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「おんころころ」 虐げられし者へ

 ※写真はヒンドゥー教のカースト制度から脱するため現代仏教に改宗するインド被差別階層の女性たち

 世界保健機関(WHO)は去る3月11日、「COVID-19(新型コロナウイルス)は今やパンデミックであると言える」と表明、今後も感染者と死者は増えるとの見通しを示しました。全世界が対応に追われる中、日本では「改正新型インフルエンザ対策特別措置法」が13日の参院本会議で可決、14日から施行されました。これにより、各都道府県知事が住民の私権を制限する「緊急事態宣言」の発令も可能となりました。
ですがその一方では、横浜市大の研究グループがウイルス抗体を検出したとの発表もあり、疫禍に屈さぬ人類の叡智に希望の光を見た感があります。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56562120Z00C20A3000000/
とはいえ、いずれにせよこれからです。ひとりひとりが率先して感染防止に努めなければ、事態の収拾は困難です。
◎知っておくべき「コロナウイルス」に関する4つの基礎知識
https://wired.jp/2020/03/08/what-is-a-coronavirus/
◎厚生労働省『新型コロナウイルス感染症について』
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

 さて、近代医学が登場する以前の人類にとっては、呪術や迷信が「医術」でした。
あえて言うまでもありませんが、迷信に固執するのは知的怠慢です。しかし、それが〝迷〟であることを教えてもらえない人々にとっては、信じること以外の選択肢が見えないのです。災害時に流布する〝デマ〟なども同じでしょう。そうなると人間は、救命ボートより一掴みの藁にありがた味を感じてしまうことすらあるのです。
 ところで、古代のインドには、アーユルヴェーダ(आयुर्वेद)などの体系化された医学だけではなく、土着のドラヴィダ系の呪〈医〉術がありました。
その呪医療の現場で活動していたのは、主として女性だったようです。女性は生命を生み出す大自然のちからを具現化した存在であり、世界各地の文明が黎明期において母系社会を形成、あるいは地母神崇拝を持っていたと見られることからも、同様の背景が伺えます。ひらたく言うならば、お母さんの、
「痛いの痛いの飛んでけぇ、ほら飛んでった」
これも、今日に残る呪医療の一種といえるのではないでしょうか。また、広義のヒーリング効果という点から考えるなら、ナースの優しい言葉と対応が傷病者の〝薬〟となる事実は、皆さん自身もご経験なされたことと思います。
 また、インドでは、今日なお残る非人道的な身分差別、いわゆるカースト制が作られていく過程で「浄穢の忌み」が重視されました。
紀元前千五百年頃よりカスピ海沿岸から南下を始めたアーリア人は各地の先住民を侵略。やがて、インダス河を越えてガンジス河流域に至り、さらに南下を続けたアーリア人は、次第にインド先住民族のドラヴィダ人と混血していきました。そしてアーリア系の血が濃い、肌の白い者から順に、下へ下へと階級を作っていきました。一説によると、その間アーリア人にはそれまで経験したことがないインド土着の疾病に倒れる者もいたと考えられ、科学の無い時代ゆえ彼らはこの風土感染症を宗教的〝穢れ〟と妄信し、文字通り「病魔の仕業」と忌み嫌って、差別と階級制を強化していった…とも云われます。
ところが、先住民族ドラヴィダ人には免疫力が備わっており、あるいはまた呪医療の民間儀礼も伝承されていたため、カースト制の最底辺に〝魔の眷族〟として押し込まれつつも、いわば「穢には穢を・魔には魔を」と、社会的需要は絶えなかったようです。

 そのなごりは、今も日本仏教の密教系宗派に伝えられています。
薬師如来の真言(小呪)が、それです。
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
 サンスクリット音〝オーム・フル・フル・チャンダーリー・マータンギー・スヴァーハー〟

この真言には、いわゆる畳語(じょうご)…幼児言葉などに見られる反復、この場合は「ころころ」…が含まれることもあってか、古くから日本の民間に浸透していたようです。いうなれば〝ちちんぷいぷい〟のヴァリエーションというわけですね。
しかし、この小呪の中で重要な役割を占めているのは、インド最下層民の呼称なのです。
「せんだり」つまりチャンダーリーは音写:旃陀羅(せんだら)の女性形、「まとうぎ」つまりマータンギーは音写:摩登伽(まとうが)の女性形です。
チャンダーラ(旃陀羅)とは、カースト制を定めた『マヌ法典』によれば四姓の最下位シュードラ(首陀羅。農奴階級)の男性と最高位ブラーマン(波羅門。神官階級)の女性の間に生まれた者のことで、要するにヒンドゥー教的には「在ってはならない生命」という意味になります。しかも男尊女卑のインド社会で、その女性形チャンダーリーとなれば、呼称自体が怨嗟に塗れていると云えます。
マータンガ(摩登伽)は最下層に属する男性を指しますが、その女性形マータンギーは知識と芸術、音楽を支配する〝闇の女神〟として崇められます。マータンギーへの祭祀は、怨敵を意のままに操り、人々の心を引き付けるちからを得られる、と信じられました。それと同時に〝穢れ〟と〝不吉〟の具現化とされ、だからこそ「魔を祓う」には絶大な効力を発揮すると考えられました。

《拙訳・虐げられし者へ》
「オーム(聖音)、快癒せしめよ、快癒せしめよ。差別の最底辺に追いやられ、この世の闇を見て来た女たちよ。その不屈の生命力により、人々に幸をもたらし給え」

 今日のジェンダー感覚からすれば、率直に言って、首をひねらざる得ない概念です。また、身分差別を前提としている点も見過ごすわけにはいきません。ですが、薬師小呪に込められた祈りとメッセージは、このインド映画にも表されていると、私は思います。(2018年日本公開)
『パッドマン/5億人の女性を救った男』
https://youtu.be/sK0mP7n4518
「How power, how power man bleeding like woman. They straight dying!」

 ご承知のとおりインドの仏教は十三世紀の初頭にいったん滅亡しました。
それから七百年後の1956年10月、独立インド初代法務大臣のアンベードカル博士(「不可触民」出身)によって、社会改革・差別解放の思想として復活しました。
冒頭に挙げた、現代仏教に改宗する女性たちは、まさしく薬師小呪の世界を生き抜いて来た人々なのです。

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