十数年前に結婚してまして。既婚で子無しです。
仕事場では基本的にはスタジオで1人でパソコンに向かっていて、誰にも会わず、妻としか話してない日がデフォな感じですが、
妻が日常を楽しくしてくれて、時には仕事に関することを手伝ってもらうこともあったり、とても支えてもらっています。

そんな現在です。
感謝感謝。