いい文章を書けても書けなくても
こんばんは。
noteを始めて4日目にして結構良いこと書いちゃったな、って思っています。(笑)
私は私。私は自由。そのことが私の中で腑に落ちていればそれでいい、それで十分、なのだと思います。
で、5日目の今日。「またなんかいいこと書きたいな~」なんて考えています。
「いいこと書きたいって思ってる時って結局いいこと書けないんだよな~」とも思います。「なんで、いいこと書きたいの?」と私に聞いてみました。
私「みんなにいいこと書いてるって思われたい。」
わたし「どうして、みんなにいいこと書いてるって思われたいの?」
私「みんなに読まれると嬉しいから。感想もらえると嬉しいから。(でも感想もらったのって自分からこれ書いてるって言った時だけなんだよなぁ~)」
わたし「みんなに読まれると嬉しいって、誰かによって決められる基準に依っちゃってない?自分だけが、これが私って思っていられればよくない?」
私「他人に、この人悟ってる、って思われたい・・・!」
ここで、私は気づきます。
私「悟ってなくっちゃいけないと、思っている・・・!」
つまり、心の奥では「悟れていない私はだめ」だと思っていたのです。
ここからひたすら私を肯定し続けました。
私「悟ってないといけないと思ってる私OK!」
わたし「そんなことないんだよ」
私「悟ってない私OK!悟りたいと思っちゃいけないと思ってる私OK!」
わたし「悟っていても悟っていなくても私なんだよ。私はここにいるんだよ。」
ああ、よかった。安心感が戻ります。
私「いい文章を書きたいと思っている私OK!いい文章を書けなければよくないと思っている私OK!」
わたし「いい文章を書けても書けなくてもわたしなんだよ。私はわたしなんだよ。」
どんな状況であろうと私はわたしなのです。そう理解したときの安心感たるや!
私は自分の軸からまだ簡単に、ふらふらっとふらついて誰かの軸(これすらも幻想だとは思うけど)と思われるものに寄っかかっちゃうけど、
でもこうやって戻れることはもう知っています。うん、大丈夫。
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